先日、中村彝Click!アトリエの記念館計画に関して、アトリエ保存・再築計画のほぼ最終案をお見せいただいた。計画は1926年(大正5)の最初期のアトリエClick!を復元するもので、わたしとしても非常にうれしい。庭のほうは最初期の風情ではなく、彝の結核が悪化するとともに日光浴を意識してか、日陰になる庭木を整理して芝庭を拡げた少しあとの姿だろう。
 いつかも書いたように、茨城県近代美術館に再現されている彝アトリエのレプリカClick!は、おおよその建物図面と、のちに鈴木正治様Click!が作成した設計詳細図が残り、中村彝が死去する関東大震災Click!後の最晩年、1924年(大正13)現在の姿だ。それとの差別化をする意味からも、下落合のアトリエは初期型の設計にこだわってほしいと願っていた。初期型アトリエの姿は、正式な建物図面としての設計図は現存しないものの、残されたアトリエ内外の数多くの写真や作品、また彝の友人たちの証言を手がかりに、かなり正確な再現が可能ではないかと考えていた。
 図面を見ると、アトリエ記念館への入り口は、彝が造ったものの開かずの正門Click!にしていた南側から入ることになる。1916年(大正5)にアトリエが完成した当初から、「岡崎キイの部屋」に接して南側(庭側)に設けられていた、ガラス張りの上げ蓋付き物置き(おそらく、庭の掃除道具や園芸の手入れ用具を入れたと思われる)が省略されている以外は、ほぼ初期型アトリエの姿を再現しているといえる。アトリエのテラスに、藤棚が再現されるのもうれしい。
 アトリエ西側の道に接し、レンガで造った通用門と勝手口が省かれ閉じられているが、これは記念館施設という性格からして、ひとつの出入り口に集約するのは仕方のないことだろう。そのかわり、緊急時の避難口が西側の道路に面して、本来の通用口(勝手口)のやや上(北寄り)に設置されている。台所の北側にあった井戸も再現されていて、こちらは初期型アトリエを再現するというテーマと同時に、緊急災害時の飲料水確保という観点から、下落合の豊富で清廉な地下水を活用する防災井戸も兼ねるというものだ。このあたり、キメ細かな配慮のひとつだと思う。その井戸の南東に樹木が見えるが、この樹はぜひ彝アトリエ当初からの柿の木にしてほしい。柿の実がなって落ちれば、彝アトリエの周辺に住んでいるタヌキClick!たちの、格好のエサとなるからだ。


 さて、あとはどれぐらいの樹木が残されるのか・・・、北東側に位置する手入れがよくゆきとどいた緑が濃い下落合東公園との、緑の連続性がどれだけ確保できるのか・・・なのだが、車椅子の利用上からアトリエをまわる通路を確保するために、建物に近接する樹木が伐られるのはやむをえないとして、問題はアトリエ前面(南側)に育っている樹木を、どれだけ活用できるかだと思う。アトリエの真ん前、彝が手ずから植えたアオギリはもちろん保存されるようだが、ほかの樹林に関してはどうだろうか? 敷地の東側にあった「ヒバの並木と花壇」が再現されるようだが、南側と西側の庭では現状の樹木をできるだけ活用してほしいものだ。
 また、林泉園の道に接した芝庭の中央あたりには、傷心Click!の彝が伊豆大島への旅行の想い出に植えた、オオシマツバキを改めて植樹するというのはいかがだろう? 現状の計画には含まれていないようなのだが、植木1~2本の問題なのであとからでも追加検討していただければ幸いだ。それから、アトリエに関してはベルギー製といわれる初期の屋根瓦のカラーを、彝自身が描いた『落合のアトリエ』Click!(1916年)などから追求・研究していただきたいことだ。独特な形状をしたフィニアルのテーマもある。現在のややピンクがかった赤色瓦は、戦後に鈴木様が葺き替えられたものであり、当初の色合いはもう少しオレンジがかった赤色をしていたものと思われる。この色合いの瓦は、大正期にずいぶん流行したものか、かつて下落合のあちこちで見かけたように思う。
 あとは、現存のアトリエ部材を可能な限り活用することと、それらの部材(特にドアには要注意)にどれだけ彝の痕跡が残されているのか、あるいは建設した大工の墨書きが天井裏の梁に残されていやしないか・・・など、最新の美術史学(中村彝研究)的な視点からの検証が、是が非とも必要だろう。これらのテーマについては、すでに記事Click!にしたとおりだ。
 
 中村彝アトリエ記念館のオープンは2012年に予定されているのだが、建物の外壁はどのような意匠が予定されているのだろうか? 都の消防法の観点から、なかなか困難なのかもしれないけれど、文京区の根津教会で実現された「元の姿のままリニューアル」のケーススタディもあり、できれば当初どおりの仕様で下見板張りに「クレオソート」Click!を塗布した、焦げ茶色の外壁と白い窓枠が似つかわしいと思うのだが・・・。
 もっとも、わが家の近くにある大正建築の外壁に「クレオソート」が塗られると、近所じゅうがその「いい匂い」に包まれてしまうので、外壁は焦げ茶色にカラーリングしたあと、防水・防腐のためのコーティングをほどこすのが、現代的な最適解ではないかと思う。わたしは、「クレオソート」の匂いが子供のころを想い出して懐かしく、それほどイヤな匂いだとは思わないのだが、現代ではヒンシュクものの刺激的な臭害になりかねないと思う。
 あとは、アトリエ内のコンテンツをどうするかなのだが、やはり1920年(大正9)の初秋に鶴田吾郎Click!と競作した『エロシェンコ氏の像』Click!の制作現場を再現するというのが、もっとも魅力的な美術テーマでありシチュエーションなのだろう。その際、中村彝と鶴田吾郎の画架位置Click!を踏襲し、イーゼルの上には彝の『エロシェンコ氏の像』(10号)と、鶴田の『盲目のエロシェンコ』(25号)のレプリカキャンバスを原寸サイズで載せたい。そのキャンバスは、佐伯祐三アトリエ記念館のような用紙へのカラーコピーではなく、それなりの質感をもった複製画面にしてほしいものだ。
 
 まがりなりにも美術に関するテーマ展示なのだから、少しでも作品画面の再現あるいは質感には気をつかってほしいのだ。先日、佐伯祐三Click!アトリエ記念館にご一緒した、豊島区の長崎アトリエ村の関係者の方から、『下落合風景』Click!作品のカラーコピーを笑われてしまいましたゾ。(爆!)

◆写真上:新宿区が計画している、中村彝アトリエ記念館の平面図(ほぼ最終形か?)。
◆写真中上:上は、平面図の拡大で赤点線が白枠でガラス張りの物置が設置されていた場所。下は、1916年(大正5)に撮影された竣工直後の彝アトリエで赤線部分が庭に面した物置き。
◆写真中下:もうすぐ解体・復元される予定の、中村彝(鈴木誠Click!)アトリエ。
◆写真下:左は、1916年(大正5)制作の中村彝『落合のアトリエ』(部分)。右は、「あのな~、中村センセの画室でゆうのんもなんやけどな~、わしの画室のカラーコピー、なんとかせなあかんで」。