わたしが下落合に住みたい…と思ったのは、実は10代半ばのころからだ。1974年だったろうか、当時、下落合を舞台にしたドラマがNTVで放映されていた。題名は『さよなら・今日は』(1973~74年/25回)。祖父が彫刻家だったお屋敷が舞台なのだが、借地の上へ建てたばかりに立ち退きを迫られ、家族はさまざまな出逢いや別れを経験しながら、それぞれ新しい生き方を見つけて離散していく…という物語だった。
 そのドラマのしょっぱなに登場した風景が、下落合の高台から眺める富士女子短期大学(当時)の時計台、その向こうに見える新宿高層ビル群、そして写真左の相馬坂だった。ドラマでは、この坂の上に屋敷のアトリエを改造した喫茶店「鉄の馬」があるという想定。本作が斬新だったのは脚本家が毎回異なり、まるでリレーのように物語を紡いでいった点だ。早坂暁さん、清水邦夫さん、高橋玄洋さん、向田邦子さん、山田太一さん、市川森一さん、倉本聡さん…等々※と、いまからみれば信じられないような豪華さなのだが、NTV開局20周年ということで力が入っていたらしい。確かお正月には、生放送(ドラマの!)の回もあったと記憶している。
※このあたりの脚本家名に、かなり記憶の錯誤があるのが後年に判明している。
 いまでも憶えているが、落合第四小学校のチャイムが響く相馬坂を、夏子(浅丘ルリ子)とみどり(中野良子)、愛子(栗田ひろみ)の3人が下りてくるのが初回のシーンNo.1。みどりの自転車がコケて、リンゴが転がったのもこの坂だ。ほかに山村聰、大原麗子、原田芳雄、山口崇、林隆三、緒形拳、山田五十鈴、森繁久彌、森光子、加東大介、水野久美・各氏…と、とんでもなく豪華だったのを思い出す。これらの出演者たちが、下落合の氷川神社、おとめ山、近衛町、呪いの木(笑)、都営住宅、西武新宿線沿い、下落合駅など随所を次々と歩きまわるのが映し出されていた。
 なんともミーハーな話だが、わたしはこのドラマに登場する下落合の風景に惚れ込んでしまったのだ。東京オリンピックを境に、わたしの故郷である東日本橋は大きくさま変わりし、緑が減って大川や柳橋の神田川は悪臭を放ち、無粋な高速道路が街の風情をぶち壊しにしてしまった。地元の人たちはオリンピックが始まる前、次々と新興住宅地の世田谷や杉並、渋谷の奥などへ転居していった。まるで、民族大移動のような有様だった。当時、親父の仕事の関係から神奈川県に住んでいたのだが、東京にもどるなら下落合がいい…と、当時のわたしは勝手にそう決めてしまったのだ。
 大学に入り親元を離れて独立した際、アパート探しに訪れたのはもちろん下落合だった。でも、下町人間にはまったく無縁な山手の中の山手(当時)といわれるだけに家賃はべらぼうに高く、やむなく目白通りのかなた、南長崎へ住むことになった。椎名町駅が近いのに、あえて下落合駅まで歩いて学校やバイト先へと通っていた。以降、椎名町、聖母坂…とまるでにじり寄るように、だんだんと下落合の“中枢”へと近づくことになる。
 しかし、東京オリンピクの前後、この下落合界隈も放射7号線(十三間通り)の完成(1967)により、それまでの下落合三~四丁目が妙な「中落合」や「中井」という地名に変更され(地元の人には、未だ好まれてません)、環境や風情が激変してしまっていたのを知ったのは、ずっとあとになってからのことである。
●写真右:1973@NTV番宣チラシ
 おとめ山公園を背景に相馬坂を下る、右から中野良子、浅丘ルリ子、栗田ひろみの3人。 栗田ひろみは、大島渚監督の沖縄映画『夏の妹』の直後で、TV初出演。