あけまして、おめでとうございます。旧年中も、みなさまにはたいへんお世話になりました。本年も「落合道人」サイトをよろしくお願いいたします。
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 さて、このサイトをはじめてから昨年で二度めの「申年」、今年で二度めの「酉年」を迎えているわけだけれど、いつも気になるのが十二支になぜ「猫年」がないのか?……という、ネコClick!好きなわたしには気になるテーマだ。古くから人間のごく身近にいる動物にもかかわらず、干支に「猫」が加えられていない。
 干支(あるいは十二支)という概念が朝鮮半島ないしは中国からもたらされた際、そのままローカライズせずに使用してしまったのは、当時の日本にネコが棲息していなかったと説明されることが多い。ネコが輸入され、人に飼われはじめたのは平安期ごろで、干支が導入された時期にはまだ存在していなかった……と解説する文献も多いけれど、縄文遺跡からヤマネコばかりでなく、イエネコClick!の骨が見つかっている考古学的な成果を踏まえるなら、当然、もっと早くから人の近くにネコがいたと解釈すべきだろう。
 十二支に「猫年」を採用する国は、意外に多い。タイ、ベトナム、チベット、ブルガリア、ベラルーシ……とまだまだあるのかもしれないが、もともと中国では身近な動物を干支に選んだとされているので、これらの国々ではネコがことさら人間の近くで丸くなっていたのだろう。でも、「身近」といわれるわりには「辰年」などと、この世に存在しない(と思われる)架空の龍が含まれているのがちょっと不可思議だ。ほかの動物はすべて人の近くに実在するにもかかわらず、龍だけが特別なのだ。中国で“龍”は、皇帝を象徴する動物として位置づけられることが多いので、庶民の象徴として無理やり「身近」に位置づけるため、ことさら選ばれたものだろうか?
 たとえば、日本の十二支から「辰」を外し、「猫」にするとなにか不都合が起きるだろうか?w 時刻の概念から見ると、「辰ノ刻(たつのこく)」は仕事に出かける前に朝食をとる「食時」に相当する。いまの時間になおせば、午前7~9時ぐらいの感覚だろうか。こんな朝っぱらから、食事する時間が龍というのもおかしいので、「猫ノ刻」としたほうがよりフィットするかもしれない。ちょうど、そろそろご主人が起きる時間だと、ネコが寝床へやってきて、顔といわず頭といわず、「朝だにゃん、そろそろメシくれにゃん!」と前足で押し押しするか、あまりにご主人が起きないと、頬っぺたを肉食獣らしいザラザラの舌でベロベロ舐めたりする時間帯だからだ。



 また、十二支による方位の課題はどうだろうか。「辰ノ方(たつのかた)」とは、いまでいう東南の方角だけれど、これも龍よりはネコのほうがなんとなくシックリくる。真夏を除けば、ネコClick!は朝になると陽の当たる窓辺で寝そべるか、窓の外を飽きもせず眺めているか、ヒマそうにダラダラすごしていることが多い。レースのカーテンの向こう側に入りこみ、お腹がいっぱいになった満足げな表情をして顔を洗っているか、毛づくろいをしているか、ときにレースに爪を立ててカーテンのぼりに興じたりするのは、たいがい東ないしは南の窓辺なのだ。
 暦(こよみ)のうえで「辰ノ月」は、さてどうだろう? 現代の暦でいうと3月のことだが、新しい年度がはじまる矢先、春を迎えた新鮮な気配の中、龍が天へとのぼる勢いのある季節だととらえるのは、一見ふさわしいように思えるけれど、龍の昇天は別に正月でも新年度がスタートした4月でもいいような気がする。3月を「猫ノ月」にすれば、ネコが1年のうちでいちばん元気でうるさい時期、つまり「さかり」がついてニャーオニャオとあたりかまわず鳴きまくり、ときには人間から水を打(ぶ)っかけられたりするのだが、それでもめげずに毎晩ニャーオニャオと浮かれ歩いてる時期なので、やはりここは「猫ノ月」としたほうが現実的でふさわしいような気がする。



 ところで、陰陽五行の「辰」は「陽(よう)」で「土(ど)」を意味するといわれるが、まさに太陽の光が大好きで、いつも地面でゴロゴロしている、そこらの野良ネコににこそピッタリな意味づけではないか。「辰」=龍は、たいがい水中にひそむか天空を飛翔しているのであり、土の地べたでゴロゴロなどしないものだ。だから、「辰」の代わりに「猫」をもってきても、なんら問題は起きそうにない。
 ついでに、四神相応なんて概念も朝鮮半島や中国から輸入されているけれど、これもついでに「青龍」に代わりネコClick!を導入したらいかがなものか。北の「玄武」、南の「朱雀」、西の「白虎」、東のまねきネコClick!風「青猫(にゃん)」ということで、ネコ科が2匹になってしまうけれど気にしない。陰陽五行の発祥地とされる中国から見て、東に位置する日本列島は、まことに平和と安楽を好み、しじゅうゴロゴロして楽しそうな雰囲気を漂わせ、海外の観光客には大人気のエリアなのだけれど、あまりに甘くみくびりすぎると爪や牙でひっかかれて、ちょっとひどい目に遭うんだよ……ぐらいのスタンスが、平和志向のこの国のカタチにはとてもよく似合うような気がするのだ。



 きょうは正月ということで、浮世絵に登場するネコたちを江戸の街中心に集めてみた。ネコが登場する『源氏物語』の「女三宮」に取材したものから、日本橋河岸をウロついていそうな野良ネコのたぐいまで、浮世絵には数えきれないほどのネコが描かれている。縄文期から現代にいたるまで、ネコがどうやって爆発的に全国へ繁殖・展開していったものだろうか? 大江戸の街角は、いまも昔もそこらじゅうネコだらけなのだ。

◆写真上:1770年代に描かれた豊春『菖蒲湯』。
◆写真中上:上は、春信『風流五色墨』(1766年ごろ)。中は、湖龍斎『見立忠臣蔵七段目』(1780年ごろ)。下は、歌麿『見るが徳栄花の一睡』(1801年ごろ)。
◆写真中下:上は、国貞『風流相生盡』(1831年)。中は、国芳『鏡面猫と遊ぶ娘』(1845年ごろ)。下は、国芳『艶姿十六女撰』(1850年ごろ)。
◆写真下:上は、国芳『妙でんす十六利勘降那損者』(1845年ごろ)。中は、芳年『新柳二十四時』(1877年)。下は、国周『錦織武蔵の別品』(1883年)。
★おまけ:広重『名所江戸百景』(1857年)。