以前、佐伯祐三の『下落合風景』Click!の中で、キャンバス表面の古いニスが洗われたとき、ついでにその下に塗られていた薄塗りの絵の具まで、いっしょに洗い落としてしまったと思われる、「遠望の岡?」Click!の不可解な表現Click!について書いた。佐伯が下塗りに用いたと思われる、シルバーホワイトが表面に露出してしまったらしい作品だ。これは、創形美術によって行われた「テニス」Click!の修復を、仔細に観察させていただいて気がついたテーマだ。
 もうひとつ、気になる佐伯の『下落合風景』がある。それは、いつものように「八島さんの前通り」へ立ち、北から西坂の徳川邸Click!がある南方面を眺めて描いた、「制作メモ」Click!には記載されていない冬バージョンの作品Click!だ。のちに、吉田博Click!がアトリエをかまえた第三文化村の邸横あたりに、ちょうどイーゼルを据えて制作している。佐伯アトリエからも、隣家にあたる青柳邸Click!の横を歩いて1分とはかからない描画ポイントのひとつだ。描かれた家は、おそらく下落合1444番地に建っていた高田邸あたりだろう。
 
 わたしは当初、この作品を降雪のあとに描かれたものだと思っていた。どうやら一時期、この作は「雪景色」とされていたころもあるらしい。作品の制作年は1927年(昭和2)と規定されているので、同年の冬から春にかけて調べてみると、屋根にこれほど積雪があった日は、2月22日(21.2mm)か3月13日(35.2mm)、あるいは同月20日(46.1mm)のいずれかであり、その数日後に描かれた風景だと思っていた。ところが、そうではなさそうなのだ。
 改めて画面を観ると、屋根上へ雪がこれだけ載っているのに、地面にはその痕跡すら認められないのがおかしい。確かに、周囲の樹木は冬枯れているので、冬季に描かれた作品であることは間違いないだろう。でも、雪が降ったと思われる痕跡が、屋根以外の箇所にはまったく見あたらないのだ。同作をもう一度スキャニングしなおし、拡大して観察してみると、どうやらこの屋根にも薄塗りの絵の具が載っていたらしいのがわかる。
 ああ、この作品も、変色した古いニスを洗浄するとき、またしても下の色まで洗い落としてしまい、下塗りのシルバーホワイトが露出してしまったのだろう・・・と、それで不可解な表現の課題がスッキリ解決した・・・わけではない。問題は、もう少しややこしいのだ。
 
 実は、この作品は「風景」とタイトルされて、1927年(昭和2)6月に開催された1930年協会の第二回展へ出品されている。そして、会場で撮影された写真Click!に偶然、描かれたばかりのこの作品が写りこんでいた。それを観ると、やはり屋根が白っぽく描かれているのがわかる。
 このような意匠の家屋には、黒っぽい瓦を載せるのが当時の常識だったろう。だから、塗られるとすれば「テニス」に描かれた家屋のように濃いグレーのはずだ。それとも、トタン屋根で明るいベージュまたは灰色をしていたものだろうか? 庭先にある物置と思われる小屋を観ると、その屋根はどうやら濃いブルーのトタンで葺かれていたらしいのがわかる。そして、薄塗りだったブルーは古いニスとともに、洗浄されてしまっているようだ。同様に、母屋の屋根も当初はベージュの薄塗りだったのが想像できる。それが一部洗浄で剥げてしまい、下塗りのホワイトが顔をのぞかせているのもわかる。でも、なぜ屋根をこのような色に塗ったのかがわからないのだ。
 
 高田邸が建築中であり、瓦がまだ載せられていなかった・・・とは考えられない。1925年(大正14)に作成されたと思われる「出前地図」にも、すでに高田邸の記載は見えている。急速に開発されつつある諏訪谷Click!を描いた「曾宮さんの前」Click!のように、建築中の家々を描いているので、瓦はいまだ屋根に葺かれていなかったのだ・・・という解釈も、どうやら成立しそうにないのだ。
 さて、佐伯祐三はなぜ高田邸の屋根を薄いベージュで塗ったのだろうか? まさか、ホワイトとブラックの絵の具を切らしていた・・・というわけでもないだろうに。

■写真上:左は、1927年(昭和2)のおそらく1月~3月ごろに描かれた『下落合風景』。正面の家は、通り沿いに建っていた高田邸とみられる。右は、描画ポイントから撮影した現状。
■写真中上:左は、庭先に建てられていた物置屋根の拡大。右は、母屋の屋根の拡大。
■写真中下:1927年(昭和2)6月に開かれた、1930年協会第二回展の会場写真とその拡大。
■写真下:左は、1926年(大正15)の「事情明細図」。右は、1936年(昭和11)の空中写真。