先日、第二文化村を歩いていたら、ちょうど屋敷森の樹木伐採(?)に出くわしてしまった。ひょっとすると、伐採ではなく他所への移植かもしれないけれど、トラックで大きな樹木を次々と運び出している。きっと、大きなお屋敷がなくなって、お決まりの低層マンションか30坪ほどの小さな建て売り住宅が建ち並ぶのだろう。こういう光景を見ると、暗然としてしまう。
 いつかもここへ書いたけれど、おカネ持ちだったのは先々代か先代までで、いまではフツーのサラリーマンか公務員・・・というお宅が、相続税や固定資産税を払いきれないのだ。だから、家と土地を手放すのだが、そうすると決まったように屋敷森の全伐採が始まる。そして、あっという間に「緑ゆたかな山手の住宅街」(不動産チラシ)が、葉も満足に繁っていないケチな庭木が寒々と植えられた、コンクリートの町へと変貌していく。「いままでカネ持ちで、いい思いをしてきたんだから仕方ない。維持できないなら、出て行くのが当然だ」・・・と言ってしまうのは、とってもたやすい。でも、その先にくるモノが問題なのだ。
 そのままの広さの土地を購入し、古屋を壊して新しい家を建てるのなら、それほど問題はない。よほど大きな家へと建て替えない限り、屋敷森はそのままの姿で残るだろう。町の新陳代謝としては、昔から延々とつづいてきた光景だし、人の入れ替わりがあるからこそ町が古びず、くたびれもせずに活気づいているのだとも言える。でも、いまの「宅地開発」は別だ。もともと、そこにあった文化も景観も、そして果ては人間関係までが根こそぎ壊されていく。日本橋を中心とする下町界隈もそうなのだが、「ミーム遺伝子」Click!を継承できない町づくりならぬ町殺し(小林信彦)が、大手を振ってまかり通っている。第二文化村の外側に建てられた、付近の評判がメチャクチャ悪いデザイナーズマンションがいい例だ。中にどういう人たちが住んでいるのかさえ、近所の人たちは知るよしもない。この信じられない壁色と、野暮で悪趣味な建物ひとつで、半径50mの景観や風情が台無しになった。

 できるだけ地元へ溶け込み、地元の文化や風情、人との融和を図りながら、それをベースに従来には見られなかったまったく新しい何かを創造していく・・・というのが、町づくりの基本であり本質なのではないかと思う。でも、地元と対立ばかりを繰り返して、そこここに反対運動が起きているいまの状況自体が、とても“異常”なことだ・・・とは感じられないほど、わたしたちの感覚は麻痺してしまったのだろうか?
 いつだったか、麻布山に建てられたべらぼうな(大バカな)ビールジョッキClick!について、建築主のふるさとである京都へ、規制条例の「特例」を駆使して同様の建物を建てっちまえ・・・と書いた。こんな話を聞いたら、昔から代々京都に住まわれ町を大切にして暮らしてきた方々は、「とんでもない!」と激怒するだろう。いくら大震災や空襲で焼かれているとはいえ、代々江戸→東京に住みつづけている人々(わたし含む)も、それとまったく同じ感覚だと書けば、おおよそ、その怒りの深さの程度がおわかりだろうか?

■写真上:目白文化村(第二文化村)から運び出される、屋敷森に繁っていた樹木。わたしが思わずカメラを向けたら、作業員たちがとたんに緊張していた。
■写真下:第二文化村の反対側、第一文化村に繁る樹木。十三間通り(新目白通り)に面していても、高層建築は建てない・・・という町の暗黙律があるのだが、それをいつまで維持できるか・・・。