タイトルどおり心まで温まる
『こころの湯』(チャン・ヤン監督/1999年/中国)

 忙しい大家さんに代わって、今しばらくヒマな負け犬のシネマレビューでご辛抱を。というわけで公開からずいぶん経っているが、先日鎌倉駅前にある市の生涯学習センター(きらら鎌倉)Click!で観た佳品を紹介する。
 幕開け、うっそー、何これ? 改革開放政策の中国の風呂ってこんなことになってるの? と笑わせてくれるが、実際は二男とふたりで切り盛りする劉さんの銭湯は近所の人が集う憩いの場である。風呂の中では、背中を流してもらいながら夢のようなビジネスを語る人、オーソレミオを歌う人(なかなかうまい)、それを邪魔する人……。ひと風呂浴びた後は、中国将棋に興じたり、吸い玉やマッサージを受けたり、はたまた器のなかで2匹のコオロギを闘わせたり……。湯槽と脱衣場を中心に進む映画、出てくる人はほぼおっさんとじいさんだけと、華はないが、可笑しさはたっぷりである。
 物語は、この銭湯に経済特区から長男が帰ってくるところからはじまる。都会に出た息子と、昔ながらの生活を続ける父親とのぎくしゃくした関係や、それを取りなすきょうだいが障害者というのは何かパターン化された感じもするが、シリアスになるかと思えば、観ているこっちの予想を少しだけ裏切ってくれる。そのさじかげんがほどよく心地いい。何がいいって、父親が二男阿明(アミン)のめんどうを見ているふうでないところ。風呂の掃除をしながら、ジョギングと称して近所をひとまわりする場面など、長男が疎外感を持つほど素敵なのだ。

 父親役のチャウ・シュイ(『變面 この櫂に手をそえて』のおじさん)、コメディセンスが確かで、大まじめに語る風呂の大切さや、ケンカばかりしている銭湯の客の夫婦仲が悪くなった原因とやらを聞く件りなど、会場の人たちが画面に見入っているので笑っちゃいけないのかと思いながらも、あまりのばかばかしさくすくす笑ってしまった。この寓話、何度も生き返る母の葬儀に振り回される『祝祭』と同じで、必要なんだろうかと首を傾げるが、映画全体のおかしさは『大統領の理髪師』にちょっと似ている。もちろん現実を踏まえた大げさではないクライマックスが用意されている。期待どおりではないかもしれないが。
 だいたい2カ月に1度行われているこの映画会、その収益の一部が川喜多長政・かしこ夫妻の住まいだった旧・川喜多邸Click!を、上映設備のある記念館にするための基金に入る。川喜多さんといえば私にとってはフランス映画社の和子さんだ。「傑作を世界からはこぶ」バウシリーズはどんなレビューよりも信じられた。あのマークにまんまとハマって映画好きになってしまった私。寄付する余裕はなくても、映画を観る余裕はいつでもある。好きな映画を観るだけで、些少でもいくらかが自動的に寄付されるならこんなありがたいことはない。しかも主催・協力する人たちが選ぶ作品のセンスがいい。
 
 というのも、この春は鎌倉駅を最寄りとする最後の銭湯「瀧乃湯」がなくなってちょうど1年。これは「瀧乃湯」を偲ぶ作品でもあるのだ。この最後の銭湯、市民の声に応えて何年か閉店を延ばしたそうだが、失われたものへの郷愁は失ったからこそ存在するのもまた事実。毎日通えるならともかく、この時世、ノスタルジーだけで古いものを残すのは現実問題として難しい。だからといって人口が減る一方の高齢社会に、どこもかしこもマンションというのも芸がないし、あまりに将来を考えてなさすぎるけどね。
 次回は5月24日(木)にタイ映画『風の前奏曲』を上映予定。近くの方、お時間に余裕のある方は鎌倉観光のついでにぜひ観にいらしてください。チケットは当日1,000円(前売800円)……あーあ、頼まれてもいないのに宣伝しちゃったよ。
                                          負け犬

■写真下:左は、鎌倉駅の間近にあった最後の銭湯「瀧乃湯」。右は、雪ノ下の旧・川喜多邸。