しばらく長崎の「アトリエ村資料室」(豊島区千早町2丁目)にお邪魔してなかったので、久しぶりに下落合から散歩がてら歩いて出かけてみる。特別企画で「地図から何が見える?」展を開催していたのも、立ち寄ってみたくなった要因だ。目白通りをわたり、椎名町の商店街をブラブラしながら北上すると、すぐにも千早町へと抜けることができる。家からの距離は2kmちょっと、わたしの脚では20分と少しぐらいの行程だ。
 途中、下落合にある和菓子屋の老舗「桝田屋」で、ちゃんと江戸東京の長命寺Click!の装いをした元祖型・桜餅を買い、ひとつ食べながら歩いていくと、すぐに椎名町の商店街へと出る。椎名町の商店街は、学生時代にずいぶん利用したので懐かしいが、お店の様子がかなり変わっているのに時間の流れを感じた。友人のアパートが近くにあったため、その昔、よく食べに出かけたイタリア料理が主体の洋食屋はとうになくなり、わたしがフルートを手に入れた古道具屋もすっかり消えていた。長崎アトリエ村Click!の「さくらヶ丘パルテノン」Click!あたりでコーヒー&一服すると、また北へと歩いていく。「アトリエ村資料室」は、もう目と鼻の先だ。
 東京の総鎮守である出雲神のオオナムチ(オオクニヌシ)とも関わりが深い、スクナヒコナの粟島神社が見えてくると、旧・平和小学校を活用した「アトリエ村資料室」へ到着だ。さっそく、デザイナーの吉田孝氏が蒐集された地図類を見て歩く。興味深いのは、昭和初期に作成された地図類だ。特に、太平洋戦争の直前に制作された地図には、「仮想敵国」である米国やイギリス、フランス、オランダなどが太平洋に展開している艦隊の規模が、戦艦・巡洋艦(重・軽)・空母・駆逐艦などに細かく分類され、総トン数で記載されている。いわゆる、日本「包囲網」と呼ばれた「ABCDライン」が描きこまれた世界地図だ。つまり、それら各国の艦隊規模に比べ日本の聨合艦隊はどうなのか?・・・という、国防意識の高揚のために作成された地図なのだ。時期的にみても、無条約時代を迎えた各国が、激烈な建艦競争を再開していたころのものだ。
 
 もうひとつ、わたしが強く惹きつけられた地図があった。このサイトでもしばしば掲載しているけれど、大正期の「早稲田・新井1/10,000地形図」の原図だ。わたしが見慣れていた同地図は、落合地区(新宿区)や長崎地区(豊島区)が、ちょうどまん中にくるレイアウトのものだったが、原版で見るとその既視感は一変する。当然だが、描かれた地域の東側が「早稲田1/10,000地形図」であり、西側が「新井1/10,000地形図」なのだ。落合地区や長崎地区は、両地図の端に描かれていることになる。また、わたしの持っている地図と展示されていた地図とでは、大正期の制作年に2年(新井)と3年(早稲田)のズレがあるので、ぜひ欲しくなってしまった。
 わたしが「資料室」へ着いたとき、閲覧者はたまたま、わたしひとりだった。「1/10,000地形図」の2枚を、展示会スタッフから拡大レンズを借りて覗きこんでいると、「やぁ~、ど~ですか?」とやや年配の“近所のオジサン”がやってきて、その場にいた展示会係のおふたりと話しはじめた。わたしは、「なんで大正15年なのに目白文化村が描かれてないんだよ。不動谷は、やっぱり落一小学校前だしさ」・・・とかブツブツ考えながら、地形図を隅からすみまで眺めていると、「これだけ資料が集まると、本箱が足りないでしょ。もっといるよね」という声が耳に入った。「すぐに、持ってきてあげるよ」と、くだんの“オジサン”は言っている。こういう地元の熱心で奇特な方たちがいるから、このような資料室が維持できているんだな・・・と、わたしは改めて感心してしまった。
 「豊島区の文化をもっと広く発信すれば、自然に人が集まり活気のある街になるんですよね」と、“オジサン”はわたしの傍に来て言ったので、「わたしは、隣りの下落合から来たんですよ」・・・と、つい話しはじめてしまった。それから小1時間、エンエンと文化行政や地域の文化財、芸術などについて話しこんでしまった。わたしは落合地域や新宿区の例を出し、“近所のオジサン”は豊島区の例を出していろいろとお話してくれた。スタッフの話しぶりや、“オジサン”の話題性から、どうやら豊島区で文化行政にたずさわる方、文化関連部局か教育委員会の生涯学習部あたりの方だろうと想像して話しつづけた。これだけ、地元の文化について熱心で詳しい方が行政の中にいるから、街全体のイメージがガラリと変わって、区内に限らず区外からも人が出かけてみたくなる街へと変貌するのだろう。わたしも、現に隣り街からこうしてやってきている。
 
 話の後半になって、トキワ荘関連の事業や、文化庁の「文化芸術創造都市」部門で豊島区が文化長官賞を受賞したあたりの話題から、どうやら“オジサン”はもっと上の役職だと気づきはじめた。「これからすぐ、本箱を持ってくるからね~」と資料室から出られる直前、「地図展をバックに記念写真を」と頼んだら、「ふふふ、アトリエ村の画家たちの画集の前で」と快く応じてくれた。“オジサン”が去ったあと、資料室のスタッフに念のため「区長ですか?」と訊いたら、「はい、高野区長です。ときどき、散歩にみえるんです」とのこと。わたしは、豊島区長をずいぶん前に一度だけ、城西学園で行なわれた舞台『池袋モンパルナス』Click!で見かけただけで、お顔はほとんど知らなかったのだ。
 うーーむ、文化庁の「文化芸術創造都市」として、東京では新宿区がまっ先に受賞してほしかったのだけれど、“近所のオジサン”(失礼しました)いや高野区長の豊島区に、まんまと先を超されてしまったではありませんか。こうなったら、漱石山房の再現でも中村彝アトリエClick!の保存でも、落合文士村でも落合芸術村Click!でも、おとめ山公園拡張Click!でもタヌキの森公園化Click!でも、安東広重が『名所江戸百景』に描いた玉川上水の桜並木復活でもなんでもポジティブにやっていただき、豊島区の次につづけて受賞しましょうよ。>中山新宿区長
 決して、“近所のオバサン”なんて書きませんから。もし実現したら、特別大サービスで当サイトが存続する限り、“近所のオネーサンClick!”と書かせていただきますので。

■写真上:旧・長崎町の「アトリエ村資料室」がある、豊島区千早町2丁目の旧・平和小学校。
■写真中:左は、旧・長崎町に残る大正末から昭和初期の和洋折衷住宅。右は、「アトリエ村資料室」への目印となる湧水源に設置されたらしい粟島神社で、主柱はスクナヒコナだと思われる。
■写真下:左は、わたしの手元にある1923年(大正12)作成の「早稲田・新井1/10,000地形図」。目白文化村の街並みや道路が記載されておらず、いまだ「不動園」の名称のままとなっている。右は、てっきり資料室へ本箱を寄付してくれる“近所のオジサン”だと思った高野之夫豊島区長。