2月6日の午後、下落合の氷川明神において「下落合みどりトラスト基金」の旗揚げ集会が開かれた。これは、「野鳥の森公園」と「おとめ山公園」とに挟まれた、このブログで以前「下落合、たぬきの通い路」Click!として紹介した、鼠山に残る屋敷森を残そうという地元住民たちの集まりだ。わたしも微力ながら、ぜひお手伝いしたいと思う。単なる“反対運動”ではなく、屋敷森全体の買収をも射程に入れた「基金」方式を採用し、区や都と連携した活動を展開していく。
 また、屋敷森ばかりでなく、対象となってるE邸には見事な日本庭園、および大正期に建設されたと思われる茶室をともなう豪壮な日本家屋が残されている。1945年(昭和20)4月13日夜半の空襲からも焼け残った、いまとなっては区内、いや都内でもかけがえのない貴重な文化財のひとつといえるだろう。できれば、これらの保存も同時に進めていきたいものだ。もし自治体とともに買収が成功すれば、単に落合地区の文化財保存というだけの意味にとどまらず、家屋や庭園は都民や区民の安らぎのスペースとして、また地域の集会場やサークル活動の一大拠点として、有効に活用できるに違いない。とても大切に住まわれてきたのだろう、建物はそれほど傷んではおらず、整備すればすぐにでも使えそうな状態を保っている。
 よく街を歩いていて気づくのだが、いつも見馴れた風景が突然変わってしまうことがある。記憶をたどってみると多くの場合、以前に見た風景のメルクマールにしているものが、樹木や屋敷森などの“緑”であったことに思い当たる。東京の場合は、特にその傾向が強いのではないだろうか? それが突然消えてしまうと、街並みが特色のない、まるでのっぺらぼうのような記憶に残りにくい姿へと変貌してしまう。街に住む人々の、また街で生まれて育った人々のアイデンティティにも、大きな影響を与えるに違いない。今回のケースは、「突然変わってしまう」以前に住民たちがそれを知りえて、活動を開始できただけでも幸運なのかもしれない。

 E邸は、遠くから見ると木々が繁っているだけでよく見えない。入口(門)は、野鳥の森公園をのぼり切った右手と、七曲坂をのぼりきって尾根筋を左折したすぐ左手の2ヶ所にある。野鳥の森公園側の門は、斜向かいが歌人の九条武子旧邸跡だ。南斜面のふちに建てられているのだが、庭のすぐ先は急峻な崖線となっていて容易に近づけない。だからこそ、武蔵野原生林そのままの屋敷森が手つかずで残ったのだろう。だが、そういう立地や地形のせいもあるのか、「野鳥の森公園」や「おとめ山公園」に比べ、ここに見事な下落合の雑木林がもうひとつ残されているのに気づかない方が多い。そういうわたしも、売りに出されたのは新聞チラシで知っていたが、先月、ブログを通じて知り合った方のご好意で邸内を拝見Click!させていただくまで、その詳細をよく知らなかった。
 今週の土曜日(2/12)には、日本テレビの「報道特捜プロジェクト」(13:30~)で、短時間だがこの屋敷森と下落合だぬきのことが紹介される予定だと聞く。この番組を機会に多くの人たちが「基金」のことを知り、保存への動きが加速してくれることを願う。

■写真:上は木々に囲まれたE邸。左は原生のままの巨大なクスノキのこずえ。カメラの画面になかなか収まりきれない。