先日、ある方から鈴木三重吉の貴重な『赤い鳥』を、まとめてお借りできた。目白では、鈴木三重吉の名前は、「赤い鳥社」の存在とともにお馴染みだ。もっとも、赤い鳥社は目白(高田村大字巣鴨字代地3559番地)から日本橋へ、日本橋から目白(高田町3559番地)へ、以下面倒なので目白から市ヶ谷へ、市ヶ谷から目白(長崎村字荒井1880番地)へ、目白からまたまた日本橋へ・・・と移転を繰り返すので、わたしにも目白と日本橋とで二重に馴染みがある。
 『赤い鳥』をめくってみると、これがメチャクチャ面白いのだ。いえ、中に収録された児童向けのお話がではなく、中に掲載された大正時代の広告がとっても面白い。特に、鈴木三重吉の表4(裏表紙)媒体の売り方には感心してしまった。『赤い鳥』表4のほとんどが、子供向け歯磨き粉あるいは練り歯磨きの広告で占められている。明治の初期に輸入されはじめた歯磨き粉は、明治後期には国内メーカーによる本格的な量産がはじまっている。
 歯ブラシの普及とともに、歯磨きの習慣化が言われだしたのも、ちょうどそのころからだ。大正期に入ると、特に子供へ向けた朝晩の歯磨きの習慣化が盛んに奨励されたようだ。おそらく、児童雑誌『赤い鳥』の鈴木三重吉はそこに目をつけたのだろう。当時の歯磨きメーカーを軒並みまわって、広告を取りまくっている。ひょっとすると、いやおそらく、キャッチフレーズやコピー自体も鈴木三重吉が仕上げていたのかもしれない。
 
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 雪がちらちらふりました、
 雪がこんこんふりました、
 こんもりつもつた白い雪。
 お庭のなかのまんなかで、
 ごろごろ出来た雪だるま。
 かァかァ鴉(からす)の寒鴉、
 おともだちの寒鴉、
 くちにくはへて持つてきた
 ライオンねりはみがき
 チユーブ入。      (『赤い鳥』大正十一年二月号/表4より)
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 「待てよ、ヲイッ! マジかよ」・・・と言いたくなるような、とんでもなく強引なオチだけれど、もう無理やり脈絡のないお話をこじつけてでも、媒体料金の高い表4へ練り歯磨きの広告を取りたかった、鈴木三重吉の執念がうかがえるようだ。版下製版がゆがみ、印刷で多少ページが斜めになってしまっても、「今度から気をつけまーす」で済んでしまった時代なのだろう。
    
    
    
    
 もうひとつ、明治期の雑誌と大きく異なるのは、ターゲットがひとつに絞りこまれていないこと。つまり、『赤い鳥』の読者は子供だが、子供たちばかりでなく、明らかにその親も目を通すことを意識した媒体売り戦略を立てている点が、いまから見ても非常に斬新に感じられる。子供向けの広告に混じり、明らかにその親たちへ向けた広告がすべりこませてあるのだ。今日ではあたりまえのマーケティングだけれど、当時の媒体としては異色のダブルターゲット設定だったろう。
 お貸しいただいた『赤い鳥』を調べると、表4のなんと9割以上が歯磨き広告で占められていた。
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 雪の日も 雨の日も、
 朝夕怠らずに、
 ライオン歯磨を
 お使ひなさいまし。
 きつと、きつと、強い立派な體(からだ)に
 なることが出来ます。      (『赤い鳥』大正九年二月号/表4より)
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 歯磨きを朝夕すると、身体が立派になるという話もかなり強引だけれど、「風が吹けば桶屋がもうかる」式に六段論法ぐらいで考えれば、なんとなくわからないコピーでもない。でも、いまなら日本広告審査機構から、即イエローカード間違いなしの違法コピーなので「お気をつけなさいまし」。
 
 大正時代の広告はとっても楽しいので、『赤い鳥』から少しずつこちらでも紹介していきたいと思う。おそらく、赤い鳥社に馴染みの深い目白・下落合界隈の子供たちも、最新号が出るのを心待ちにしながら、きっと当時は目にしていたに違いない。

■写真上:左は、『赤い鳥』大正11年2月号の表紙。右は、同号の表4広告。カラスが「くちにくはへて」なくて足で持ってるじゃんか・・・なんて、ひねっこびれた子供はいなかった。
■写真中上:左は、「長崎町事情明細図」に記載された大正末の赤い鳥社。長崎村字新井1880番地にあったが、すぐに日本橋へと再移転している。右は現在の同所で、目白の森公園の目の前だ。
■写真中下:上は、左から順番に『赤い鳥』大正8年10月号、大正9年4月号、大正13年7月号の表紙と各号の表4広告。下は、左から順番に『赤い鳥』大正14年7月号、大正14年11月号、大正15年7月号の表紙と各号の表4広告。表4の印刷は、たいがい傾いているかゆがんでいる。
■写真下:左は、『赤い鳥』大正9年2月号の表紙。右は、同号の表4広告。