1922年(大正11)ごろに完成した、広大な箱根土地本社の跡地は、いまは3分の2ほどが山手通りの下になっている。泉や池が埋め立てられ、盛り土がされてその面影はいまやまったくない。
 現在は、ディスカウントスーパー(カラー写真)の建つあたりが、大きな池へと下る斜面があったところ。モノクロ写真に見える斜面が、あちこちに湧水のあった本社の敷地南辺の斜面。手前には、池の南端がほんの少し写っている。奥の建物は、箱根土地の社屋ではなく、第一文化村に建てられたクラブハウスだ。
 箱根土地本社は、赤いレンガ造りで2~3階建てのしゃれた建物だった。改正道路(山手通り)の建設計画とともに、すぐに壊されてしまった本社屋だが、1925年(大正14)に描かれた、松下春雄の『下落合文化村入口』と題された油絵に、建物の一部がかいま見られる。つづきは・・・

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