以前ご紹介したライト風建築Click!のお屋敷について、かなり突っ込んだ事情がわかってきた。まず、わたしの場所特定が間違っていたのをお詫びしたい。大正期の地図と空中写真とを見比べて、工藤邸だと思っていたのだが、これはさらにその東隣りの杉邸であることがわかった。1軒ずれて認識していたのだ。
 工藤邸の位置と、工藤壮平に関する記述はその通りなのだが、実は杉邸の西隣りのお宅なのだ。下の空中写真(1947年・昭和22)と、大正末期の地図をご参照いただきたい。杉邸の位置は、通りから3軒目であり2軒目ではない。上空から見た建物のかたちが近似しているので、取り違えてしまった。(スミマセン) なぜ、工藤邸ではなく3軒目の杉邸だと断定できたのかは、この建物を建てた方が「杉」という苗字だったことが判明したからだ。この杉という方は大正期、帝国大学(東京大学)の教授(おそらく医学部)で、診療所を開くためにこのお屋敷を建てた。そして、杉教授が設計を依頼したのは、なんとフランク・ロイド・ライトご当人だ。
 
 ライト風建築ではなく、どうやらF.L.ライト自身の設計による建築なのだ。「ライトが逗留していた」・・・という伝承が残るのは、杉邸が建設直後、帝国ホテル建築のための「作業員宿舎」として使われていたから・・・ということのようだ。つまり、ライト自身もこの「宿舎」へ一時期、滞在した可能性がきわめて高い。『落合町誌』(1932年・昭和7)には、杉という医師あるいは住民の記載がない。おそらく、昭和10年前後にお屋敷を売却したものと思われる。
 はっきり言って、わたしの想像していた以上のビッグニュースだ。杉氏がここで医院を開業していたかどうかはわからないが、建築後10年そこそこで売却しているところをみると、そもそも開業しなかったのかもしれない。上に掲載した大正期の事情詳細図にも、「杉」とあるだけで医院の記載がない。(このあたり、杉家の家庭事情により、ほとんどこの家に居住しなかったのかもしれないが) その後、いろいろな経緯があり、屋内の間取りやライト・デザインの室内装飾など興味深いテーマもあるのだけれど、プライバシーに抵触するのでここには書けない。それにしても、空襲による延焼が道ひとつ隔てたところで食い止められたのは、ほんとうに幸いだった。自由学園明日館のほかに、ライト建築がご近所にもうひとつあるのは嬉しいかぎりだ。
 数年に一度、新宿区の職員がお屋敷の写真を手に訪ねてくるらしい。新宿区では、このお屋敷がライト絡みであることを、どうやらかなり以前から把握しているようだ。これからも、変わらない素晴らしいデザインの外観で、わたしたちご近所を楽しませてほしい。