先日、炭谷太郎様Click!より佐伯祐三Click!の『下落合風景』Click!が入ったから見にいきますか~?・・・というお誘いのメールをいただいた。ご案内の『下落合風景』は、銀座の日動画廊が入手したばかりとのこと。わたしは、さっそくうかがうお返事を差し上げたのだが、メールに添付された作品の画像を確認したところ、もう少しでイスからずり落ちそうになった。
 最初は、寺斉橋の近くへ宅地が新たに造成されて新築住宅が建設されたあとの、未知の『下落合風景』が発見されたのか?・・・などと、おマヌケにも色めきだったのだが、よく見るとすでに当サイトで描画ポイントも特定した、ご紹介済みの作品だったのだ。しかも、朝日新聞社の『佐伯祐三全画集』(1979年)へはモノクロ画面で掲載されたものだ。だが、『全集』のモノクロ画像と今回のカラー画像とでは、別の作品と見まがうほどの大きなちがいがあった。朝日新聞社のモノクロ画像は、製版時に反射原稿として用いられた紙焼き写真、あるいはその元となったネガあるいはモノクロポジが経年で劣化していたものか、結果的に印刷で相当なハレーションを起こしていたことが判明した。つまり、そこに描かれていなければならない作品画面の家々(特に遠景に建ち並んだ住宅群)が、丸ごときれいサッパリ消えてしまって存在しなかったのだ。(爆!)
 改めて、炭谷様からお送りいただいた画面を子細に観察すると、この作品は寺斉橋の近くを描いた想定「上落合の橋の附近」Click!などではない。またしても、「八島さんの前通り」Click!を描いたものであり、八島さんちClick!がしつこく反復して描かれていることがわかる。
 しかも、この作品には2000年前後に朝日晃が発見した、同じ風景のバリエーション作品Click!が存在することにもすぐに気づいた。また、八島邸の南側に納(おさめ)邸が竣工していること、1927年(昭和2)6月に開かれた1930年協会の第2回展に同作が出品Click!され、佐伯や前田寛治Click!、里見勝蔵Click!たちの背後に展示されていること、『下落合風景』にしてはめずらしく佐伯がていねいにサインを入れていること、そして佐伯アトリエの西側に佐伯自身が増築して、「大震災でもビクともせえへんかったんや」と周囲に自慢していた洋間部分と母屋がさりげなく描かれていること・・・などから、佐伯が日本にいるうちに残した『下落合風景』の最終作である公算がきわめて高い。
 
 時期的にみれば、下落合661番地周辺に建設されている家々の様子や太陽光線、そして1930年協会の第2回展が開かれた1927年(昭和2)6月17日~30日という時期に同作が出品されていることを併せて考慮すれば、この『下落合風景』が制作されたのは同年の6月の初旬あたり、もうすぐ夏至が近いある日の早朝であり、同作を第2回展へ出品した佐伯は、展覧会が閉幕するとすぐに、家族を連れて湘南・大磯へ避暑Click!に出かけている。
 1927年(昭和2)6月17日からスタートする第2回展の少し前、画面に描かれた家々の北側(手前側)の外壁にまで太陽光が当たる夏至も間近な早朝(おそらく午前6時~7時ぐらい)、このようによく晴れ上がった日は、当時の東京中央気象台の記録によれば、6月10日と12日の2日間しかない。少しスパンを長めにみて、同年の5月末も含めれば、5月29日と30日の両日のみであり、あとは曇りか雨の日々となっている。わたしの感触からすれば、佐伯が「20号を40分」Click!で仕上げるという制作スピードの速さを踏まえるなら、そして同作を1930年協会の2回めの展覧会用に準備したとすれば、6月10日か6月12日あたりの早朝が、もっともリアルな制作日時だろうか。もっとも、東京市内にある中央気象台のあたりは曇っていて、郊外の下落合地域が快晴だった・・・というような、かなり大きな気象差Click!があれば別なのだが。
 

 第2次渡仏計画を目前にひかえた、佐伯最後の作品と思われる『下落合風景』を、さっそく日動画廊へ拝見しに出かけた。ご一緒したのは炭谷様とともに、新宿歴史博物館の「佐伯展」Click!で図録づくりClick!をご一緒した、佐伯の卒制から60年ほど“後輩”にあたる美術家の方だ。さっそく応接室へ招き入れられたわたしは、壁に架けられた同作20号Fの画面へ目がクギづけになった。全体的にいえば、佐伯の「テニス」Click!などのこってりした絵の具の表現に比べれば、かなりあっさりとした描き方をしているが、傷みもほとんど見られずたいへん美しい状態で、所有者の方がとても大切にされていたのがわかる。美しく晴れ上がった空は薄塗りで、クラックや絵の具の剥脱もなく、描かれた当初の雰囲気がそのまま感じられる美品だ。
 佐伯の筆運びはかなりていねいで、このころの作品には頒布会用の間に合わせで描いたような“やっつけ仕事”的なものもある中、この『下落合風景』は入念な仕事をしている。それは、あえてサインを入れた作であることにも表れているが、佐伯会心の『下落合風景』だったのだろう。キャンバスの裏面は、「テニス」と同様に裏打ちがなされているので、おそらく裏面には(たとえば第1次渡仏時の作品Click!などの別画面が)なにも描かれていなかったことがわかる。また、画面を横から細かく観察すると、もともとなにかが描かれていた既存の作品上に、重ねて下落合の風景を描いてしまったものでもないことも歴然としている。アトリエで画布を張り、下塗りClick!をして乾かした600枚Click!のうちの新品キャンバスを用いて、佐伯は同作を描いている。
 
 描画ポイントは、炭谷様のメールに添付された画像を見たときから、すでに明らかだった。八島邸や、その南側の敷地へ1927年(昭和2)の前半期に竣工したばかり(あるいは完成しかかっている)と思われる大きな納邸を中心に、「八島さんの前通り」Click!を北側のクラックする位置あたりから、佐伯は南南東を向いて同作を描いている。この八島邸や納邸、そして手前に描かれた家々の背後に連なる家並みが、朝日新聞社の『全集』に掲載されたモノクロ画面のコピーからは、丸ごと“消滅”していたのだ。左手の「橋」だと見えていた構造物は、家のベランダの手すりとその下の横に延びた軒だ。画集や図録のモノクロ写真ではなく、やはりカラー画像ないしは実物を見ないと詳細がわからないのを、今回の“落とし穴”から改めて強く感じさせられたしだいだ。
                                   <つづく>

◆写真上:日動画廊でお見せいただいた、佐伯祐三『下落合風景』(1927年6月初旬ごろ)。
◆写真中上:左は、朝日新聞社版『佐伯祐三全集』(1979年)に掲載された同作のモノクロ画像。右は、朝日新聞社『全集』のモノクロ画面から消えていた家々の部分。
◆写真中下:上左は、1980年前後に朝日晃によって発見された同作のバリエーション。上右は、それよりも画角が広く描写もていねいな本作で、イーゼル位置がやや後退しているのがわかる。下は、1927年(昭和2)6月17日から開かれた1930年協会第2回展の会場写真で佐伯や里見勝蔵、前田寛治の背後に制作したばかりの同作が架けられている。
◆写真下:左は、薄塗りの空を横から観察した画像で、本作が別の作品の上に重ねて描かれていないことが明らかだ。右は、『下落合風景』ではめずらしい画面右下に書かれた佐伯のサイン。