高度経済成長期の計画そのまま、いまだ懲りずに、新たな幹線道路を街中へ造ろうとしている役人たちがいる。環状5号線(明治通り)と環状6号線(山手通り)の中間に、ソフトウェアのバージョンじゃないが、「5.5号線」とでもいうべき大道路を計画しているのだ。この道路、正式名称を「補助73号線」といい、池袋から北側では工事や用地買収が進んでいるらしい。
 何年か前、豊島区目白地域の全家庭に、「町づくり」のための「地区計画」アンケートと称するものが配られた。この「町づくり」ならぬ町壊し計画アンケートは、あたかもすでに住民が「補助73号線」の建設と用地買収を容認しているかのような文面を装い、「開通後はどのような町の景観にしたいか?」などと、ふざけた質問が並んでいる。多くの血を流した「三里塚」への空港ゴリ押し建設から、役所はまったく進歩をしてないじゃないか。そのアンケートに添えられた計画図なるものが、下の図版だ。

 池袋駅の近く、豊島区郷土資料館の前にある十三間通り(新目白通り)に近い大きな道路(補助73号線)は、上屋敷公園や自由学園の北側で突然途切れる。クルマから見れば、目白方向へ向けて走ってくると、突然正面に住宅が並んでいて、道路が“おしまい”になってしまう。用地買収が進まず、住民たちの合意が得られないのだ。この道を、さらに南西へと無理やり伸ばし、上屋敷公園の大半をつぶし、西武池袋線をくぐって、目白4丁目を北東から南西へと大きく分断する計画なのだ。
 「補助73号線」は、目白病院脇から目白通りへと出て“おしまい”なのではない。新宿へつなげようとしているから、そのままピーコックストア脇の道路を拡幅し、つまり鼠山通りの両側に並ぶ住宅の大半をつぶし、シティハウスや落中の校庭を壊し、七曲坂自体と両側の住宅もつぶし、正面にある河野建設と氷川明神をぶちぬいて、十三間通り(新目白通り)へとつなげようという計画Click!だ。

 明治通りがあり、1km強しか離れていないところに山手通りが走り、山手通りの地下高速道路も開通間近なこの地域に、これ以上、幹線道路は金輪際いらない。いまや、役人の外郭団体とゼネコンへ利益を誘導するためだけの計画だ。60年代の高度経済成長期、十三間通り(新目白通り)の開通によって目白文化村が第一文化村と第二文化村の間で大きく分断され、住宅街(町)としてのまとまりや環境、風情が台無しになったのと同じことを、目白と下落合で繰り返させるわけにはいかない。「過去を識らなければ、未来を照射できない」・・・とは、まさにこういうことをいうのだと思う。この「補助73号線」計画は、十三間通りが貫通する以前、1965年(昭和40)前後に生まれている。
 板橋や赤羽のほうは、池袋へと抜けられる幹線道路が増えるのは歓迎され、用地買収が進んでいるようだが、池袋から南、目白・下落合へと貫通する建設計画は“塩漬け”にして、永久に暗い縁の下へ封印してしまおう。東京都のサイトでは、「補助73号線」計画は“廃止・見直し”のエリアへと入れられず、いまだ“その他”に分類されて生き残っている。池袋の歴史と街並みの変遷を展示する豊島区歴史資料館が、ちょうど「補助73号線」の終点として、税金ムダ遣いの“墓場”としてふさわしいじゃないか。

■写真上:豊島区歴史資料館前が終点の「補助73号線」。
■写真下:目白4丁目界隈に配布されたアンケート用紙に載る「補助73号線」計画図。