1933年(昭和8)1月から1934年(昭和9)12月にかけ、講談社が発行する「婦人倶楽部」に吉屋信子Click!の『女の友情』(前編)が連載された。丸2年間にわたる掲載だったが、連載がスタートするや1年めで空前のブームを巻き起こし、「婦人倶楽部」では講談社の初代社長だった野間清治と同夫人が、吉屋信子との誌上対談を特別に企画して実現している。おそらく、1920年(大正9)に発行が始まった「婦人倶楽部」が、過去最高の売り上げを記録したせいなのだろう。
 いまだ「前編」のみで連載途中だったにもかかわらず、築地の東京劇場では新派の俳優たちを中心に、すでに舞台の上演までがなされていた。老眼が進んだ野間夫妻は就寝する前、書生に『女の友情』を朗読させていたのだが、面白くて眠れなくなり午前5時ごろまで読ませつづけたこともあったらしい。それまで小説を読んで、そのような経験をしたことがなかったのだろう、野間夫妻はさっそく吉屋信子Click!に会ってみたくなったのだ。1935年(昭和10)1月に発行された「婦人倶楽部」の対談記事、「吉屋信子女史と野間社長夫妻の小説問答」から引用してみよう。
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 夫人 『女の友情』ほんとに面白くて眠れません程でした。
 野間 人に読ませて聞いて居りますと、読方が下手であつても、わかりいゝのと、わかり難いのとあります。吉屋さんなどの作品のクライマックスになる処など、非常にいゝのですが、読方が下手ですと、あのいゝ文章がぼつきりぼつきりする、それで近頃は文学の価値と云ふものが、だんだん更にわかり初(ママ)めた様で、従がつて社の仕事の上からも外の意味からも、寄稿家の皆様に対して絶大の敬意を常に怠らないやうにと伝へて居ります。(中略)殊に今度の『女の友情』などは大したもので、是非後編はみつしりと力を入れて戴くやうお願ひいたします。(中略)
 吉屋 さう仰しやつて戴けますのは、作者として果報な仕合せに存じます----私も婦人倶楽部の読者の方達は若々しくつて、それに前から、菊池先生、久米先生、加藤先生、三上先生などの御立派な作品がいつも掲載されて読者の方のお眼が肥えていらつしやるので、その大家のなかにまじる私の幼稚な作をも、よく掬みとつて下さつて、ほんとに有難いと思つて居ります。私が此の世で一番恐ろしいのは読者の方です。・・・社長様は恐ろしくございませんわ。だつて、社長様はたつたお一人なんですもの。何か失礼しても、『ごかんべん下さい』ですみますから・・・(笑声)
 野間 これは一本参りましたな。(笑声)
 吉屋 でも、眼に見えぬ幾十万の読者のお心は恐ろしうございます。(中略)でも、後編といふものは、前編よりもはるかに難かしいと存じます。少しでも皆様のお褒めに預かつた作品は、その後編は前と同じ以上、それ以上によく書けないと、見劣りが致します。
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 長編小説『女の友情』は、下落合2108番地の吉屋邸Click!で書かれた最後期の作品だと思われる。物語のヒロインのひとりで建築家と結婚した初枝は、新婚早々に東京郊外のシャレた住宅街に住むことになるが、そのイメージは間違いなく目白文化村Click!の街並みだったろう。3人のヒロインの中で、もっとも明るく楽天的な八百屋の娘だった初枝は、由紀子と綾乃にはさまれて狂言まわし役をつとめることになるのだけれど、東京郊外のハイカラな情景の中で幸福に暮らす彼女の姿は、吉屋信子にとってひとつの理想像だったのだろう。文化村を散歩Click!しながら、そこで暮らす人々を観察しつつ創造した人物像だったのかもしれない。
 吉屋信子が、建築に造詣が深かったことは有名だ。下落合の家も彼女自身が設計しているし、その後に移り住んだ家々も、大なり小なり自分で構想を立てている。講談社の野間社長との対談でも、その点が話題になっている。
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 野間 どうも女の小説家の前では、男は飯もよく食へんですな。(笑声) 例の鶯谷の待合の描写など、なかなか手に入つたもので、さうかと思ふと、建築請負の談合金まで知つて居られるし、それに、建築上の仕事にも非常に委しい、感心しましたよ。
 吉屋 待合の描写は残念ながら少々怪しいものでございますが(笑声)----建築のことは趣味と申しませうか、好でいろいろ御本を集めたりして、わからぬながら読み噛つて居りますので、私もし男だつたら、大学の工科へ入つて建築設計家になり度いと思ひます。そして恋し合つた美しい奥さんを連れて、自分の設計したビルヂングを案内して『これ、みんな僕が設計したんだよ』つて、(笑声)いばつて見(ママ)たいのが理想でございます。(笑声)
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 『女の友情』には、ふたりの建築家が登場するけれど、そのうちの慎之助に理想の男性像を託した・・・と、彼女はこのあとで答えている。でも、下落合でいっしょに暮らしていたのは門馬千代であり、その共同生活の中で唯一恋をした異性は、建築家ではなく近所に住む画家Click!だった。
 吉屋信子と野間社長夫妻との対談記事の最後に、『女の友情』に関する読者からの感想が掲載されている。寄せられた投稿は、どれもこれもテンションがすさまじく高い。「あゝ由紀子様、エリザベート様! あまりにも貴い! 申上ぐべき言葉さへもなく、たゞ涙です----」と、まあこんな調子の感想文が並ぶのだけれど、連載中の「婦人倶楽部」が毎月発売と同時に、書店の店頭から奪われるようにして消えうせたという、当時の様子をうかがい知ることができる。

■写真上:左は、鎌倉・長谷にある吉屋信子邸の居間。右は、下落合で撮影されたポートレート。
■写真中:左は、「婦人倶楽部」の誌上で対談中の野間清治社長夫妻(左)と吉屋信子(右)。右は、目白崖線の東端にある、椿山の胸突坂に面して残る旧・野間清治邸の跡。
■写真下:連載中にもかかわらず、東劇で上演された舞台『女の友情』。左はヒロインの3人で、右から由紀子(森律子)、綾乃(花柳章太郎)、初枝(英太郎)。右は、慎之助(柳永二郎)と綾乃。