先日、かつてほとんどお邪魔したことのない慶應義塾大学の、三田にある本学キャンパスへと出かけてきた。わたしのWebログへ、いつも貴重な情報をお寄せくださっている炭谷太郎様のご紹介で、高橋潤二郎名誉教授が主宰される「東京解読研究会」へ、情報環境学部の金安岩男教授を通じてわざわざお招きいただいたのだ。また、会場で貴重なご意見をいただいた、慶應義塾大学産業研究所長の清水雅彦教授と情報環境学部の熊坂賢次教授にも、同時に厚くお礼を申し上げたい。ほんとうにありがとうございました。
 わたしのWebログの経緯をはじめ、過去から現在、そして現在から未来について、たいへんおこがましくもお話させていただいた。テーマは、「目白・下落合の地域Web2.0」。(^^; こんなたいそうな題名を付けちゃって、つまらない話にもかかわらず、学部や研究所の教授のみなさんと研究者の方々、あるいは地方自治体の方々など大勢がお集りで、たいへん恐縮してしまった。
 慶應大学は、キャンパスがすばらしい。まず、三田の本学キャンパスからしてとても風情がいい。いかにも、学問や研究をするための学舎の雰囲気が横溢している。お招きを受けたのが土曜日だったせいか、ほんとうに静謐な空気が漂っていた。街中の延長のような、主婦たちが近道できるので買い物帰りに、「最近、Santokuのお弁当が美味しくていいのよ!」などと立ち話をしていたり、近所の子供たちが校舎の前で寄ってたかって大きなマンガを描いてたりする、どこかの大学のキャンパスとは大違いなのだ。(爆!) まあ、それはそれで、どこかの大学のよいところではあるけれど・・・。
 
 お話をするにあたり、Webログをはじめてから2年半の経緯や、目白・下落合地域との関わり、あるいは江戸東京の下町との関わりなどを、改めて大雑把に整理しホントいい加減に総括したのだけれど、その作業を通じて記事の方向性やテーマがどんどん変遷していくのに、われながら改めて驚いている。あと少しで、Webログを起ち上げてから丸3年が経過しようとしているけれど、さまざまな地域との関わりや活動が生まれる反面、書きそびれている、または積み残しているテーマや資料、物語は日々、累進的に増えつづけていくような気がする。おそらく、一生かかっても目白・下落合界隈のことを、表現し記録にとどめ、描きつづけることなどできはしないのだろう。
 お話のあとの質疑応答で、やはり多くの方が訊かれたのは、書きつづける・・・という行為そのもののモチベーションについてだった。わたしは、目白・下落合界隈が好きだから、あるいは江戸東京の下町方面=ふるさとのこの街全体が好きだから・・・としか、おおむねお答えできなかったけれど、もうひとつ、ひそかに眠る物語を探し出し、それをわたしなりの感覚で描いて記録するのが好きだから、つまり突き詰めれば、書き表現することが好きだから・・・という単純な欲求もあるのだろう。
 
 また、「いつまでつづけるのか?」、「目白・下落合に関するテーマが尽きたらどうするのか?」というご質問もあった。正直、いつまでつづくかわかりません・・・という、まるっきり気のきかないお返事しかできなかった。地域をめぐるテーマは、いまのところ、わたしには無尽蔵のように思える。書いても書いても、まるでネズミ算式にテーマが増えていくのは、どうしたことだろう? おそらく、この地域で生きてきた人々の数だけ、物語が存在し眠っている・・・ということなのだろう。
 下町についても同様に感じるのだけれど、人間を見つめて表現すること=それが足元の街を眺めること、街を識ること、そして街を語るということ・・・なのではないだろうか。

■写真上:慶應義塾大学本学キャンパスにある、昔ながらの造りの図書館旧館。
■写真中:左は、東門前の東京タワーも近い桜田通り。右は、東門上の東館。
■写真下:左は、福澤公園から見た塾長室のある塾監局。右は、福澤諭吉の胸像のある旧館。