敗戦から1年もたたない、1946年(昭和21)6月3日の朝日新聞に、当時としてはあまりめずらしくない強盗事件Click!の犯人逮捕を報じるベタ記事が掲載された。戦後の混乱期を反映して、新聞には連日にわたり強盗や泥棒、傷害事件の報道が見られる。新聞は裏表の2面しか印刷されない時代で、絞られたニュースの中での報道だけに、ことさら注目を集めた事件だったのだろう。
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 女も混る強盗団逮捕
 警視庁では二日女もまじへた六人組強盗被疑者を検挙した、住所不定茨城県生れ無職田代XX(二五) 鹿児島県生れ富山XX(二一) 埼玉県生れテキ屋乾兒<こぶん>松沢XX(一六) 東京生まれ前科一犯桜井XX(二二) 栃木県生れ松澤XX(二二) 東京生れ元箱根遊覧バス車掌大畑XX(二五)で彼等は二十八日午前二時淀橋区十二社三一五旅館業池田仲次郎さん方で家人を縛り、千五百円、衣類三十一点合計約一万円を奪つたのを手始めに洋服、衣類等数万円を稼ぎ賊品は上野の闇市でかせいでゐた(XXの伏字と<>内は引用者)
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 強盗団には女性が混じっていたことで、ことさら関心を惹いた事件だと思われるのだが、被害者には悪いけれど、当時の凶悪事件がつづく世相では、別にそれほどたいした事件だとは思われない。また、犯人たちは被害者を縛るだけで傷つけているわけでもない。でも、この強盗団は「怪盗ルパン」を名のって、いちいち押し入る被害者宅へあらかじめマメに予告状を送りつけており、しかもおもな舞台が下落合だったことから、がぜん、わたしの注意を引くことになったのだ。w

 
 事件は、淀橋区(牛込区と四谷区を含めて新宿区が誕生するのは翌1947年)下落合にある元自由新聞社報道局長の佐々木邸に、「かねて予告しておいたルパンはこの俺だ。静かにせぬと撃つぞ」と、ピストルをもった5人組の強盗団が押し入った。ルブランが描く「怪盗ルパン」はひとりの盗賊なので、不二子ちゃんらしい女性も混じった強盗団は、「ルパン三世」のような構成だったのだろう。いや、時代が早いから「ルパン二世」だ。突きつけたピストルはワルサーP38だったのか、それとも、どこか似ている旧軍の十四年式拳銃だったものか。
 奪うのはおカネばかりでなく、衣類や調度品などカネめのものは片っぱしからだったようで、それらを上野の闇市で売りさばいていたらしい。現在では、衣類や調度品を奪ってもたいしてカネにはならないけれど、当時はハイパーインフレClick!により交換価値が下がりつづける貨幣よりも、絶対的に不足していた日用品や調度品などモノのほうが、よほど価値があったのだ。
 佐々木邸につづき、同じく下落合の仙台農地開発団職員の八木邸と、近接する日本貯蓄銀行職員の川崎邸に、「怪盗ルパン」名で強盗を予告する脅迫状を送りつけている。脅迫状がとどくのは、たび重なる山手空襲Click!にもかろうじて焼け残った、昭和初期までは東京市外にあたる旧・下落合西部の住宅であり、強盗たちは焦土と化した東京市街では「商売」にならなかった様子がうかがえる。

 
 警視庁からは、銭形警部が出動したかどうかは記事に書かれていないけれど、1946年(昭和21)5月28日の淀橋区十二社にあった旅館の強盗事件で、まず一味の富山某が逮捕され、彼の自供から5人の仲間たちがいることが判明している。すなわち、それが記事に出ている残りの5名だ。そして、6月2日までにメンバーが次々と検挙されることになった。その後、7月までの捜査で強盗団「怪盗ルパン」は、実行犯5人のほかに、女性ふたりを含む合計14人の大強盗団であったことが判明し、7月19日までに全員が警視庁に逮捕されている。
 彼らの自供によれば、強盗や空き巣、窃盗を犯した回数は判明しているだけでも53件にのぼったらしい。「怪盗ルパン」の名前で、被害者宅へ強盗の予告状を送りつけるようになったのは、単なる目立ちたがり屋で、世間を騒がせたかっただけのようだ。
 「怪盗ルパン」事件の捜査が進展し、一味がぞくぞくと逮捕されている最中の同年6月18日、「怪盗ルパン」一味から脅迫状を送られた下落合の八木邸に、今度は「共産党ルパン2号」を名のる強盗の予告状がとどいたことから、事件はさらに衆目を集めることとなった。また、ほぼ同時に中野郵便局近くの甫庭邸にも、大学ノートにローマ字で書かれた「共産党ルパン2号」を名のる脅迫状がとどいている。当初は、「怪盗ルパン」一味の残党かと警視庁では疑ったようだが、捜査の結果、結局は中学生のイタズラであることがわかり、この生徒は警察や親からこっぴどく叱られただろう。
 
 考えてみれば、「怪盗ルパン」一味が脅迫状を送りつけた家は、勤め人や無職の一般家庭ばかりで、とりたてて大富豪やおカネ持ちではない。あまり大きな屋敷だと、警戒厳重で人も多いと判断したものか、普通の邸宅や高齢の退職者の家庭を中心にねらっていたようだ。それだけ切羽詰まり、食うに困る殺伐とした世相を感じるのだけれど、ホンモノの怪盗ルパンや怪人二十面相Click!が聞いたら、彼らのいい加減な仕事を嘆くだろうか? それとも、明日をも知れぬ混乱期、「ルパン」を名のるユーモアが残っていたことに、思わずニヤリと頬をゆるめるだろうか?
 さて、センセーショナルな事件の話題性から真っ先に飛びつきそうな読売新聞なのだけれど、同紙が事件を報道したのは6月20日とかなり遅い。次回は、読売新聞の記事から事件を見てみよう。

◆写真上:まだアーケード化もされていない、敗戦直後に撮られた新宿焼け跡闇市。
◆写真中上:上は、1946年(昭和21)6月3日の朝日新聞に掲載された強盗団逮捕の記事。下は、同日の新聞に掲載された西多摩の平井川河畔における食糧難解消のためのイモ畑開墾ニュース(左)、および進駐軍勤労部による各種職員の緊急募集広告(右)。
◆写真中下:上は、いつもの低空写真ではなく1947年(昭和22)に撮影されたB29による高高度からの空中写真。下は、激しい空襲から焼け残った旧・下落合東部の家々。
◆写真下:左は、新宿駅東口の闇市。右は、池袋駅東口の闇市。