東京地方には、昔から「うまいもん」がたくさんある。黒潮や親潮にのってやってくる太平洋の豊富な魚介類にめぐまれ、関東平野で採れる獣鳥肉や野菜、果物もふんだんにあったわけだから、さまざまな料理が生まれてくるのは必然だった。それらの素材をベースにした多彩な料理が、江戸の全期間を通じて急速に発達していった。新鮮な刺身料理や握り寿司をはじめ、葛西の天然・品川の養殖で急速に普及する浅草海苔を使った海苔巻き料理、天ぷら、各種のすき焼きClick!や蒲焼きClick!などの焼き物料理、鍋料理、蕎麦Click!料理、飯料理Click!、丼物、重物・・・などなど、ひとつひとつの料理を数えあげたらキリがないほど数が多い。豆腐料理や茶漬けClick!だけでも、それぞれ数百種類のバリエーションが江戸期に発明されている。
 幕末から明治になると、これに隣りの神奈川(横浜)ともども西洋料理や中華料理が加わり、「うまいもん」の数は飛躍的に増えることになる。そう、下町ではこれらの美味しい料理類のことを、和洋中華を問わず「うまいもん」と表現していた。別に池波正太郎に限らず、うちの祖父も親父も美味しい料理を食べに行くことを「うまいもん食いに行こう」と言っていた。「うまいもん」は男言葉に限らず、女性も「なにかうまいもん、食べに行きましょ」とつかっており、少していねいな言い方になると「うまいもの」あるいは「美味しいもの」と、ちょっと気どった山手言葉の表現を取り入れている。
 山手弁では、もともとは「美味しいもの」というのが正しいのだろうけれど、「うまいもん」という言葉はジワジワと乃手にも浸透し、いまや古くから乃手に住んでいる男性は、けっこう「うまいもん」と表現される方が多いのではないだろうか? でも、根っからの乃手育ちの女性が「うまいもん」というのを、わたしはまだ一度も聞いたことがないのだが・・・。
 新山手の下落合に住んだ初の女性アルピニストClick!で料理研究家Click!の黒田初子は、「美味しいもの」と「うまいもん」の中間をとって、美味しい料理のことを「うまいもの」と表現していた。1937年(昭和12)にスタイル社から発行された『スタイル』12月号には、「うまいもの」と題する黒田初子のエッセイが掲載されている。これに対して、同誌へ寄稿した洋画家の仲田菊代Click!は、タイトルで「おいしいもの」と表現しているのが好対照で面白い。黒田の文章を、同誌から引用してみよう。
 
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 食慾の秋なんていふと、何と興ざめな女かと言はれませうが、私は「うまいもの」といふ言葉を聞いただけでニヤニヤツとしてしまふ位クヒシンボウです。ですから東京にゐても旅に出ても「うまいもの」には縁遠からぬ様にと心がけてゐます。(同誌「うまいもの」より)
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 険しい山を登っているとき、黒田初子がまず夢をみるのは江戸前Click!の握り寿司だった。彼女は特に貝類が大好きだったようだけれど、同時に下魚(当時)もかなり好みだったらしく、マグロの握りには目がなかったらしい。うちではいまだ脂身(トロ)は食べないが、彼女は大好きでよく食べていたようだ。召集で上海の前線にいる、寿司職人の手の無事まで心配している。
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 山に永いこと入つてゐると、美味しいものを思出します。冬山に行きますと山全体が雪で被はれてゐますが、所々に笹つ葉が雪に埋りきらないで出てゐることがあります。そんなのを見ると私は直ぐに「あゝ帰つたら直ぐに寿し幸に行き度いナァ」と思ふのです。彼処のお寿しは癖がなくて実に好きです。テラツとしたトロ、厚ぼつたくてヌルヌルしてゐるやうな赤貝、火であぶつて湯気の立つてる海鰻、淡いピンクのカンパチ、あゝ書いてゐてもゾクゾクする程に食べたくなります。いつもニコニコして左手に鮪の切身をもつて動かしながら、調子をつけて山葵をはさんで右手でシヤリをチヨイとつける呼吸は見ていても胸がすくやうです。若い握りての安さんも目下は上海で砲弾の中に奮戦していることでせう。どうかあの手にタマが当りませんやうに。 (同上)
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 和洋中華を問わず、昔から「うまいもん」には目がない人々が住んできた東京地方だけれど、そのせいで曾宮一念Click!や池波正太郎のレベルほどではないが、うちの親父も料理にはすこぶるうるさかった。ときに、素材の質にまで舌先がおよび、外洋と内海(養殖は論外)の魚の身のしまり具合にまで文句をつけたりする。料理が好きだったわたしは、ときどき腕によりをかけて作っては食べさせたのだけれど、褒められたことはただの一度もなかった。
 江戸東京の「うまいもん」好きは、おそらく日本でいちばん「うるさいもん」連中(れんじゅ)なのだ。

■写真上:代表的な江戸料理の天ぷら。目白文化村近くの小野田製油所で造っているような、混じりけのない伝統的な純正江戸胡麻油でカラリと揚げた天ぷらは最高にうまい。
■写真中:左は、わたしが好きなネタの甘エビの握り。ほかに、コハダやハマグリ、スズキ、アジ、サバ、アナゴなどが好きだ。右は、台風が八丈島あたりをゆっくりしたスピードで通過すると、伊豆へ大量に水揚げのあるキンメ。その甘辛い煮つけは、東京の代表的な秋の味覚のひとつだ。
■写真下:左は、1937年(昭和12)の『スタイル』12月号に掲載された日本橋はスッポン料理「まるや」の広告。右は、東京下町(日本橋人形町)で産まれた代表的な丼物のひとつである親子丼。わたしは、どちらかというと学生街(早稲田)で産まれたカツ丼のほうが好きだ。