2月14日(日)の午前10時、中井駅へ集合した新宿歴史博物館の『下落合風景』ロケーション隊は、数日ぶりに「晴れた、よかった!」という気持ちをみなさん胸に抱きながら、旧・下落合Click!全域を西から東へと横断する、全15カットのロケーションを開始した。「“テニス”は青空だけれど、ほかは曇天が多いんですよね」という、どなたかの言葉は耳に入ったのだけれど、とにかく厳寒の中のロケなので太陽がないよりはあったほうがありがたい・・・と、一様にホッとした表情。きょうは、1927年(昭和2)4月に制作された笠原吉太郎『下落合風景を描く佐伯祐三』Click!にならって、「下落合風景を写す歴博ロケ隊」のレポートをおとどけしたい。
 まず、1カットめは中井駅前のロケ地点からスタート。佐伯が下落合を歩いていた当時、西武電気鉄道の線路Click!はすでに陸軍の津田沼鉄道第二連隊によって敷かれていたと思われるが、いまだ客車運行をスタートしていないので中井駅は存在していない。でも、こう表現しないとわかりづらいので、便宜上「中井駅」を起点にする。さっそく1カットめ、二叉路Click!の描画ポイントから撮影をはじめたのだが、そのあまりの変貌ぶりにどのような位置からどのような角度で撮影したらいいのか、ロケ隊はしばし立ちすくむ。線路を挟んで南側、妙正寺川沿いのほぼ同一地点から「上落合の橋の附近」Click!の1作を描いているのだが、二叉路の風景とともに駅前にごく近い描画ポイントなので、商店街の真ん中のような風情に変貌してしまっている。
★のちに上記「上落合の橋の附近」と思われた作品実物を日動画廊のご好意で間近に拝見し、「八島さんの前通り」(1927年6月ごろ)の1作であることが判明している。詳細はこちらの記事Click!で。

 しばらく妙正寺川沿いの中ノ道(新井薬師道)Click!を歩き、旧・下落合の西端にあたる「洗濯物のある風景」Click!の描画位置へ。ここは、昭和初期に行われた妙正寺川の拡幅・整流化工事により、描画ポイントと思われる当時の小川土手には、そもそも立つことができない。また、最近も洪水対策の護岸工事が行われていたのだけれど、どうやら少し前に終了したようだ。川の手前(下落合側)と向こう側(上高田側)から、佐伯が秋冬の二度にわたり描いた風景を撮影するが、もちろん洗濯物を干していた農家などとうに存在せず、住宅街を写すことになってしまう。余談だけれど、数日前に中野区の教育委員会へ、桜ヶ池不動堂Click!と新井薬師の絵馬堂および地蔵堂の古い戦前の写真が残っていないかどうか、正式に依頼してみた。佐伯が描く『堂(絵馬堂)』は、わたしにはなんとなく上高田界隈の匂いがしてきているのだが・・・。
 線路越しに、桜ヶ池不動堂の屋根が見えていたであろう地点から目白崖線を一気に上り、「アビラ村の道」Click!(上ノ道)を尾根づたいに歩きながら、「制作メモ」Click!に見える「遠望の岡」(?)Click!と比定できそうな、蘭塔坂(二ノ坂)上の描画ポイントへ。途中、プレ「帝銀事件」のあった三菱銀行中井支店Click!跡の前を通り、金山平三Click!のアトリエClick!で立ち止まりながら蘭塔坂(二ノ坂)に到着。この描画位置は坂道の傾斜やカーブが、当時の面影をよく残している。
 再び「アビラ村の道」へともどり、つづいて「テニス」Click!の描画ポイントへ。益満邸のテニスコートClick!は、戦後は中規模の工場が建っていたようだが、しばらくして社宅となり、現在では2棟のマンションが建っている。第二文化村Click!の外れにあった、2階建ての日本家屋も、また画面の右手に隠れている益満邸自体も、とうに存在していない。ロケ隊は、やはり撮影ポイントの位置決めに四苦八苦した。ときどきクルマが通るので、おちおち相談もしていられないのだ。次は、「テニス」の描画ポイントからわずか100mほど離れた、「制作メモ」にある「文化村前通り」(?)Click!とおぼしき描画ポイントへ。描かれた三間道路の屈曲に、独特な特長が見られる同作の風景は、現在から見ても面影が薄っすらと残っている。佐伯の『下落合風景』シリーズClick!では、道路や地形がはっきりと写しとられた作品は、現在でも描画ポイントをなんとか探し当てることができる。
 
 
 さて、つづいて「風のある日」Click!の描画ポイントへ。ここでは、ロケ隊全員がしばし絶句して立ちすくんでしまう。もはや、撮影のしようがないのだ。山手通りと十三間通り(新目白通り)との造成工事に深く掘削され、クルマが激しく行き交う大通りの真ん中あたり、空中2~3mほどのところにポッカリと描画ポイントが浮かんでいることになる。わたしが同作の描画位置を撮影したときも同様なのだが、1960年代半ばに風景自体が全的に消滅Click!してしまっているため、“そのあたり”のイメージを写真に収めるしかなかった。次に、目白文化村の住民たちが雪が降るとスキーやソリ遊びを楽しんだ、戦後に『雪景色』と題されている第四文化村近くの「スキー場」Click!だ。こちらも、大規模な急斜面の面影は残っているものの、昭和初期にひな壇状に開発された住宅街と、戦後に貫通した山手通り沿いに建つ大きなマンションの存在とで、佐伯が眺めていた風景の面影は限りなく薄い。
 「スキー場」をあとに、落合第一小学校Click!から会津八一Click!の霞坂秋艸堂Click!の前を通過しつつ、「八島さんの前通り」Click!へと進む。途中、笠原吉太郎Click!のアトリエ跡や、小川医院の更地Click!となった敷地を見ながら歩く。「八島さんの前」は、道筋や地形が比較的よく残されており、ロケ隊のみなさんも「あ、ここだ」と、すぐに気づかれた様子だった。吉田博Click!のアトリエClick!が建っていた道端から、さっそく撮影する。つづけて、「八島さん」の描画ポイントから第三文化村へ30mほど入った地点、菊の湯の煙突が見える『下落合風景』Click!の描画ポイントへ。菊の湯がもはや存在しないので、画角の設定に困るのだけれど、菊の湯跡近くに建っているマンションを目標に撮影。
 つづいて、佐伯が自宅前の谷間の斜面を描いたとみられる、『東京目白自宅附近』Click!の不動谷(西ノ谷)Click!へ。この作品は、1922年(大正11)の制作とされているが、もう少し制作時期が早いのかもしれない・・・と、美術家の方Click!が指摘してくださった作品だ。同作Click!は、単に雑木林の斜面が描かれているだけなので、やはり樹木が残る斜面をイメージで撮影する。次は、今回の展覧会で佐伯以外の作品が唯一展示される、佐伯米子の『エリカの花』(1947年ごろ)描画ポイントだ。同作については、改めて「下落合を描いた画家たち」Click!で詳しく取り上げてみたい。外観のリニューアルが終わった佐伯アトリエClick!へ立ち寄ったあと、ロケ隊は諏訪谷へと向かう。
 
 「制作メモ」では「曾宮さんの前」Click!と比定することができ、遺作展の未知作品Click!や『雪景色』2点を含めると、佐伯が好んで描いた風景モチーフのひとつだ。曾宮一念Click!のアトリエClick!位置とは反対側、谷戸の南側崖線から谷間に立ち並んだ住宅街を撮影する。でも、当時と現代の住宅とでは建物の高さが大きく異なるため、谷間の全景を撮影するのはもはや不可能だ。このロケ地で昼近くになったため、「墓のある風景」Click!の描画ポイントを通って薬王院脇から目白崖線を下り、佐伯展のポスターやリーフレットを貼っていただいているカフェ杏奴Click!で昼食に。
 昼食後、再び久七坂から崖線を上り、「墓のある風景」からわずか40mほど南の位置にイーゼルを立て、「池田邸」の和館を見下ろして描いたと思われる『下落合風景』Click!の現場へ。この描画位置は、宇田川様の邸宅の敷地内に入ってしまうため今回のロケ地では唯一、個人のお宅を訪問させていただいて撮影したケースだ。宇田川様は、もともと第一文化村の南に隣接した広い敷地をお持ちで、1960年代半ばまでそちらに住まわれていた。鎌倉時代までご先祖がたどれる、生っ粋の下落合地付きのお宅だ。そして、なんと第一文化村隣接の宇田川様の敷地の一画こそが、「風のある日」に描かれている場所なのだ。でも、その敷地のほとんどが十三間通り(新目白通り)の貫通でひっかかってしまったため、現在の場所へ転居された。ところが、引っ越された先がまたまた佐伯が描いた『下落合風景』の一画だったという、非常にめずらしい偶然が重なっている。
 再び目白崖線を下り、雑司ヶ谷道(新井薬師道)を東へ歩き、大黒葡萄酒Click!の工場跡を通ってロケ隊は旧・下落合の東端、山手線の「ガード」Click!へとたどり着いた。この風景も、いまでは家が建っていてイーゼル位置に立つことができないのだが、ガード脇の空き地を利用して近似した画角から撮影する。最近、コンクリートが塗りなおされたのか、少し前まであったガードのヒビ割れやシミがきれいに覆われていた。ロケ隊は、ガードから高田馬場駅へと抜ける途中、神田川沿いに竣工したばかりの戸塚地域センター脇から、明治期に導入されたレンガ工法の「イギリス積み」がそのまま残る、山手線の神田川鉄橋Click!を撮影して、一連の下落合ロケを終了した。
 

 午前10時にスタートして、午後3時前には終了したので、撮影カット数やロケーションの距離にもかかわらず、かなり効率よくまわれたと思う。図録では、作品の対向ページへ描画ポイントの現状風景と解説、さらに見開きページで1926年(大正15)に作成された「下落合事情明細図」をベースに、展覧会へ出品される『下落合風景』全14点+1点(佐伯米子)の描画ポイントが掲載される予定だ。図録のページ数はふくらみ、いまのところ130ページ前後となっている。

■写真上:当時の面影が残る、蘭塔坂(二ノ坂)上の「遠望の岡」(?)描画ポイントにて。
■写真中上:上左は、撮影スタート地点の二叉路。上右は、マンションが2棟並んで建つ「テニス」コート跡。下左は、スカート姿の女性が歩いてくる「文化村前通り」(?)。下右は、「風のある日」の描画ポイントなのだが、風景が全的に消滅しているので撮影位置に苦慮するロケ隊。
■写真中下:左は、『下落合風景』の中で制作点数がもっとも多い(2010年現在)「八島さんの前通り」。右は、菊の湯がなくなって煙突が見えない第三文化村の描画ポイント。
■写真下:上左は、大正期に建っていた「池田邸」和館の屋根を見下ろして描いたと思われる地点、宇田川邸の芝庭にての記念撮影。今回のロケでは唯一の個人邸内から撮影させていただき、さっそく佐伯展のリーフをお渡しする。上右は、コンクリートが塗りなおされた雑司ヶ谷道(新井薬師道)の山手線ガード。下は、1926年(大正15)作成の「下落合事情明細図」にみるロケ隊ルート。