下落合にも三峯(みつみね)社が存在していることを、先日、無處居遁人さんよりコメント欄Click!でご教示いただいた。三峯の社(やしろ)は中井御霊社Click!の境内、拝殿の向かって右手の社殿に鎮座していた。わたしは、コンパクトな同社殿をずっと出雲の八雲社と認識していたのだが、よく見れば社の軒先に吊るされたふたつの赤提灯の、左側のものには「八雲社」と書かれているのだが、右側の提灯には「三峯社」と書かれており、まったく見逃していたのだ。
 新宿区が出版するさまざまな資料類で、中井御霊社の項目については遺跡の上に建つ社でもあるので、かなりていねいに読んでいたはずなのだが、その「属社」にまで言及したものがなく気づかなかった。また、しょっちゅう目にしている社にもかかわらず、「八雲社」という印象が一度アタマに刷りこまれてしまい、その先入観が邪魔をしていたにちがいない。そして、この八雲社+三峯社の写真は、すでにこのサイトでも「八雲社」としてご紹介Click!済みだった。
 こういうところで、下落合に生まれ育っていないわたしは、とてももどかしく感じてしまう。地付きの方であれば、下落合=ニホンオオカミというキーワードが提示されれば、すぐにも中井御霊社の三峯社・・・と条件反射のように出てくるだろう。三峯社の祭礼さえ、いまでもつづけられているのだ。だから、地付きの方よりも“気づき”や“調べもの”のリードタイムが、おそらく倍以上もかかっている・・・と感じることがたびたびある。たとえば、戦後もずっと事業を継続していたクララ洋裁学院が、下落合の目白通り沿いのどこにあったのか、わたしはいまもってわからない。昭和初期に上屋敷(あがりやしき)から下落合へクララ社(出版社)とともに移転し、1944年(昭和19)末ごろの建物疎開で一度は壊されてしまうのだが、戦後に再建され、わたしも目白通りを歩きながら看板を目にしているはずなのだが思い出せない。子どものころから目白通りを行き来していれば、きっと印象に残る学院であり名前だったのではないかと思う。
★その後、目白通り沿いの建物疎開は、1945年(昭和20)4月2日から5月17日までの、いずれかの時期に行われているのが判明Click!している。
 さて、さっそく三峰社について取材しようと、中井御霊社の社務所へうかがってみる。残念ながら宮司さんは不在だったが、なんらかの氏子連あるいは講中の集まりでもあったのか、古くからの氏子と思われるお歳を召した方が代わりに教えてくださった。その方によれば、御霊社境内の三峯社はもともと下落合のどこかに奉られていた社を合祀したものではなく、江戸期に御霊社の氏子のひとりが秩父の三峯社からわざわざ勧請し、当初から御霊社の境内へ奉っていたらしいとのことだ。つまり、落合地域にも古くからニホンホホカミが棲息していて、それを奉るために室町期以前より社が建立されていたのではなく、すでに凶作除けあるいは厄除け神として信仰を集めていた江戸期に、ちょうど稲荷社Click!と同様の役割を担うために秩父から勧請されたのだろう。
 
 
 秩父山系までいかなくても、江戸の郊外にはニホンオオカミが必ず棲息Click!していたと思われるのだが、それは江戸期以前のことになるのかもしれない。中野の氷川社境内には御嶽社が現存し、ニホンオオカミの絵馬が奉納されているけれど、これも江戸期に勧請されたものだろう。ただし、5代将軍・徳川綱吉は「生類憐み令」の中で、ニホンオオカミのことを強く意識している様子がうかがえるのが面白い。いまに伝わる『徳川実紀』の、1689年(元禄2)6月28日の項から引用しよう。
  ▼
 けふ令せられしは、先令のごとく生類愛憐の心をもはらとすべし。こたび令せらるる御旨は、猪、鹿は田畑を害し、狼は人、馬、犬等を傷損するがゆへに、猪、鹿、狼荒るる時のみ、鳥銃もて打しむべしと令せらる。万一、思ひたがへて仁慈の心を忘れ、故なく銃打ものあらば、きびしくとがめらるべし。公料私領にて猪、鹿の田畑を害し、狼の人、馬、犬を傷ふは、先々のごとく心いれて追払ふべし。(中略) 猪、鹿、狼暴横のときばかり、日をかぎり銃うたしむべし。
  ▲
 さて、この文書の中で「狼の人、馬、犬を傷ふ」とあるが、ニホンオオカミは人間を襲うことはほとんどなかった。大陸オオカミに比べ、身体が小型だったせいもあるのだろうが、もともとオオカミは神経質で慎重な性格をしており、狂犬病が伝染した個体は別だが、人を襲うことは稀だったろう。平岩米吉の研究(『狼―その生態と歴史―』)によれば、江戸期の寛文年間から嘉永年間にかけての180年間に記録された、ニホンオオカミが人を襲った事例は20件。そのうち、7件が明らかに狂犬病に侵された個体だった。また、ヤマイヌ(野犬)をニホンオオカミと混同して、「咬まれた」と報告する事例も多かったと思われる。専門の猟師なら別だが、山歩きや田畑で襲われた当時の一般人が、ニホンオオカミと野犬の群れとを冷静に判別できたとは到底思えない。
 ニホンオオカミは、明治政府によるストリキニーネなどを用いた絶滅政策により、1905年(明治38)1月23日に奈良県吉野で捕殺され、ロンドンの大英博物館へ送られた個体が最後であり、以降は絶滅したとされてきている。でも、それ以降もニホンオオカミの目撃情報はあとをたたない。南方熊楠Click!は1910年(明治43)、つまり「絶滅」後に“送りオオカミ”に出会って山小屋へ避難してきたふたりの樵(きこり)のエピソードを、1930年(昭和5)の『民俗学』5月号に発表している。
 
 また、大正期から昭和期にかけても、各地でニホンオオカミの目撃例がつづいている。いや、戦後も何年かに一度は、目撃情報や吠え声を聞いたという記事が報道されてきた。関東地方の代表的なケーススタディには、1964年(昭和39)に埼玉県と群馬県の境にある両神山での目撃例がある。1993年(平成5)に出版された柳内賢治『幻のニホンオオカミ』(さきたま出版会)から、目撃の瞬間を少し長いが引用してみよう。沢登りの最中に、「ウォーン」という地響きのような低周波の唸り声をパーティ全員が聞いたあと、山道を跳びながら逃げさる里イヌの異様な姿を目にした直後の情景だ。
  ▼
 無言のまま彼が見詰めている方向へ目を移していくと、前方二〇メートル余りのところに一匹の犬らしきものが突っ立っているではないか。犬とわれわれ三人の間は深さ三メートルほどの窪地になっていて相互の窪地を遮るものはなにもない。私は最初、シェパードかなと思ってみたが、シェパードとはどこか感じの違う野性味を漂わせている。じっと見詰めているうちに、私は体がぞくぞくしてくるのを覚えた。他の二人も黙ったままでいるところを見ると、本能的に恐怖感に襲われていたと思う。/シェパードらしき相手は突っ立ったまま動こうともしない。突っ立ったという感じは腰をやや落とした姿勢ながら、前脚をしっかり踏ん張っていたので、そう見えたのかもしれない。脚は前も後も普通の犬より太いなと思った。毛は茶色がかった灰褐色だったと記憶している。鼻筋が水平に見えるほど顔をあげていた。その姿勢は二五年以上経った今でも私の瞼に焼きついたままである。/尾は垂れていたと思う。上に巻いていなかったことは確かである。それは相手が警戒姿勢であったことを意味する。耳は体に比べ小さく感じられた。ときどき耳をピクッ、ピクッと動かしていたのは周囲の動きに気を配っていたのであろう。/かなり後になって、ブラウンスという東京帝国大学の雇い教師だった人が描いたオオカミの絵を見たが、ちょうど私が見たのとそっくりであった。絵はオオカミの右側を描いていたが、私が見たのは四五度斜めの姿勢をとっているオオカミの、左側面であった。(中略)/相手は口を結んだままであったので、それほど恐ろしさを感じなかったが、その眼光の鋭さ、威風堂々たる態度を見ると、理屈抜きに射すくめられてしまった。それは私ばかりでなく、同行の二人も同じような恐怖感を受けたのではなかろうか。
  ▲
 明治末に、ニホンオオカミが絶滅(に近い状態)に追いこまれて以降、日本の農業や林業はシカやカモシカ、イノシシ、サル、クマなどの獣害に悩まされつづけ現在にいたっている。その被害は年々増えつづけ、地域によっては廃業を迫られる事態にまでたちいたっている。猟期のハンティングによる頭数制限では、まったく間に合わないほどの深刻な状況だ。食物連鎖におけるヒエラルキーの頂点にいた動物を絶滅させたのだから、動物界の環境がメチャクチャになるのは必然だった。今日では、大陸オオカミの導入を検討する研究者も現れているけれど、ニホンオオカミをなんとか復活させる手段はないものだろうか?
 

 野犬が減って狂犬病の予防注射も浸透し、明治期のように狂犬病に感染して人間を襲う怖れも、さらに少なくなっているだろう。バイオテクノロジーでマンモスを復活させるプロジェクトがあるけれど、マンモスよりニホンオオカミの復活のほうが、今日的にはより意義が大きいように思えるのだが・・・。

◆写真上:中井御霊社の社殿横に鎮座する、江戸期に秩父から勧請された三峯社。
◆写真中上:上は、中井御霊社の拝殿(左)と三峰社殿裏から見た本殿の側面(右)。下は、中野氷川明神社の参道(左)と同社境内にある御嶽社へ奉納された大神絵馬(右)。
◆写真中下:左は、1933年(昭和8)撮影の埼玉県秩父の三峰社境内に設置されていた大神石像。右は、静岡県磐田にある山住社に伝わる高さ12cmほどの神狼土偶。
◆写真下:上左は、江戸期にシーボルトがオランダへ持ち帰ったニホンオオカミのはく製でライデン王立自然史博物館に保存されている。上右は、東京国立科学博物館に保存されている剥製標本。下は、1996年(平成8)に埼玉県秩父山中で撮影された特異なイヌ科に近似する野生動物。