このところ、都内では道路工事があちこちで見られる。ダムや道路建設など、大規模な公共事業が徐々に減少し(それらの多くは人口増加および需要増加を、本質的な建設理由としている)、これまでなかなか進捗しなかった都内道路の計画線を、役所当局-外郭団体-ゼネコンともども稼ぎどきとばかり、大急ぎで建設しようとしているように見える。下落合の近辺でいうと、小滝橋から環5(明治通り)を経て早稲田へと抜ける補助74号線Click!、静寂な住宅地である目白台を打(ぶ)ち抜く環状4号線(不忍通り)、池袋から環6(山手通り)へと抜ける補助172号線、すでに貫通してしまったが一部が未完の山手通り地下高速道路のつづきなどがそれだ。
 以前の中央図書館移転の記事Click!でも書いたけれど、あと39年ほどで日本の人口は20~25%の減少、労働人口にいたっては30~35%の激減(総理府統計局予測)にもかかわらず、いまだにクルマが増えつづけると考えている、ゼネコンと結んだ怪しげな役所や外郭団体があるようだ。これら大正時代から昭和期の前半にかけて立案された道路計画が、なんら時代的な検証も統計学的な数値も、はたまた論理的な需用予測も反映されず、そのまま活きていること自体が信じられない現実だ。特に都市部で顕著な労働人口の激減により、わたしは東京におけるクルマの台数は現状よりも25~30%ほど減るのではないかと想像している。さらに、労働人口の推移と直接的にシンクロするとすれば、現在の約3分の1のクルマが消えてなくなることになるのだ。
 1996年(平成8)に発表された、新宿区による「都市マスタープランについて-21世紀のまちづくりへ向けて-」という資料が存在している。かなり以前のプランだが、そのPPTファイルの85ページ「②都市交通整備の方針」を見ると、これら都や国による前世紀の古い道路計画が活きていることがわかる。(冒頭図版) もちろん、西池袋から目白を斜めに横断し、下落合を縦断して早稲田通りへとつづく補助73号線Click!も、描きこまれたままだ。この「②都市交通整備の方針」から15年、社会環境の大きな変化により整備計画が見直されたとも、このマスタープラン自体が消滅したとも聞かないので、おそらくそのまま継続して活きているのだろう。だからこそ、下落合にある中央図書館の移転話が、降って湧いたように持ち上がっているのだと想定せざるをえない。

 
 きょうは、目白通りから神田川まで万が一、下落合を補助73号線が貫通したとすれば、消えてなくなる風景(もちろん周辺の家々も丸ごと)をご紹介したい。住民の方々のがんばりにより豊島区郷土資料館前、西池袋2丁目33番地で止まっている十三間(約24m)幅=新目白通り(歩道を含む)と同じ幅の補助73号線は、上屋敷公園の大半をつぶして大きく西へカーブを描き、西武池袋線の四叉路の踏み切りあたりを貫通して、閑静な目白の住宅街を斜めに打(ぶ)ち抜き、ピーコックストア前の目白通りへと接続する。微妙なルート変更により、上屋敷公園をすべてつぶし、目白の森公園が大通り前の公園となってしまう可能性もある。
 幅が約24m(計画図によっては25m)もあるのでピーコックストアぎりぎりか、あるいはビルを壊して南へと入り、すでにセットバックを完了している日本聖書神学校や目白教会のラインを基準とすれば、西へ24~25m入りこんだ住宅街をすべてつぶして南へ下ることになる。もちろん、大イチョウも消防団倉庫も「ことぶき荘」も道路の下だ。おそらく、七曲坂筋(鼠山道)沿いに建っている住宅、マンション、アパート、公共施設などのすべて、および裏側の家々も巻きこんでつぶしながら、下落合中学校の西へと出る。中学校のグラウンドも、数mほど削られるかもしれない。
 そして、鎌倉街道(雑司ヶ谷道Click!)と同時期の開拓とみられる、旧・下落合地域(中落合・中井2丁目含む)でもっとも由来の古い七曲坂Click!、およびその周辺の住宅地を丸ごとつぶして、同じ道幅の新目白通りへと貫通することになる。そのころには、たぬきの森Click!が緑地公園化されていたとすれば、ここも大通り前の公園となってしまうだろう。このとき、再びルートの微調整が行なわれ、買収しやすい落合中学校のグラウンド側が道路用地として規定されれば、七曲坂とともに大倉山(権兵衛山Click!)側を丸ごとつぶして、補助73号線を貫通させる可能性さえありそうだ。
  
  
  
  
 七曲坂をすべてつぶした補助73号線は、もっともおカネ(税金)がかかりゼネコンの顔がほころぶ工事へとさしかかる。西武新宿線が正面を横切っているために、高架にするかアンダーパス(地下ガード)にするか、七曲坂の手前で決めなければならない。新目白通りと補助73号線の交差点は、その先へ進む(線路を越える)ための高架ないしはアンダーパスの道路と、新目白通りへと入る道路の双方が必要となるため、インターチェンジ状のふくらみのある道路建設が必要となるだろう。ちょうど、現在の山手通りと新目白通りの交差点、目白文化村Click!あたりのような仕様だ。したがって、下落合氷川明神の本殿や拝殿もひっかかる怖れがある。また、七曲坂の下にある企業やビル、マンション、住宅は24~25mを超える道幅(35m以上)で取り壊しとなるだろう。さらに、新目白通りの南側にある中央図書館やマンション、住宅、店舗なども同様、役所やゼネコンの道路設計者にとっては邪魔で邪魔でしょうがないので、1日でも早くどいてほしいのだ。
 こうして、クルマが減った39年後の東京に、十三間幅の大通りだけが増えて残ることになる。もちろん、造りっぱなしというわけにはいかず、毎年かなりのランニングコストが必要となるのはいうまでもない。総人口・労働人口が急減しているため、どこの自治体でも税収が減って緊縮財政があたりまえであり(「緊縮財政」という言葉が死語になるだろう)、道路の維持・整備費の捻出さえままならず、一部の道路では荒廃がはじまるかもしれない。これは、主要幹線道路がまったく存在しない地域の話ではない。東京の真ん中、豊島区では南北の大通りである山手通り(できたばかりの地下高速道路も含む)と明治通りの間隔は1.3kmにすぎず、下落合ではすでに目白通りと新目白通りが東西方向へ2本も通い、明治・山手両通りの間隔はわずか2kmにすぎない。1kmおきに南北を貫通する大通りなど、先々の社会環境をまともかつマジメに踏まえるならばどう考えても不要なのだ。
 将来を見すえず、税金を湯水のように不要な社会インフラに投資する、前世紀の土建国家の臭気を引きずった、こんな「ブマ」で「ブザマ」★で「おきゃがれもん」Click!の計画は、早々に見直し廃止してもらわなければならない。少なくとも、補助73号線が貫通する予定の新宿区には、15年も前のPPTファイルの内容はチャラにする(止揚する)ぐらい、時代の動向や趨勢には敏感になってほしい。
★七曲坂筋をつぶす計画自体に腹が立つので、ここの地方方言Click!を並べてしまったが、いずれも芝居からきている東京弁下町言葉。ブマ(不間)は「間が悪いこと=状況や空気をまったく読めないこと」、ブザマ(不様)は「仕草や仕様がどうしようもなくみっともないこと=野暮なこと」。
  
  
  
 わたしに時間があれば、「補助73号線で消える風景。(西池袋・目白編)」および「補助73号線で消える風景。(上戸塚編)」を書いてみたいのだが、できれば計画地域にお住まいの地元の方々に、消える風景(家々)写真ともども記事をアップしていただきたい。
 先ごろ書いた「補助73号線のために中央図書館がどく?」の記事が、万単位のアクセスになっている。西池袋(旧・雑司谷6~7丁目)や目白、下落合、高田馬場(旧・上戸塚)の各地域にお住まいの方々が、やはり補助73号線計画に危機感を抱いてご覧になっているのだろう。もっとも、住民意識の現状を探るために新宿区や東京都の当該部局、ゼネコンの関係者ばかりがせっせとアクセスしてるのだとしたら、やだな。

◆写真上:新宿区が1996年(平成8)に作成した、「都市マスタープランについて-21世紀のまちづくりへ向けて-」の85ページ、「②都市交通整備の方針」における補助73号線記載。
◆写真中上:上は、クルマが25~30%減と思われる39年後へ向け計画されている、補助73号線の下落合における計画ルート。新目白通りとの交差点では、道幅が24m以上に膨らむだろう。下は、目白台を貫通する大正時代の環4計画予定地で閑静な住環境や景観が台無しになっている。
◆写真中下:補助73号線によって消える、下落合の風景あれこれ。写っている家々やビルはもちろん、幅が十三間もあるので写っていない両側裏の家々も残らずつぶされると思われる。
◆写真下:同じく、補助73号線によって消える風景(家々)。閑静な住宅地だった目白台を打(ぶ)ち抜く環4計画と同様に、用地買収がはじまったり住民の分断工作が進んでしまってからでは遅い。いまのうちに、計画の全面見直しと白紙撤回への道筋を、ことあるごとに新宿区へ提起していこう。西池袋・目白のみなさんは、文化的な景観や風情を大切にする区長のいる豊島区へ。