先週末、葛ヶ谷(現・西落合)と下落合(現・中落合)の境界あたりを歩きまわり、二ノ坂を下りて中井駅へと出た。途中、あまりに暑いので、中井駅近くの喫茶店へ入ってひと休み。この日は、中落合・中井2丁目あたりの家々に掲げられている、表札の住所表記を意識的にたどりながら歩いてきた。「中落合」や「中井」ではなく、いまだに「下落合三丁目」「下落合四丁目」と表札に書かれているお宅が、なんと多いことか!
 池袋の「雑司谷町」と同様、1960年代の半ば、役所が一方的に決めた町名にまったく納得されていないのだ。地名は、そこに住む住民たちのアイデンティティを形成する、重要なファクターのひとつ。「ご冗談でしょ、うちは下落合だてんだ。中落合なんてえ得体の知れねえ地名じゃねえや」(戦前に、下町から下落合へ越してきた方がいらっしゃれば、こういう語彙もあながち不自然ではない/笑)と思われている方が、いまだたくさんいらっしゃるのだろう。
 そんな想像をしながら、中井駅近くの喫茶店へ入ったのだけれど、ふたつ隣りのボックス席で熱心に話し合う方々がいた。わたしはアイスコーヒーを頼んで、地図とにらめっこをしながら原稿を書いていたのだが、なにやら聞きなれた身近な言葉が次々に耳へ飛びこんできて驚いた。いわく、「御留山」に「財務省官舎跡地」に、「タヌキ」に「泉が枯れる」!?
 
  ●
 「今度、ほれ、御留山の上が払い下げになるでしょ?」
 「そうそう、財務省の官舎跡地ね」
 「そんでね、あそこが一般に売りに出される前に、区のほうへさ、声がかかるって話」
 「どのぐらいすんだろうねえ?」
 「さあ、わかんないけど。あそこも、もともと御留山だからさ、区が買い上げて公園を拡げようって、そういう話をしてんのよ。地震のときの避難所にもなるしさ」
 「民間に声かけたら、あのへんはすぐ売れちゃうよ」
 「そうそう、あそこらへんだと、もう不動産屋はウハウハでまたすぐマンションだよ」
 「そこの林芙美子んとこも、またマンションでしょ」(刑部人邸跡のことか?)
 「もう、いらねえよ」
 「あそこの泉が枯れちゃうな。タヌキもいるっていうけどさ」
 「だからさ、その前に区で買い上げてもらって、公園拡げようってそういう話。このへんは、ほれ地震のときの避難場所が百人町のほうだろ」
 「そうそう、小滝橋通って百人町なんて、避難できないよ。よけいに危なくてしょうがないよな」
 「だから、おんなじ落合の御留山を拡げれば、まさかのときの広い避難場所もちゃんとできて安心なのよ。今晩、区へ買い取りを要請するって、その集まりがあるわけ」
  ●
 
 お話の様子からすると、中井と上落合にお住まいの方々のようだ。途中から、わたしはペンを置いて、つい会話に聞き入ってしまった。「おんなじ落合の御留山」という表現に、ジワリときてしまったせいもある。中井や中落合ではなく「下落合」のままの表札を、はからずも見てまわっていた直後のせいもあるのだろう。「おんなじ落合の刑部人邸」(旧・下落合4丁目2096番地)という意識で、はたしてどれだけのことができただろうか? 少なくとも、わたしは手いっぱいで身動きがとれず、なんらなすすべがなかった。
 現・下落合の「おとめ山公園」は、『落合新聞』(竹田助雄・刊行)Click!の時代、つまり中落合から中井一帯までが「下落合」と呼ばれたころからの、いわば落合を象徴するコアのような存在だ。元・相馬子爵邸Click!の南斜面にあたる、目白崖線(バッケ)の自然をよく残した武蔵野原生林なのだが、いまや目白・落合地区を代表する自然公園となっている。もし、財務省の官舎跡が建設会社の手に落ちれば、間違いなくたちどころに大型マンションが建設され、深い杭打ちのために地下水脈が分断されて、湧水に取り返しのつかない決定的なダメージを与えるだろう。
 今度の日曜日(7月9日)、落合第一地域センターで官舎跡地の新宿区買い上げ推進活動の発足会が予定されている。当然、その先には「おとめ山公園」の拡大保存や防災のテーマも重なるだろう。江戸期からの“落合ボタル”が育ち、お隣り豊島区の児童たちも自然観察や学習に訪れる、いまや都心でも稀少な奇跡のように残る原生緑地だ。目白・下落合の散策マップを作っているとき、「町からなにが消えてしまったのか」ではなく、これからせめて「町になにを残していけるのか」が問われているように感じたものだ。


 ■「おとめ山公園隣接公務員宿舎跡地対策協議会」発会式
  ・日時:7月9日(日) 17:30~
  ・場所:落合第一地域センター 4階ホール
  ・参加:どなたでも自由
 最後になってしまったが、中井(おそらく上落合の方も含めて)のみなさん、ありがとう。そして「刑部人邸」では諸々手がふさがっていて、なんらお力になれずたいへん残念、失礼しました。

■写真上:おとめ山公園側から見上げた財務省公務員住宅。
■写真中上:左は、中井駅の喫茶近くに架かる寺斉橋。右は、1932年(昭和7)の古い寺斉橋。
■写真中下:左は、弁天池上の財務省住宅。右は、中落合にある「下落合四丁目」邸宅。(^^
■写真下:上は、発会式のポスター。黄色バージョンが、落合地区の町会掲示板には貼られている。下は、白点線の部分がおとめ山公園に隣接した財務省払い下げ予定地。