生きていさえすればいいのよ
 『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』(根岸吉太郎監督/2009年/日本)

 前作『サイドカーに犬』で、竹内結子がこの原作文庫を読んでいるのを見て、根岸吉太郎の次回作は『ヴィヨンの妻』に違いないと確信し、発表前からあちこちで言いふらした。公開が決まってからは観もしない先から、今年のナンバーワンだと会うひとたちに勧めまくった。
 なにしろあの古田新太から、あれだけの色気を引き出した監督である。浅野忠信の“大谷”がどれくらいダメでいい男か、観るまでもない。ところへもってきて浅野の離婚報道である。うわー、これ絶対、役に入り込んでいるなと思ったら案の定。宣伝用のポスターでは、大きななりして背をまるめ、松たか子に手を引かれるように歩いている。松が毅然と顔をあげているのに対し、はにかみ笑う浅野の目線は宙を泳ぎ、空いているほうの手にはさくらんぼの包み。これと予告編だけで、もう胸が張り裂けそうになる。
 
 同級生が『人間失格』ってすごいよと言っているころ、私は、ふん、メロスを書いた作家なんて…と、見向きもしなかった。オッサンとチンピラばかりの映画館の隅っこで小さくなって、雨に降られて入れ墨が落ちる『まむしの兄弟』に、せつないなぁと、涙していた。R15なんて指定がない時代とはいえ、相当変わった女子中学生である。泣くべきときに泣いておかなかったせいか、中年以降は涙腺のフタがぶっとんだみたいに泣ける。困ったものだ。
 青春時代に出会うはずの太宰と対峙したのは、すっかりオバサンになってから。最初に読んだのが、岩波文庫の『ヴィヨンの妻・桜桃』だった。いや、もうまいった。ぜんぶで十編の短編に出てくる男みな最低で、最高。あたりまえである、これすべて太宰治という一緒に死んであげると言ってくれる女に事欠かない色男なのだから。自分の足もとも固められないくせして、言うことだけは理にかなって素晴らしい。やけ酒呷って八つ当たりに吐くヘリクツがまた、あまりにも自分勝手過ぎて怒るのを通り越し、笑ってしまう。
 
 なにしろ松たか子演じた大谷の妻さっちゃんは、家に帰って来ない亭主に会うために、なんでもっと早く飲み屋で働くことに気づかなかったのだろうと言う天真爛漫(大谷に言わせれば「体がだるくなるほど素直」な女)さ。好きな男のために襟巻きを万引きするような女である。堤真一演じた元彼氏がほかの著作に出てくるのか、あるいは太宰の嫌いな“文化”とか“愛”なんてことばをシラフで口走る象徴としての役柄なのかはわからない。ただ松たか子のさっちゃんが“やられ”る相手を、行きずりの工員でなく、いまは弁護士となったかつての彼氏としたあたりに、いい意味でも悪い意味でも作り手の男らしさを感じる。とはいえ妻夫木聡が演じた工員はどこかで読んだ憶えのある「奥さんをください」なんてセリフを口走る屈託のなさで、この起用には納得できる。
 納得といえば広末涼子も然り。そのことしか頭にないような崩れ方と話し方がほんとにいやらしい。『ヴィヨンの妻』だと大谷のために身を持ち崩す年増女でしかない役を『桜桃』の数行とくっつけただけで、太宰の絶望しているのだか、ひとを食っているのだかわからない世界をみごとに体現した。松演じるさっちゃんの不自然なまでの清潔さが、裏を返せば、見切りをつけたらすぐ次の男に行けるいまどきのたくましい女に通じるなら、見かけばかり威勢のいい広末の秋ちゃんは、そこにいない男にいつまでも焦がれて死にかねない。
 
 こういう対極にある女ふたりを真ん中に立て、女を引退したような顔をしながら大谷といいこともあったおかみさん、それこそコキュなのに自分には真似できない大谷に惚れ込んでいるみたいな飲み屋の亭主……なんて人間模様を描けてしまう根岸吉太郎も、ベテラン脚本家の田中陽造(と書きながら、ふと陽造は葉蔵からきているのかと思ったが、それは余談)も、相当大谷的。無邪気な顔して、ひとの心にずかずか入り込み、あんたが甘やかすから俺がつけあがってしまうんだ、なんてセリフを吐いてきたんじゃないんですかねえ。
                                              負け犬
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