5月に入ってから、イギリスのBBC(英国放送協会)とNHKの共同撮影チームが、下落合で都会に棲息するタヌキをテーマにロケーションを行なっている。BBCが制作している、『WILD JAPAN(ワイルド・ジャパン)』Click!という日本の自然をテーマにしたドキュメンタリー番組で、来年(2015年)以降にイギリスや日本をはじめ世界各地で放映される予定らしい。下落合のタヌキも、どうやら国際的になってきた。わたしの家の周囲でも、夕方から夜中にかけて道端でカメラをかまえるクルーたちを何人も見かけた。最近は日々、わたしの家の前をまっ昼間(ぴるま)から、つがいのタヌキがゆったりと散歩してカメラにポーズをとってくれる。(娘が撮影)

 でも、きょうのテーマはタヌキではなく、昔は下落合にもいたキツネの物語だ。
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 落合地域には、幕末から明治にかけてキツネもいくらか棲息していたようだ。それは、直接の目撃例もそうなのだが、落合のキツネに化かされたフォークロアがたくさん残っている。以前、人間がキツネに化けて詐欺を働いたエピソードをご紹介Click!したので、今回はキツネが人間を化かした伝承をご紹介したい。でも、落合地域にはこのような伝説をまとめて収録した資料が存在しないので、お隣りの上高田から落合地域へやってきて化かされた事例だ。
 ただし、ある村の人間がよその村へやってきて、まんまと「キツネ」や「タヌキ」に化かされるというエピソードは、江戸期からつづく“ムラ”という共同体の排他的な意識も含まれていることを考慮しなければならない。自分の村から外へ出ると、どんな目に遭うかわからない……という、一種の排外意識をともなう戒め的な要素だ。「よその村では、どんな化けもんに出遭うか知れたもんじゃない」というような、排他意識があからさまに感じられるエピソードは除外するとして、明らかに素朴で不思議かつ怪しい伝承にしぼってご紹介したい。
 まず、上高田から上落合の神田上水(現・神田川)あたりへ釣りにきた人物の伝承だ。この明治期と思われる伝承に登場する「山」は、おそらく小滝台(華洲園Click!)の小高い丘であり、村人が釣り糸をたれた場所は小滝橋Click!が架かる近辺だと思われる。村人は、落合火葬場Click!を左手に見ながら、旧街道(現・早稲田通り)沿いを上落合方面へとやってきている。その様子を、1987年(昭和62)に発行された『中野の昔話・伝説・世間話』(中野区教育委員会)から引用してみよう。
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 たらねぇ、この向こうの火葬場の向こうの方の山なんですね。あっちの下に川があってね、その川で釣りをしてたわけ。そいでこっち帰ってくるとねぇ、あの山んとこをねぇ、来るとねぇ、急にねぇ、すごい土手ができちゃったんだって。それ狐なんだってね。狐が化かすんだってね。自分の目に見えちまうんだって、土手に。/すごい土手に見えてねえ、あれおかしいなあ、ここんとこ土手があるわけねえんだがと思ってね、そいから、そこへ足ぃ踏み込んでね、来たらねぇ、足ぃ何だか傷こせられちゃったなんてねぇ、あの何だ、刃物か何かをねぇ、あったらしいんだねぇ。そこ踏んづけてねぇ、何だか足ぃ傷ができちゃったんだってね。/そいでね、そしたらそれが消えたなんてね。そしたら土手が消えたんです。土手にできててね。そいで、狐にいたずらされちゃったなんてね。そんな話聞いたよ。 (上高田 男 明治38年生)
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 急に「土手」が出現し、てっきりキツネに化かされたことになっているけれど、小滝台の東側は道を1本まちがえると行き止まりになり、断崖絶壁状になったバッケClick!(崖地)に突き当たるので、なんとなく道に迷って帰りが遅くなった、家族へのいいわけのようにも聞こえるのだが……。なお、近郊で話されていた男言葉だが、「そいで(それで)」「たらね(そうしたらね)」「ここんとこ(ここのところ)」など、市街地と同様の江戸東京方言Click!がつかわれていたのがわかる。
 
 
 次は、下落合の丘上でキツネに化かされた話だ。「稲葉の水車」Click!へ、穀物を製粉しにきた村人の伝承だが、物語に登場する「大山」は下落合の小字で「大上」のことらしく、現在の目白学園あたりの丘だろう。また、現在は「お寺」ができたというのは、大日本獅子吼会Click!のある字「小上」あたりのことで、金山平三アトリエClick!が建っていた界隈だ。「公園」になっているところは落合公園Click!のことで、稲葉の水車場があった。この出来事は、旧・下落合の四ノ坂Click!から七ノ坂Click!あたりにかけての坂上で起きていることになる。穀物を製粉している間、眺めのよい下落合の丘上にのぼって、持参した弁当を食べようとした村人の話だ。同書から引用してみよう。
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 昔は、農家してたんだからな。精米所もあるわけじゃないし、水車でね、米ついてたんだ。今、公園になっている、五中の向こっかたの、そこに水車があったんです。妙正寺川の水を取って水車ってもの、作っていたんだからな。そこへお弁当だなんか持っていくと、大山っていうところがあってな、大山って言ったいな、あの山は。今な、お寺になったり、マンションが出来ちゃってるけど。そこに弁当持っていくと、みーんな狐にだまされちゃう。やっぱり弁当持っていくのがよくなかった。それで、タバコのんだり一服すると、逃げちまうらしいんだがねぇ。それで、頭がすーっとしてね。/で、まあ、弁当持っていかれたって話だいな。そんじゃないと、あっちこっち、あっちこっち、連れて連れて連れまくられちまうらしいんだな、狐に。ぐるぐるぐるぐる。そんな話をよく、人から聞いたからよぉ、おばあちゃんからもねぇ。うんと子どものころだよ。あたしがまだ、弁当持ってかれない時分の話だよ。 (上高田 男 明治37年生)
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 わたしは、アビラ村Click!の丘上でぐるぐるぐるぐる道に迷ったことも、また弁当を取られた経験もないので、もはやタヌキClick!はいてもキツネは棲息していないのだろう。この説話は、稲葉の水車が製粉所として現役だった幕末から明治にかけてのものと思われる。また、タバコを吸うとキツネが化かすのをやめて逃げていく……という逸話は、この地域や関東ばかりでなく、全国各地に見られる共通伝承だ。不可解な事件や怪異現象に遭遇すると、まず落ち着くために一服(煙管Click!の場合が多い)するというのは、キツネを追い払うという意味もこめられていたことがわかる。
 
 以前、上落合から目白崖線に連なる、「狐火」あるいは「狐の嫁入り」の伝承をご紹介Click!したことがあった。その現場は、下落合氷川明神から七曲坂Click!、さらに薬王院の森Click!にかけての丘陵だと思われるのだが、西側の目白崖線に連なった「狐火」の目撃伝承も残っている。現場は、上高田村から見て東光寺Click!の「山」、すなわちこれまた中井御霊社や目白学園のある目白崖線のことだ。下落合のバッケが連なる急斜面は、「狐火」の出現によほど適していたらしい。
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 狐の嫁入りっていってね、提灯ぞろぞろぞろぞろね、提灯がまあ、何百ってこう、ただもう二百も三百も数わかんないようにね、こう、ぞろぞろぞろぞろ提灯つけてね、「狐の嫁入りだぁ、狐の嫁入りだぁ」ってね、こっちで感じてるから、遠くの方で、それが見(め)えるらしいんだなあ。(中略) 出たってとこは、東光寺の山ですね。あっちで、ぞろぞろぞろぞろ出てくるんですとさ。見えるんだってさ、明かりが。提灯でね。/そんなこと聞きましたね、だけど、そんときにゃもう化かされてるんでしょ。そんときには、もうおかしいんだろうと思うよ、わたしなりに想像するのには。だって、そんでなきゃそんなの見(め)えるわけないんだからね。見えるってことは、もう、少し、錯覚起こしてんだね。見えちまうってことがよぉ。/子どものとき聞いた話だからよ。 (上高田 男 明治37年生)
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 以前にも書いたけれど、江戸東京の市街地では「狐火」と「狐の嫁入り」は別のもので、後者は晴れているのに雨が降る「お天気雨」のことをさす呼称だ。
 ほかにも、キツネがきれいなお姐さんに化けた話が多く採集されている。きれいな女に、「送ってくださる?」と頼まれ、ふたつ返事でいっしょにいくと道に迷って夜が明けるというような類の話だ。これは、田畑に出て農作業Click!をしていても、きれいな姐さんがそばに寄ってきて、「ねえ、ちょいと」と声をかけられ、そのまま家へも帰らず付近をうろうろと彷徨ってしまう。「キツネにつままれた」話として伝えられているけれど、これもみんなキツネのせいにしている“裏”のありそうな話だ。

 たまの息抜きで、内藤新宿Click!のよからぬ場所へ上がりこみ、白粉を塗って紅をさした雌ギツネに、有りガネをぜんぶむしりとられたあと、なかば夢見ごこちでボーッと帰路を歩きつつ、家族へのいいわけを一所懸命考えながら朝帰りをしている、化かされた男の話ではないだろうか。

◆写真上:七ノ坂から見おろした落合公園で、稲葉の水車は同公園の敷地内にあった。
◆写真中上:華洲園のあった、小滝台のバッケ階段(上左)と崖地の擁壁(上右)。下は、中井御霊社へと向かう下落合の尾根道(左)と、目白学園へ向かう丘上の道(右)。中井御霊社へ向かう道の左手には、昭和初期までの地図に稲荷社のあったことが記録されている。
◆写真中下:稲荷の狛狐で、向島の三圍(みめぐり)稲荷Click!(左)と杉並の松庵稲荷(右)。
◆写真下:芝居のキツネといえば、『義経千本桜』の「狐忠信」。戦後すぐの歌舞伎ブロマイドより、「吉野山道行」の7代目・尾上梅幸(静)と2代目・尾上松緑(狐忠信)。