わたしの手元にあった資料の中に、すっかり埋もれて気づかずにいた佐伯祐三Click!の『下落合風景』が見つかった。新たに見つかった作品は、しつこいほどに「八島さんの前通り」Click!だ。もう、ほんとうに佐伯祐三はこの通りが大好きで、ついでに八島さんちClick!も大好きだったに違いない。この通りへの徹底したこだわりぶりは、どこか病的な感覚すらおぼえるほどだ。この作品も、講談社と朝日新聞社の『佐伯祐三全画集』には収録されていない。このぶんでいくと、「八島さんの前通り」Click!にはまだまだたくさんのバリエーションがありそうだ。
 もちろん、この道は佐伯アトリエの直近(西側)にある、西坂へと通じる尾根筋の道だ。先日、贋作(?)Click!だろうということでご紹介した水彩の『下落合風景』も、この道筋をトレースしているようだ。うしろ向きに描かれた6~7人ほどの人々は、北側にある目白通りへと向かっている。また、右手の不動谷へと下りていく人物も同様に描かれているけれど、イヌを散歩させているかどうかまではわからない。左手は第三文化村だが、道の両側に並んでいる電柱にご注目いただきたい。先に書いた、大正期の電燈線・電力線の違いClick!を前提とすれば、道の左側(第三文化村側)にある変圧器の載った電柱が電力線、その他の電柱が電燈線ということになりそうだ。
 
 さて、この作品を観てすぐに思い出すのが、「制作メモ」Click!の1926年(大正15)10月21日(快晴)に描かれた、「八島さんの前」(10号)と「タテの画」(20号)の2作品だ。このうち、キャンバスサイズ(52.5×46.5mm)からいって10号の「八島さんの前」が相当するように思う。そうすると、従来「八島さんの前」(10月21日)だと考えていた作品は、同年の9月28日(晴天)に描かれた「八島さんの前通り」のバリエーション・・・という気がしてくるのだが。
 従来、佐伯祐三の『下落合風景』シリーズは30点余といわれてきた。でも、あとから見つかった作品や、写真に偶然とらえられたバリエーション作品なども考慮すると、とてもそんなに少ないとは思えない。30点余という数字は、あくまでも「制作メモ」に残された点数を勘定し、想定した点数であって、実際に描かれた作品点数からはほど遠いと思われるのだ。それは、里見勝蔵などにも手伝ってもらいながら、佐伯アトリエで600枚も画布を制作したというエピソードとも一致しないClick!ことは、以前にもここで触れたとおりだ。
 
 そして、なによりも「制作メモ」に残されている“サブタイトル”は、9月18日から10月23日のわずか1ヶ月と少しの間に制作されたと思われる点数にすぎない。秋から冬にかけ、そして翌年の初夏あたりにかけてまで、佐伯は積極的に下落合を中心とする風景画に取り組んでいたはずだ。それは、のちに「雪景色」Click!などと別のタイトルをふられてしまうことになる、明らかに『下落合風景』を描いた作品の数々をみても自明のことだろう。
 さて、またしても八島さんClick!の前の通りへ、『下落合風景』シリーズの描画ポイントClick!を加えてみよう。もうこの通りは、描画位置の▲印がいっぱいでゴチャゴチャだ。佐伯にはもう少し違うところ、特に現在では「下落合」と局限されてしまった目白駅寄りの丘上、中村彝アトリエが建つ林泉園あたりを描いてくれてるとうれしいのだけれど・・・。でも、佐伯のモチーフ選びの好みからして、お屋敷街や文化村に代表される下落合のハイカラな街並みは、決して描いてはいないだろう。

■写真上:1926年(大正15)10月21日に描かれたとみられる、佐伯祐三の「八島さんの前」。
■写真中:左は、同年の「下落合事情明細図」。右は、1936年(昭和11)の空中写真。
■写真下:左は、現在の「八島さんの前通り」。相変わらず左手の2本の電柱に、変圧器が載っているのが面白い。右は、同年10月21日に同時に描かれたとみられる「タテの画」。