このところタヌキが数匹、家のまわりをウロウロしている。暖かくなって、タヌキたちの活動も活発化しているのだろう。ときどき、すごい声で「グギャーギャーッ」と鳴き交わすので、繁殖期に入ったのかもしれない。タヌキが冬に備えて、大量に食べる大好物にカキの実がある。本州で栽培される在来種の果物の中で、もっとも糖度が高くて甘いのはカキではないだろうか。昔から、よくカキの食べすぎは身体を冷やすなどといわれてきたが、糖分の過剰摂取によって冬を間近にひかえた季節に冷え性にならないよう戒めたものだろう。落合地域は、江戸期の早い時期から「落合柿」の産地として知られていた。
 落合地域で収穫されるカキだから、地元の地名をとって「落合柿」と呼ばれていただけで、別に「落合柿」という品種が存在するわけではない。落合地域で採れるカキの種類には、「禅寺丸」や「蜂屋」、「樽柿(富有)」、「百目」、「早生柿」、そして「渋柿」などの種類があったようだ。この中で、もっとも糖度が高く甘いカキが「禅寺丸」と「樽柿(富有)」で、市場でも人気を二分していたようだ。それぞれのカキは、早めに収穫して保存しておくと甘みが増すものから、完熟を待ってもがないと渋みが残って売り物にならない種類まで、収穫のタイミングもさまざまだった。
 収穫したカキは、平ざるに入れて大八車に荷造りし、江戸川橋の青果市場か神田のやっちゃ場へと出荷された。ただし、出荷前にカキの木を丸ごと買い占めにくる、市街地の商人(おそらく水菓子屋だろう)などもおり、カキの実をめぐる商売のかたちもいろいろだったようだ。中には、11月に行なわれる池上本門寺などの「御会式」用に、付近のカキを買い占めて歩く商人もいたらしい。落合地域のおもな農産物である穀物や野菜類に加え、「落合柿」は農家の大きな副収入源としてたいせつに栽培されたのだろう。
 落合地域でカキの巨木として有名だったのは、新宿区の文化財(天然記念物)に指定されていた小野田家のカキの樹だ。樹齢は200年ほどだったようだが、2003年(平成15)に小野田邸の解体とともに落合公園へ移植Click!されたあと、残念ながら枯死してしまったようだ。1982年(昭和57)に出版された、『新宿区の文化財(4)史跡(西部篇)』(新宿区教育委員会)から引用してみよう。
 
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 この柿の木は樹齢約二百年の古木で、高さは十五メートル前後、根廻りは一・九メートル、目通し一・七メートルもあり、柿の木としては巨木といえよう。カキの原種ヤマガキと推定されているが、面白いことには、一木で甘柿と渋柿が実ることで小野田家の伝えでは甘柿の方はデンジュマル、渋柿の方はイモンとのことである。若木のうちに継木をしたものであろう。/古木ながら盛いがよく、うっそうと葉が繁り、沢山の実をつけている。
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 少しでも甘く美味しいカキの実を収穫するために、落合地域には昔から「成り木責め」と呼ばれる、一種の“おまじない”のような風習があった。おそらく、落合地域だけでなく、周辺の村々でも行われていた、昔ながらの風習だろう。本来はカキの木だけでなく、実のなるさまざまな樹木に対しても行なわれていた“おまじない”ではないだろうか。ちなみに、「成り木責め」は現在でも全国各地の果樹園などでみられる風習のひとつだ。
 新しい年を迎え、カキの木が新芽を準備しはじめる新春(1月)の7日~15日、その木の根元を鉈(なた)の背中で、少し強めにたたいてまわるというものだ。そして、鉈の背で少し傷ついた根元に向かって、「ならべっこ、ならべっこ、成るか成らぬか、成らねば根っ子から伐り倒すぞ」と、3回ほど繰り返して脅すのだ。さらにそのあと、まるで坂上二郎のように「成ります、成ります」と自分で返事をしw、傷ついた根元に正月の小豆がゆをすりつけていく。
 
 この脅し文句には、いろいろなバージョンがあったようで、農家ごとに“決まり文句”のようなものが存在したらしいが、鉈の背中で根元をたたく所作は共通している。実際に、根元を少し鉈で傷つける農家もあれば、ただトントンとたたいて終わりという家もあったらしい。「ならべっこ、ならべっこ、成るか成らぬか、隣りの爺さんに訊いたなら、成るとおっしゃった。そんなら勘弁してやるぞ」と唱えるだけで、「成ります、成ります」の自答が省略されるケースもあったようだ。
 この風習は、カキの木へ語りかけて(脅かして)少しでも実を多くならせよう・・・というような単純な意味合いではなく、木の精霊(木霊)を責めることで、新たな生命が自然神から吹きこまれるというような、昔ながらのアニミズム的な世界観にもとづく習慣が、そのまま20世紀までつづいていたようだ。この“おまじない”は、実のなるカキの木へ1本残らず行われた。
 
 これだけ「落合柿」が採れたのだから、きっと農家の軒下にはいたるところに干し柿が吊るされていただろう。わたしは、果物は干したものよりも生のままのほうが好きなのだが、ときどき無性に干し柿が食べたくなることがある。いまは、身体によくないのでめったに食べないけれど、干し柿にやや塩気が強めのバターをつけて食べるのが好きなのだ。ときどき、お節料理にも入れたりする。

◆写真上:食べ物が豊富な秋、タヌキがぜいたくな食べ方をした熟ガキの実。
◆写真中上:落合地域で採れた、甘みの強い禅寺丸柿(左)と樽(富有)柿(右)。
◆写真中下:同じく、とんがったお尻が特長の蜂屋柿(左)と百目柿(右)。
◆写真下:左は、旧・下落合4丁目の小野田弥兵衛邸の庭にあったカキの古木。右は、秋になるといまでも下落合のあちこちで目にするカキの実。