戦前まで、落合地域にはどのような動物たちが棲息していたのだろうか。1936年(昭和11)に陸軍が撮影した空中写真を見ても、落合地域にはいまだ緑の濃い森林や田畑が拡がり、神田上水や妙正寺川沿いに灌漑用水として引かれた小川が随所に流れていたのが見てとれる。そこには、おそらく幕末から明治期にかけての目撃談だろう、いまでは絶滅してしまったといわれているニホンカワウソの姿も含まれている。
 カワウソの伝承は、妙正寺川ではなく神田川の目撃談として採取されている。カワウソは、川から上って陸上を自在に往来できるため、川から少し離れた用水池の鯉や農家の家畜までが狙われたようだ。その様子を、1983年(昭和58)に出版された『昔ばなし』(上落合郷土史研究会)から引用してみよう。
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 『かわうそ』は妙正寺川より神田川の方に多く棲んでいた。川辺には、たくさんの穴があいていたそうです。川から随分離れた農家の池の鯉を獲りに来たり、鶏を獲ったりしたそうです。「いたち」だったのではないか? と言ったところ古老達は「かわうそ」に間違いない! と云っておりました。
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 村内の動物を見馴れている古老たちのいうことだから、おそらく当時の神田上水(現・神田川)沿いの岸辺に空けられた巣穴から、カワウソたちは自在に付近を歩きまわっていたのだろう。ときには、カワウソを見馴れない武家たちから、川辺に棲む得体の知れない妖怪Click!と見まちがえられることもあったかもしれない。カワウソ目撃譚は、幕末か明治初期のころの落合風景Click!だと思われる。ニホンカワウソは、日本各地で目撃されたどこにでもいる動物だったが、残念ながら2012年(平成24)に絶滅種として規定されている。
 また、イタチやモモンガも頻繁に目撃されていた。イタチは、いまでもいそうな気がするのだが、聞こえてくるのはハクビシンの情報ばかりで、イタチらしい姿が目撃されたウワサを聞かない。つづけて、同書から引用してみよう。
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 『いたち』はたいてい農家の廻(ママ:周)りに巣を作り「ねずみ」を獲っていました。チョコチョコと歩いては、ヒョイ……と振りむくくせがあり、水泳の達人でもあります。
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 ネズミやモグラはいまでもたくさんいるが、それらをエサにしているのはヘビやハクビシンなのだろう。外来種で環境適応力がより強いハクビシンが、ひょっとすると明治以降にイタチを駆逐してしまったのかもしれない。


 カワウソやモモンガ、イタチに比べ、キツネの目撃情報は戦前までつづいている。おそらく、キツネはこの地域における食物連鎖の頂点にいた動物だと思われ、キツネの姿が見えなくなったあと、タヌキやヘビ、そして野良ネコがヒエラルキーのトップに君臨するようになったのだと思われる。では、上落合の前田地域Click!で頻繁に目撃されていたキツネの様子を、つづけて引用してみよう。
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 前田(汚水処理場のある場所の昔の呼び名)に大きな狐が棲んでいた。秋の暖かい日の午後、日あたりの良い凹地で、よく大イビキをかいて寝ていたそうです。畑仕事の行き帰りの村人達は、大狐の目をさまさせると恐ろしいので、いつもソーッと逃げ出したそうです。この狐のシッポには「ホーシの玉」がついていたそうです。
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 このあと、ありがちな村人がキツネに騙された話Click!へとつづくのだが、人間が近くへ寄っても平気で寝ており、本来は神経質なはずのキツネが敏感に反応しない姿がめずらしい。キツネは農業神の使いだと信じられ、稲荷社Click!との関連でことさら大切にされていたので、人里近くに棲みついたキツネは、それほど人間を警戒しなかったものだろうか。
 「ホーシの玉」とあるのは、稲荷社ではキツネが口にくわえていたりする「宝珠玉」Click!のことだ。また、キツネの個体数が多かったからこそ、現代ではありえない人間がキツネに化けた詐欺Click!が通用する下地があったということなのだろう。
 また、落合第一小学校Click!の校庭に棲みついたキツネの目撃談も残っている。
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 私の亡父が落一小の生徒であったとき(今から八十年位前のこと)、授業中に校庭の先にある竹ヤブを見ると、二匹の子狐が穴から出たり入ったりして遊んでいたので、放課後家からトンガラシを持って行き、他の穴を土で塞ぎ、トンガラシに火をつけ、その煙を団扇で穴の中にいぶし込んだところ、子狐が二匹獲れたそうである。
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 1983年(昭和58)の時点で80年前だから、明治末ごろの落合小学校時代Click!(落合第一小学校はのちの呼称)の校庭で見られた光景のようだ。


 さて、タヌキはいまも昔も変わらずに棲んでいた。特に目立って多く棲息していたのは、上落合の南隣りにあたる小滝台(華洲園)Click!の丘だ。この丘は、その昔「センバ山」と呼ばれていたそうだが、それだけタヌキが多かったということだろう。
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 『狸』は、小滝台(昔センバ山と呼んでいた)にたくさん棲んでいた。夕方になると子狸を連れて、山の下の農家のお勝手まで入って来て、餌を食っていたそうである。童歌に「センバ山には狸がおってサ」といいますが……このことではないでしょうか?
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 ……と書かれているけれど、もちろん童謡のタヌキ山は肥後熊本の「仙波山」であって、小滝台のことではない。落合地域が農村だった当時から、タヌキは人間によく馴れていて、ちゃっかり台所でエサをもらっていたのがおかしい。
 ほかの動物についての記録はないのだが、あまりにも当たり前のように存在する動物たちは、『昔ばなし』でも逸話として採集の対象にはならなかったのだろう。いまでも、下落合全域で棲息している動物には、タヌキのほかに爬虫類のヘビやヤモリなどがいる。田圃の多かった昔は、もちろんマムシもいたのだろうが、わたしはまだ一度も見たことがない。わが家の周囲で頻繁に出没するのは、アオダイショウClick!にシマヘビの2種で、ずいぶん前だが、たった一度だけヤマカガシの子どもを見たことがある。


 このところ、野良ネコの姿を下落合の街角で見かけることが、なぜか少なくなった。緑が濃い公園の近くでは、まだ数多くのネコたちを見かけるのだが、住宅街で出会う頻度が減っているような気がする。ヘビの天敵は野良ネコなのだけれど、その数が減ったぶん、今年はヘビたちがのんびりできた夏なのかもしれない。

◆写真上:人間に馴れていそうな、おとめ山公園の子ダヌキ。(撮影:武田英紀様)
◆写真中上:近衛町の屋根裏に出入りするつがいのハクビシン。(撮影:野口純様)
◆写真中下:上は、おとめ山公園の子ダヌキ。(撮影:武田英紀様) 下は、下落合東公園でちゃっかりキャットフードをいただくタヌキ。(撮影:西田真二様)
◆写真下:上は、いまだあちこちで見かける住宅街に多い代表的なヘビのアオダイショウ(幼体)。今年の夏も、わたしの部屋にある窓の面格子に悠然と巻きついていた。下は、おとめ山公園にいるヘビの天敵の野良ネコ。