子供のころの“匂い”について、このサイトでもずいぶん書いてきたけれど、秋になって空気が乾燥してくるころになると、キンモクセイの香りに混じって必ず近所で漂う匂いがあった。ちょっと鼻にツンとくる、塗りたてのコールタール(クレオソート)の匂いだ。
 木造家屋の外壁で、モルタルや漆くいが塗られていない部分、木や板がむき出しになっているところに、防水や腐食防止のために必ず1年に一度、職人たちの手でコールタールが塗られていた。家屋の外壁だけでなく、板塀や垣根、物干し、花壇の囲いにまでていねいに塗るお宅もあった。塗りたての木や板は油じみた黒光りをし、ちょっと消毒薬か下痢止め剤(正露丸)にも似たその匂いは、秋風にのってずいぶん遠くまで運ばれた。その匂いをかぐと、暑い夏がすぎて秋がきたことを子供心にも実感したものだ。そんな匂いの中で、サティClick!のピアノが流れていた。
 下落合には大正時代に建てられ、空襲をかろうじてくぐりぬけた邸宅が点在している。外壁が木造のお宅では、雨が少なくカラリと晴れ上がる日が多いこの時期になると、いっせいに防水塗装をはじめる。わたしの家の近所にも、大正末ごろに建設された和風住宅がいくつか残っているけれど、先週の後半から週末にかけ、何軒かがコールタールを塗られたようだ。秋の陽射しの中、そよ風にのってそのなつかしい匂いが、わたしの家の2階にまで漂ってくる。ひょっとすると、同じ業者が何軒かを同時に請け負っているのかもしれない。屋根や雨どいに降りそそぐケヤキの落ち葉掃除も、うちを含めて近所ではみんな昔から同一の屋根屋さんが担当している。
 
 海辺に家があったころもそうだし、親に連れられて東京の下町をブラブラ散歩しても、秋には必ず街角がこの匂いで満ちていた。わたしにとっては、子供時代を思い出すなつかしい匂いでも、若い人たちにはどうなのだろうか? 匂いの許容範囲が、非常に狭くなっているように感じるいまの子たちだけれど、はたして家々の防水塗料の匂いを「くさい」と感じてしまうのだろうか。初夏のころ、落合大根が育つ近くの畑Click!で撒かれる、有機肥料(たぶん肥えそのものだと思う)が風にのって漂ってくると、わたしも思わずのけぞってしまうのだけれど(せめて魚粕か生ゴミにしてくれるとありがたいのだが)、コールタールの匂いはまるで風物詩のように感じてしまうのだ。
 
 おかしなことに、わたしは少し前から流行りのアロマやお香がまったくダメで、ものの10分もしないうちに首のうしろが凝りはじめ、ひどい頭痛がしてくる。インド雑貨店などで炊きしめられた甘い線香の匂いがすると、ものの5分とはもたず、少しでも早く外へ出たくなってしまう。下落合にはエステー化学があるので恐縮だけれど、消臭剤や芳香剤のたぐいもとっても苦手だ。でも、近所のコールタールや肥えの匂いで頭痛がしたことは一度もないから、匂いの記憶をめぐる感覚は面白い。

■写真上:家の近所に建つ、秋の陽射しの中の大正住宅。
■写真中:最近、コールタールを塗られたばかりらしい大正期から昭和初期の建物たち。
■写真下:左は畑の、右はオバケ坂の木柵。毎年ではなく、数年ごとにコールタールが塗られる。