この道筋は、「たぶんあそこだろう」とあらかじめ見当はついても、佐伯が描いた当時は盛んに開発が行われていたろうし、おそらく1936年(昭和11)の空中写真ではかなり変貌していると思われるので、ずいぶん迷った。手前から奧へとつづく道は、住宅地の境界や尾根道などに見られる、当時の表現で言えば「三間道路」だ。道の正面には家が見えているので、その先が左右どちらかに大きくカーブしていると思われるが、モノクロ画面なのではっきりとはわからない。ただ、手前からつづく道はやや右へカーブしており、左手の地面は少しずつ低くなっていくように見える。光源は明らかに左手にあり、家々の向きからしても左手が南、あるいは南西のように思える。

 住宅の建ち並びが密ではないので、旧・下落合の西側の風景と思われ、目白文化村周辺の可能性が高い。また、家々は農家のようには見えないが、納屋のような小さな建物も描かれているので、おそらく周囲にはまだ田畑が多く残るエリアだと思われる。1926年(大正15)当時、このような風景はおそらく文化村の西側か、あるいは南側に多く見られた風情だ。左手の道路沿いには、植えられたばかりと思われる並木の若木が見られる。また、左右の道端には、大谷石による住宅敷地の縁石のような白い帯が描かれているが、まだ家は建設されていないようだ。
 手前に十字路らしきものがあるが、この道路の前方にも、電柱の配列から見て左右に折れる道がいくつかありそうだ。それらの左右の道に沿って、家々が散在しているような感じがうかがえる。特徴的な洋風の家屋はなく、左手の少し下ったところに見えている家も含めて、すべてが和風の建物のようだ。あたりの様子から、目白崖線の下ではなく丘上の風景だろう。左手の地面が低く見えるので、この三間道路は尾根道の公算が高いように思える。
 1936年(昭和11)の空中写真で、下落合西部の三間道路をすべてチェックしてみたが、ピタリと符合する場所は見つからない。でも、新築の家々が増え道路整備も新たに行われていることを想定し、「下落合事情明細図」(1926年・大正15)ともつき合わせてみると、やはり「たぶんあそこだろう」と想定した道筋が描画ポイントとして浮かび上がってくる。第二文化村の南側、正確にいうと南西へとつづく三間道路の尾根道だ。この道をあと150mほど進むと、四ノ坂への下り口も含めた五叉路にぶつかる。佐伯が、もっとも多くの作品を描いているエリアの一画にあたる。それら『下落合風景』の描かれたスケジュールを、改めて追ってみよう。
 
 この作品のもう少し手前、第二文化村の南端の道沿いに佐伯はイーゼルをすえて、1926年(大正15)10月11日に特別大きなキャンバス(50号)に「テニス」Click!を描いた。翌日には、落合尋常小学校Click!の近くで「小学生」(10月12日)を仕上げたと思われ、次の日には第一文化村の南外れ、この尾根道につづく道路端から「風のある日」Click!(10月13日)を描き、さらに翌日には第二文化村へ尾根道から70~80mほど入りこんで「タンク」Click!(10月14日)を描き・・・と、連日にわたりこの道筋沿いに拡がる風景を描いているのだ。しかも、特大の「テニス」を描いた第二文化村の尾根道ポイントは別にしても、翌日の「小学生」を基点として描画ポイントが毎日、尾根道を西へ西へと移動している様子がうかがえる。
 そして「タンク」の次、翌10月15日に佐伯が描いた作品はなんだったのか?・・・ということになる。翌日に登場する、制作メモの『下落合風景』のタイトルは「アビラ村の首(道)」Click!だ。第二文化村を南西へと外れ、わたしが想定する佐伯がイーゼルをすえた描画ポイントと、絵のタイトルが期せずして重なることになる。ここは、金山平三Click!が名づけたアビラ村北端の尾根道にあたる。
 10月10日 「森たさんのトナリ」Click!(下落合630番地/里見勝蔵邸)
 10月11日 「テニス」(50号の特別サイズ/第二文化村南端)
  ↓(尾根道筋を東へ)
 10月12日 「小学生」(落合小学校付近)
  ↓(尾根道筋を西へ)
 10月13日 「風のある日」(第一文化村南端の水道タンク近く)
  ↓(尾根道筋を西へ)
 10月14日 「タンク」(第ニ文化村内)
  ↓(尾根道筋を西へ)
 10月15日 「アビラ村の首(道)」(二ノ坂上の尾根道あたり?/以降10月21日まで病気)

 この作品の空が晴れているのか、それとも曇っているのかははっきりしないが、1926年(大正15)10月15日の東京の空模様は曇りと記録されている。この「アビラ村の首(道)」を描いたあと、佐伯は10月20日まで体調を崩して床につくことになる。仕事を再開した10月21日は、佐伯アトリエから徒歩1分以内の「八島さんの前通り」Click!へと回帰していた。
 では、この作品を『下落合風景』シリーズの描画ポイントClick!へ追加しよう。

■写真上:左は、佐伯祐三『下落合風景』(1926年・大正15)。10月15日に描かれた、「アビラ村の首(道)」(旧・下落合2005番地あたり)ではないかと想像する。右は、現在のアビラ村の尾根道。
■写真中:左は、1936年(昭和11)のアビラ村の北を通る尾根道の上空。すでに家々が増えて、道筋も多少変わっていそうだ。右は、「下落合事情明細図」(1926年・大正15)の同所。
■写真下:1926年(大正15)10月11日から15日にかけての、佐伯がたどった写生移動ルート。