佐伯祐三の贋作は、この世に掃いて捨てるほどあるのだそうだ。たとえばそれに近い例として、幕末の刀工・源清麿の、「作品を見たら贋作と思え!」という“お約束”に等しく、佐伯作品を見たら贋作を疑え・・・というほど多いらしい。昔から人気の清麿の場合、100作品あるとそのうち99振りまでがニセモノといわれているけれど、佐伯の場合も似たようなものなのだろう。刀打ちには、設備も材料も大がかりなものが必要で、鋼の入手経路から研師・白鞘師まで大がかりなチームが必要なため早々簡単にはマネできないが、絵画は古い麻布とそれなりの絵道具さえ手元にあれば、すぐに取りかかれてしまうだろう。
 知人よりお送りいただいた上の画面は、どうやら「下落合風景」Click!の贋作とされている作品のようだ。確かにデッサンも佐伯らしからぬヘタさで、ほとんど素人が描いたような絵だけれど、「佐伯作品」といわれていたらしい。パリの風景は、日々住んで目にしていないからわからないけれど、下落合の風景なら誰の家がどこに建っていて、地形が当時はどのようなかたちをしていて、道筋の細かな屈曲から、近辺がどんな風情をしていたかぐらいまでは、だいたいわかるようになってきた。その風景を実際に見て描いている佐伯は、デッサンの驚くほどのテクニックとともに、それをかなり忠実に写しとっている。ところが、贋作者は実景を見て描いてないし現場を知らないから、そこかしこにウソやほころびが見えてしまうことになる。
 おそらく、上の作品は「八島さんの前通り」Click!(1926年9月28日ほか)を描いたのだろうけれど、当の八島さんの前通りに一度も立ったことも、実際に現場の地形を見たこともない人物が描いたのではなかろうか? そのせいか、あちこちで“ミス”が目立つ。この絵の作者は、この突き当りがすぐに斜めカギ状の独特な屈曲している道筋になっていることを、おそらく知らない。だから、まっすぐ突き抜ける道のように描いてしまった。正面に、やや前後にズレた距離感をともなって見えるはずの住宅2軒を、道路の右手(実際は道の左側だ)へと誤って移動している。また、左側が箱根土地の第三文化村の敷地だったことも知らないようだ。それらしい風情を描いているが、文化村北辺の道沿いに建つ家々との距離感や、道を歩く人物の大きさとパースペクティブがメチャクチャだ。さらに、八島邸の門と建物との位置関係もデタラメなら、この道の右手(東側)すぐのところに佐伯アトリエがあることも知らないのだろう。右手のアトリエや養鶏場へと向かう、手前にあるはずの谷戸への下り坂も、丸ごと描き忘れていたりする。
  
 「下落合風景」の贋作が存在するとすれば、パリ作品のように絵の具の古さやキャンバス地の繊維などを、あえて分析・調査する必要がないかもしれない。それ以前に、そこに描かれている家々や道路のかたち、地形、風情などを見れば、下落合の実景を見ながら描いたのか、そうではないのか、地元の人間にはピンとくるだろう。つまり、史的な土地カンのない贋作者が描いた「下落合風景」は、ウソがすぐにばれてしまう。ましてや、そこに暮らしていた人たちの家々など把握できていないので、作品から下落合の生活感も土地の匂いもまったく感じられない。
 ずいぶん以前、面白いことに気がついた。佐伯の現存するカラーの作品画像を、スキャニングしてPCへ取りこみモノクロ画像へと変換してみると、まるで写真のように見えてしまう。カラーで見ていると、デフォルメが強くてありえないようなパリ風景でも、モノクロにしたとたん、写真のようなリアリティを感じ実景のように見えてしまう。これは、佐伯がなみなみならぬ高度なデッサン力を備えているということだ。以前、アナグリフClick!による3Dの「下落合風景」を作ったことがあるけれど、アナグリフ化がたやすいということは、作品のデッサンがきわめて正確であることの証明だ。デッサンが甘いと、アナグリフにしても立体には見えないし、モノクロにすると遠近感がメチャクチャな画面になってしまう。贋作の佐伯作品を直感的に見破る、ひとつの初歩的な手法になるかもしれない。

 パリ風景の贋作は、現場をよく知らない日本人にはわかりにくいかもしれないけれど、「下落合風景」の贋作は、屋根のかたちや塗り色ひとつとってみても、すぐにほころびが見えてしまう。別に美術分野のみに限らないけれど、ウソを見抜くベースとなるのは、その現場で起きた事実の収集と積み重ね、すなわち地域史の集積なのだと思っている。

■写真上:おそらく贋作と思われる、水彩の「下落合風景」(八島さんの前通り)。実際に「八島さんの前通り」に立って、八島邸方向の実景を見て描いてないことが、地形把握などから透けて見える。
■写真中:なぜか5作品も存在するといわれている、1925年(大正14)の佐伯祐三『コルドヌリ(靴屋)』。左から、石橋財団石橋美術館、茨城県立近代美術館、大手町某所の各収蔵作品。
■写真下:楽しいおまけの写真。1927年(昭和2)に野口彌太郎邸で開かれた、1930年協会による仮装パーティー。手前左端が木下孝則、中列の左から前田寛治、木下義謙、小島善太郎、里見勝蔵、後列左から3人めが野口。まん中の列は、特に不気味で気持ちが悪い。1927年(昭和2)6月に開かれたとされるパーティーだが、さて、佐伯はどこに?