下落合に惹かれた理由は、「下落合が気になったわけClick!で書いたが、わたしが初めて下落合に足を踏み入れた1970年代半ば、そのときのこの界隈のイメージを求めて、先日いろいろなところを丹念に歩きまわってみた。どこもかしこも低層マンションやテラスハウスだらけになってしまい、その当時の面影はなかなか見つからないだろう・・・と予想して廻ってみたのだが、案外すんなりと見つけることができた。下落合の住人はみなさん、なかなか頑固なのかもしれない。
 下落合のイメージはというと、まず南へと下る坂や、崖線が多いということだろうか。山麓へと向かう尾根筋にかけて、家々がゆったりと建っているイメージ。ところどころの崖線は急峻で、10m以上の絶壁となっているが、その中腹から多くの泉水が湧き出している。都心の新宿区にしてはかなり緑が多く、この一帯の空気や気温は他の地区にくらべて明らかに違う。それは、家を取り囲む屋敷森が豊富だったせいもあるが、早くから区の公園や保護樹林に指定されて伐採されなかったという要因もあるのだろう。
 東京オリンピックの前後、中央区から大量の人口が世田谷や杉並、渋谷などへ流出したのは、大川が汚れてドブ臭い匂いが漂っていたせいでもあるが、緑が極端に少なくなった要因も大きい。雑木林ひとつ、存在しない町になってしまった。ところどころに繁っていた寺社森や屋敷森さえ、根こそぎ再開発されつくした。住民につづいて、商店街が急激に減少する。もちろん、関東大震災や東京大空襲で焼け野原になったという遠因もあるが、その後、行政はまじめに緑を回復させようとはしなかった。いまでは、転入の奨励金を払ってでも住民を呼び戻そうとやっきになっているが、一時期の半分ほどしか人口は回復していない。緑が消えた町に、人はもはやもどろうとはしないのだ。

 いま、野鳥の森公園の上にある、大きな屋敷森が消えようとしている。元子爵邸なのだが、相続税の問題で土地家屋が昨年の夏、不動産業者の手にわたった。低層マンションの建設はまぬがれたものの、テラスハウス風の戸建てが並ぶらしい。少し前までは、おカネ持ちなのだから相続税をたっぷり払ってもらって当たりまえじゃないか・・・というような想いもあったのだが、それとともに貴重な森が消えてしまうのはなんとしても惜しい。土地家屋は持っているものの、毎年の固定資産税を払うのさえ四苦八苦していて、いまでは決しておカネ持ちなんかじゃないのだ。国民の平等をめざしたはずの累進課税方式が、都内の森を次々と滅ぼし、環境をどんどん悪化させていく。なんとも皮肉で、複雑な気持ちだ。

 新宿区議会では、さっそく伐採中止・現状保全の決議を採択した。でも、業者に区議会や都議会の「決議」がなんの効力も持たないのは、山手通り排気塔建設反対のときと同じだ。緑が減るぶん、確実に空気が悪くなっていく。業者は、「屋敷森の部分だけでも新宿区にお買い上げいただければ、まったく問題ありませんです」などと慇懃に申し入れをしてきたそうだが、区が買い取れないことを見越してどんどん見切りで工事を進めてしまっている。そのうち、鼠山や瑠璃山はコンクリートだらけの禿山になってしまいそうだ。

■写真上:下落合4丁目にある、大正末か昭和初期の純和風住宅S邸。遠く背後に見える木々が鼠山の山麓。70年代には、このような風景が日常的にまだあちこちで見られた。
■写真中:下落合2丁目にある急峻な崖淵で、正面に見えている山は崖に対向する御留山。
■写真下:大根や白菜、なす、キャベツ、長ねぎ、トマト、きゅうり、南瓜などを作る畑。下落合大根の味は、まだ未経験。