佐伯祐三が描いた『下落合風景』のひとつ、おそらく未完のままにされたかもしれない作品だ。戦災で失われたか、あるいは個人蔵なのかはわからないが、カラー図版では観られないため詳細はわからない。手前にカギ状に屈折した道路が描かれ、正面にはかなり古めかしいどっしりとした日本家屋が建っている。その左手には、描きかけと思われる2軒ほどの屋根が見えている。つまり、地形的には左側が急激に落ちこんだ崖になっており、その崖淵の上を走るカギ状に折れた道が描かれていることになる。
 この風景の感触、いつか目白崖線のどこかで味わったことがある。手前に描かれた、直角(90度)に曲がりきらない崖沿いの「く」の字型の道は、旧・下落合が広いといっても、そう何箇所もあるわけではない。しかも、これほど急激に左手へと落ちこんで見える場所、そして家々がそれほど建てこんでいない場所は、いまの下落合側ではなく、中落合や中井2丁目の南斜面の風情に合致している。でも、目白崖線ではなく、内部へ入りこんだ谷戸の風景ではないかとも想定し、考えられる崖淵はすべてチェックしてみるが、やはり“あの場所”しかなかった。
 佐伯は二度にわたり、この道がつづく坂上と坂下を描いている。坂上は、大日本獅子吼会の西側坂Click!を南へ向いて描いた作品で、この「く」の字型に屈折した曲がり角も、突き当たりにかろうじて描きこまれている。坂上からの作品に描かれた右手の電柱が、この作品でもやはり右手に描かれている。また、坂下の中ノ道へと抜けるカーブした坂道、つまり中井駅の開設を見こんで急速に宅地化が進んだ蘭塔坂(二ノ坂)Click!も、佐伯は『下落合風景』として残していた。この坂道がよほど気に入ったものか、佐伯はここでも連続してイーゼルをすえていることになる。
 
 佐伯がイーゼルをすえた当時、この道の左手には空き地が拡がり、その先には新宿の一大パノラマが展開していて、それはいい眺めだったろう。先の大日本獅子吼会の西側、坂上から南を向いて描かれた『下落合風景』にも、目白崖線上から見た新宿の眺望が描かれているが、この作品の位置からは、さらに見事な眺めが目前に拡がっていたに違いない。同じ崖線沿いに住んだ松本竣介も、同様のパノラマ作品を数多く残している。佐伯のイーゼルの右手には、小さな民家の屋根越しに大日本獅子吼会の寺院(大正末当時は大伽藍だったかどうかは不明)が見え、佐伯の背後には蘭塔坂(二ノ坂)の坂名の由来となった屋敷墓が、濃い緑の中に見え隠れしていたはずだ。その屋敷墓の手前を右に曲がると、もうひとつの『下落合風景』である右へカーブした坂道へとさしかかる。
 1936年(昭和11)の空中写真を見ると、正面に描かれている大きな屋敷が、すでに取り壊されたのか写っていない。左手(南側)は空き地のままとなっているが、ほどなく洋画家・金山平三の大きなアトリエが建設され、この場所からの眺望がほとんどきかなくなってしまう。1926年(大正15)の「下落合事情明細図」を見ると、この道の屈折部分から南へ下る道が描かれているのだが、これがずいぶん前から悩みの種となっている。こんな断崖状の場所から、南へ道がつづいているのがおかしいし、いまも昔も道は存在していない。空中写真にも道らしい筋は見あたらないし、他の各種地図でも道など描きこまれていないのだが、「事情明細図」制作者のめずらしいミスだろうか? それとも、空き地の端から南の崖下へ下りる細い道でもついていたのだろうか? 「事情明細図」には、かなり太い道のように描かれているのだけれど・・・。
 
 現在、作品に描かれた風景の左手は金山アトリエ、正面は大日本獅子吼会の関連施設となっている。マンション状のこの宗教施設は、1階部分が大きく吹き抜けになっていて、いまでも新宿のパノラマを眺めることができる。先日、その吹き抜けから、めったに見られない一大パノラマを楽しんでいたら、「あら、鍵かけてなかったんだわ」・・・と、施設のおばさんに注意されてしまった。(不法侵入すみません<(__)>) 写真を撮る前に、追い出されてしまったのが心残り。
 では、この『下落合風景』を描画ポイントClick!に加えてみよう。

■写真上:左は、佐伯祐三の『下落合風景』(1926年・大正15)。右は、描かれた風景の現状。
■写真中:左は、1936年(昭和11)の空中写真に見る描画ポイント。右は、1926年(大正15)の「下落合事情明細図」にみる同所。角から南へと下る同幅の道が描かれているが、いまも昔もこの道は存在しない。他の各種地図でも、この道は存在しないことになっている。
■写真下:左は、蘭塔坂(二ノ坂)界隈における佐伯の足取り。右は、現存する金山アトリエ。  
●左:1923年(大正12)/右:1925年(大正14)地図
 
●左:1926年(大正15)/右:1929年(昭和4)地図
 
●右:1936年(昭和11)文化村上空/右:同年上落合上空
 
●ものたがひさんコメント図版



●塀か縁石か?
 
●灯篭の笠と下り口?

●1947年(昭和22)二ノ坂付近

●ひな壇状の階段(北上道)

●二ノ坂風景(マイケルさん提供)
 二ノ坂上から/二ノ坂クランク
 
クランクを上から/A邸
 
●「ムウドンの丘」を離れると・・・