佐伯祐三の「下落合風景」Click!を調べていると、「なんだこれは?」という画面にぶつかることがある。画布の表面に、絵の具の盛り上がりとは思えない不可解な影が浮かんでいたりする。里見勝蔵も手伝って、自家製のキャンバスClick!をこしらえ、その上に油絵の具を次々と厚塗りしているわけだから、多くの影やかたちは絵の具の剥離やひび割れなどによるキズだ。でも、中にはそうではない、奇妙なものが塗りこめられていることがある。
 1926年(大正15)11月に大阪へ帰省したとき、佐伯は30号の大きな『肥後橋風景』を描いている。大阪朝日新聞社の旧ビルと肥後橋付近を描いた作品だが、写生に出かけた日は風が強く、キャンバスが飛ばされて泥砂や枯れ草まみれになってしまった。佐伯はそれでもかまわず、生乾きの画面に付いたゴミを払わずに、その上から絵の具を重ね塗りしてしまった。画面を近くで観察すると、一面に泥の凹凸がついているのがわかる。これでは油絵ではなく、泥油絵だ。
 第2次渡仏時にパリ郊外のヴィリエ・シュル・モランを訪れたとき、やはり同じく強風の日、吹き飛ばされてきた樹木の小枝が、乾かない画面上にベッタリと付着してしまった。佐伯は、気づいたのか気づかなかったのか、何事もなかったかのように上から絵の具を塗りたくってしまっている。無頓着なのか、描画に集中して気づかないのか(ありえない想定だけれど)、それとも意識的にやっているのか、佐伯のキャンバスにはなにが塗りこめられているか知れたものではない。
 
 
 「下落合風景」でも、そんな奇妙な作品があるのではないかと思い、カラーの作品画像を拡大して丹念に調べていたら、はたしてそれらしい奇妙なものが見つかった。制作メモClick!に書かれた「曾宮さんの前」Click!と思われる、1926年(大正15)9月20日に描かれたキャンバスの表面に、どうやら人の髪の毛と思われるものが塗りこめられている。(記事冒頭の写真) 諏訪谷から「福の湯」の煙突Click!を望んで描いた上部、夕暮れが迫る空の部分にその影は見える。これは、佐伯自身の髪の毛だろうか? でも、写生するときは、いつも汚らしい帽子をかぶっていたはずなのだけれど・・・。あるいは、アトリエで加筆でもしたときに付着したのだろうか。ソッと取り出せば、佐伯祐三のDNA鑑定ができるかもしれない。
 それとも、たとえば、こんなことはなかっただろうか?
 「よう、佐伯くん、やってるね。きょうは、どこを描いてるの?」
 「はあ、曾宮センセClick!。センセんちの前を描いとります」
 「オレんちの前てえと、この急に建てこんじまった谷間かい?」
 「はい、夕方の光の具合がええんですわ」
 「どれどれ。あっ、いかん、髪の毛が付いちまったよ」
 「あ、ええんです。センセんちの前やさかい、記念にもろうときますわ」
 「し、しかし・・・だねえ」
 「ええんですわ。こないにして塗ってもうたら、ようけオモロイでっしゃろ?」
 「うーーん・・・、佐伯くんの芸術は、二科のオレにもよくわからん」
 
 あるいは、こんなことも、なかっただろうか?
 「あっちゃ~、また笠原のおっさんClick!がやって来よったで」
 「やあ、佐伯くん、やっとりますな!」
 「はあ、やっとります」
 「きょうは、ここですかな?」
 「はあ、ここで描いとりますわ」
 「どれどれ、拝見。ほう、諏訪谷の風景というわけですな?」
 「ここ、諏訪谷いいまんの?」
 「そう、諏訪谷。風の強い日は、カンバスの固定がたいへんですな」
 「・・・笠原はんも、風でオツムがたいへんや」
 「おっとっと、こりゃ失敬失敬。つい毛が飛んで、カンバスにくっついてしまった」
 「えろう、きてはりまんな」
 「き、きてる~? いやいや、佐伯くん、わしのおでこはとっても広いのさ」
 「こないな風の日に、あまり外出せんほうがええんとちゃいまっか?」
 「それもそうだね、佐伯くん。そろそろ暗くなるから、いっしょに帰ろうか」
 もう少しでサエキくんClick!のノリになってしまうところだけれど、さて、この髪の毛は、いったい誰の頭から抜けたものだろう?

■写真上:1926年(大正15)9月20日の夕方に描かれたとみられる、「下落合風景」の「曾宮さんの前」。左は、髪の毛が付着したと思われる部分の拡大と、右は画面の全景。
■写真中:上は、1926年(大正15)11月に帰省先の大阪で描かれた、『肥後橋風景』の部分拡大と全画面。近くでよく見ると、画面のそこかしこが泥だらけなのがわかる。下は、1928年(昭和3)2月にパリ近郊のヴィリエ・シュル・モランで描かれた、『村と丘Ⅰ』の部分拡大と全景。
■写真下:左は、キャンバスに向かう佐伯祐三。制作途中のキャンバスが写る、たいへんめずらしい写真だ。右は、1926年(大正15)ごろに描かれた『男の顔』(笠原吉太郎像/別バージョン)。山本發次郎コレクションのひとつなので、戦時中に焼失しているかもしれない。