以前に、岸田劉生が描く麗子マンガClick!を、曾宮一念マンガClick!などとともにご紹介したが、劉生は大正期に数々の妖怪マンガも描いている。水木しげるの懐かしい妖怪マンガがブームだそうだが、妖怪マンガは彼の専売特許ではない。いまから86年前の1924年(大正13)に、岸田劉生は日本の庶民的な妖怪変化を具象的な姿で描きとめている。これらの妖怪は、劉生が想像して描いているものと、江戸期の「妖怪図」から容姿を借りてきているものとがある。
 でも、劉生は妖怪や幽霊の存在を信じているわけではない。むしろ、科学的な眼差しから懐疑的かつ否定的なのだが、物の怪(け)や怪(あやかし)を感じる「鬼気」は、個々人の主観において形成される認識や感覚なので、自身の内部では実在している・・・という、矛盾した想いを吐露している。狐狸が化ける擬似妖怪については、人間の暗示や催眠状態が生みだす“幻”であって劉生は信じていない。確かに、タヌキClick!やキツネ、ムジナが自在に妖怪変化(へんげ)するのであれば、目白・落合地域は見越入道やのっぺら坊、ひとつ目小僧、しゅもく娘などのお化けだらけになってしまうだろう。劉生は、既知の類型認識にもとづく自己暗示や催眠により、「化かされた」人間が生みだす幻覚・幻聴や夢遊行為として、これらを全的に否定している。
 ところが、科学的あるいは客観的に妖怪や幽霊を分析し、そう否定しているそばから、自身が体験した幽霊話や夢に現れた妖怪話を披露しているのだ。しかも、話の中へ微妙に客観的で科学的な視点をまじえながら語るのだから、劉生の心理はややこしい。たとえば、『岸田劉生随筆集』(岩波書店)所収の、「ばけもののはなし」(初出は1924年『改造』9月号)から引用してみよう。
 
 
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 それは無論、半分夢のさめかけた時にみた幻覚だが、八、九年前私は夜中、ふと、自分のねている蒲団の裾の方に、髪をおどろにふりみだした女が、手を以て顔を掩(おお)うているのを見た。驚いて、ひとみをこらす中(うち)意識がはっきりして来たらそれは夢の一種のつづきで、襖(ふすま)をもれる隣室の電気の光を、夢でみていたものとむすびつけてそうみていたものという事が解った。/そしてその時私は、なるほど、幽霊には足がないなと思った。何故なら私のみたそれは、頭と手と胸の辺だけであとはボーッとしていたからである。
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 結局は、夢のつづきの幻覚として自身の内面では“処理”されているのだが、常に理性的にものごとを捉えようとしているにしては、劉生の文章全体がいつになく自信なげに感じられる。文脈の端々から、「あれは、ひょっとするとひょっとして・・・」という、そんな裏腹な想いがそこはか伝わってくるようだ。幽霊ばかりでなく、劉生は妖怪にも遭遇しており、上記の随筆集では自身の妖怪譚も披露している。こちらも、「まさか、そんなはずはない・・・」との想いからか、友人宅を舞台にした夢の話として片づけているけれど、単なる夢にしてはあまりにリアリティがありすぎるとも、正直に書き記している。劉生は、夢うつつの中で“鬼”に出遭っているのだ。
 
 
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 八畳ほどの部屋で、中央に電気がついている。夜である。皆座敷に立ったまま何か話している、私の家内の他にそこの主人とそこの細君の四人であった。部屋の左手は襖右手は障子だがあけはなしてあって縁側があり、その外は暗い庭である。私はふと右手の縁側を見るともなしに見たところ、其処に、へんな奴が立っている。それは鬼だが、顔の皮膚が丁度皮をむいた桜海老の通りの色をしている。へんに生々しい感じである。別に画にみるようなトゲトゲはないが短い角はある。髪はザン切りにしていた。それがひどく汚れた印袢天風のものを着て、汚れたひもを帯の代りに締めている。胸が少しはだけているがその皮膚はやはり顔と同様桜海老である。手はだらんと下げていたがやはり同じ色と感じを持っている。そいつが実に黙って縁側の外に立っているのだ、私はこれはいけない、イヤナものが来たと、全く心底から思った。この感じは恐らくこういうものを見た時の実際の感じに近いと私はいつも思っている。
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 この“鬼”については、夢の中に出てきたばかりで実体はないものとしつつも、おそらく劉生の中では主観的な怪(あやかし)の実在として認識されていたのではないだろうか? それが、否定しているそばから「ありうるかもしれない」、肯定していながら「人間が生みだす幻覚や妄想」というような、彼の揺れが感じられる曖昧な文章へとつながっているように思える。
 では、妖怪や幽霊と、劉生のいう物の怪=“鬼気”とはどこがどうちがうのか、前者はあくまでも科学が未発達な時代、人間が不可解な出来事や不思議に遭遇したときに想像した実在しないもので、後者は個々人の内部に「そのような感じ」として主観的に認知できる気配のようなもので実在している・・・ということが言いたかったようなのだが、自身の内部でそのように「整理」されているらしい両者の明確なちがいを、劉生自身は深く分析・追求して著してはいない。
 
 幽霊や妖怪、狐狸によるお化けを基本的に否定しているそばから、たくさんの妖怪マンガを描いた岸田劉生なのだが、実は怪談話が人一倍好きだったようだ。ひょっとすると、佐伯祐三Click!一家がクラマールで遭遇した化け猫騒動Click!も目を通していて興味をもったかもしれない。中でもきわめつけは、劉生のあとから巨大な妖怪「KUMOTORA(雲虎)」Click!が追いかけてくる、もっとも怖ろしい怪談話だろう。娘の麗子Click!といっしょになって、訪問客へのイタズラClick!を繰り返していた岸田劉生は、きっと妖怪のバチが当たったのだ。夢の中まで追いかけてきた、巨大な妖怪「KUMOTORA(雲虎)」は、全身から湯気が立ちのぼるほど怒っていたのだから。(爆!)

◆写真上:左は、1924年(大正13)に岸田劉生が描いた妖怪マンガの「あかなめ」。右は、水木しげるの妖怪「あかなめ」(c)水木プロ。(Copyright (c) Mizuki Production.)
◆写真中・下:同じく、1924年(大正13)の『改造』9月号の「ばけもののはなし」へ掲載された妖怪マンガいろいろ。下右は、劉生をどこまでも追いかけてきた巨大な妖怪「KUMOTORA(雲虎)」。