わたしとほぼ同世代の女性に、「子どものころ、なにが怖かったの?」と訊くと、多くの元・少女たちはたいがい楳図かずおの「へび女」と答える。少女漫画を知らないわたしは、その「怖さ」がよくわからず、きっと執念深くどこまでも追いかけてくる、『娘道成寺』の芝居のような筋立てを想像していた。日高川で大蛇(うわばみ)になった清姫が、どこまでも安珍を追いかけてくる、道成寺縁起のストーカー芝居だ。
 芝居の『娘道成寺』は、実際の舞台を観た憶えがない。(TVの劇場中継ならあるが) もっとも、舞踊「京鹿子娘道成寺」はときどき6代目・中村歌右衛門で上演されていたのを憶えている。現代では、坂東玉三郎あたりが得意としているのだろうか。芝居の経験はないが、国立劇場の小劇場で上演された文楽の『娘道成寺』は、じっくり鑑賞したのでよく憶えている。もちろん、わたしの大好きなガブClick!が登場するからだ。
 「日高川渡の場」にいたるまで、延々と男女間の恋愛の機微(オトナの事情)を見せられても、あまり退屈せずにすんだのは、ガブがいつ出るか、いま出るかと、心待ちにしていたからだろう。安珍にいい含められた船頭に、川の渡しを断られた清姫が、みるみる形相を変えて大蛇に変身するさまは、もうウキウキとゾクゾクの連続で、わたしは幸福感にひたりながら見とれていたものだ。だから「へび女」と聞くと、どうしても男のあとを執拗に追いかけてくる、大蛇の化け物になった女……というイメージをもっていた。ところが、楳図かずおの「へび女」の設定は、まったくちがっていたのだ。
 少し余談になるが、警視庁が昨年度にまとめた統計によれば、ストーカーによる被害者は約11%が男性で、残りの約89%の被害者が女性とのことだ。つまり、「執念深い女がヘビに姿を変えて男を追いかけてくる」……というシチュエーションは、江戸期のある時代のとある階層ではリアルに感じられ、説得力のある怖さだったのかもしれないが、現在は状況がまったく逆転し、いつまでもイジイジとメメしい思いを引きずって、執念深く追いかけるのは、情けないことに「へび男」のほうが圧倒的に多いのだ。いや、こういういい方は下落合に数多く棲息する、たいがい大人しいヘビさんClick!に対して失礼だろう。



 さて、楳図かずおの「へび女」は、物語の成立事情がまったく異なっていた。それは、ふだんは美しい母親ややさしい姉、養女に引きとられた先の義母や娘、そして親しいクラスメイトの友人などが、ある日を境に突然「へび女」の性格や本性を顕在化させはじめる……というようなストーリーだ。つまり、自分がもっとも親しい、あるいは自分にもっとも近しい人物の本性がもし「へび」だったりしたら……という、変化(へんげ)による怖さや意外さがテーマになっている。身辺の安穏とした、楽しい日常が少しずつ崩れだして、ついには「へび女」に見こまれた非日常へと推移していくところに、少女たちを震えあがらせた恐怖があるのだろう。
 きっかけは、外出してヘビに咬まれたり(あんたはバンパイアか?)、その家系に代々受け継がれたヘビ神憑きの“血筋”だったり(このあたり民俗学の吉野裕子が得意そうな分野だ)、あるいは七代あとまで祟る昔殺したヘビの呪いだったり(日本民話の会Click!が採取しそうだ)……と、要するに原因はなんでもよくて(爆!)、ヒロインの少女のいちばん身近にいる人物が、「へび女」ウィルスに感染していたり、「へび女」の変異遺伝子が急に活動をはじめたり、「へび女」の呪いで自己暗示にかかり幻覚を見るようになったりと、まあ、たいへんで忙しくて怖いことになっていく。
 そんな舞台となる屋敷は、たいがい東京の郊外域に位置していそうな大きな古い西洋館であり、1960~1970年代を落合地域ですごした女の子たちにとっては、まったく他人事ではなかっただろう。遊び疲れ、少し暗くなってから家路を急ぐ少女たちにしてみれば、近衛町Click!の洋館から、林泉園Click!のほの暗い谷底から、御留山Click!大倉山Click!の森蔭から、薬王院の真っ暗な墓地Click!から、そして目白文化村Click!のポッと灯りの点いた屋敷群から、いつ「へび女」が鎌首もたげて飛びだしてくるか気が気ではなかっただろう。きっと、楳図かずおの世界は、自身のすぐ隣りに存在していたにちがいないのだ。

 

 でも、そんな古い西洋館はバブル景気の地上げで消し飛び、つづく不況の津波をまともにかぶって相続税が払えずに解体され、「へび女」の伝説はもっとずっと郊外へ、あるいは東京地方を離れどこか別の地方の山間へと転移していった。落合地域には、人と共存できるアオダイショウClick!は多いが、棲みつく縁の下や天井裏も少なくなって、なかなかマンションのロビーではとぐろを巻きにくい。うっかりマンションなどに入りこめば、ソッと森の中へ逃がしてくれるどころか、警察に電話されかねない、ヘビくんたちにとっては「怖い」日常を迎えている。映画版の「へび女」Click!も、もはや東京が舞台ではリアリティがないものか、どこか山間の“村”が舞台となっていた。
 楳図かずおの「へび女」は、あの人はふだんは美しい顔をしてニコニコしているけれど、裏にまわれば先が2枚に分かれた舌をペロリと出しながら、あることないこと悪口を陰でいいふらす、ほんとは怖くてゲスな人なのよ……というような、一種の処世訓を少女たちに教えようとしたのだろうか? それとも、「グワシ! へび女はほんとにいるのら~、ギョエーーッ!!」と、その伝説でも信じて描いていたのだろうか。


 そういえば、楳図かずおは高田馬場か下落合にオフィスがあったものか、駅前に近い栄通りの入り口あたりで、過去に何度か見かけたことがある。赤白のTシャツを着て色褪せたジーンズのジャケットを羽織っていたと思うのだが、まさか吉祥寺の自宅外壁のカラーリングまで赤白のツートーンカラーにするとは思わなかった。ギョエーーーッ! 外壁が赤白のお屋敷じゃ、「へび女」だってサマにならず棲みにくいだろうに。

◆写真上:下落合2丁目14番地と目白1丁目4番地の町境(新宿・豊島区境)が通るビルの前にある、郵便局「グワシ!」ポスト。ぜひ、「へび女」ポストも作ってほしいのら。
◆写真中上は、12代目・片岡仁左衛門の清姫による『娘道成寺』(日高川渡の場)。は、7代目・尾上梅幸の「白拍子花子」。は、1960年代の日高川(和歌山県)。
◆写真中下は、文楽『娘道成寺』でガブになりかけの清姫。中左は、楳図かずお『へび女』(小学館)。中右は、同『へび少女』(講談社)より。は、同『へび女』より。
◆写真下:いずれも、楳図かずお『へび女』より。

お知らせ
 先月25日のSo-netブログのSSL化にともない、もともと外部サイトも含めたpathの多い拙サイトでも、ひと通りメンテナンスをしなければならないハメに陥りました。いまさらSSLを導入するなら、10年前のベリサイン時代にやっといてほしかった仕組みですが、セキュリティが強化できるのでしかたがないのでしょうね。
 カテゴリーの設定が勝手に外れたり、サイドカラムのバナー画像がいつの間にか消滅したり、facebookとのpathで蓄積されたログが全滅したりと、さまざまなインシデントや表示不具合はこれまで少しずつ記事末で報告してきましたが、検証・修正作業がいつ終わるのかスケジューリングができないので、とりあえず次回の記事を最後に、期限を設定しないサイトメンテナンスに入ります。
 外部からアクセスすると、少し前まではhttpとhttpsのページが混在(キャッシュサーバ?)していたようですが、現状ではhttp→httpsのページへ自動ジャンプするようです。でも、Soーnetさんのことだからリソース不足が深刻になると、「この仕組みは廃止」なんて告知がアップされかねませんので、少なくとも外部ポータルからのpath修正はしといたほうがよさそうです。その際、ご不便をおかけするかもしれませんが、秀逸なアルゴリズムのGoogleサーチエンジンなどから「落合道人」のワードを“枕”に、キーワードを組み合わせて検索していただくのが確実かもしれません。
 夜は長いので、いろいろ改修の方法を考えてみたいのですが、こういうときはつい演奏にジッと聴き入って作業に集中できなくなるJAZZではなく、気軽に聴き流せる「♪夜は長い~だ~から…」と、懐かしい1980年代末の森山良子『男たちによろしく(DANCE)』Click!でも聴きながら……。
 写真は、新宿区の西北部にある落合地域とは、反対側の地域にあたる西南部の夕景。