洋画家・刑部人(おさかべじん)邸が吉武東里の設計であり、丘上に隣接していた島津邸は大熊喜邦と吉武とのコラボ建築Click!であることは以前に書いた。つまり、国会議事堂や横浜税関庁舎とは、兄弟(姉妹?)建築ということになる。では、刑部邸の外観ばかりでなく邸内、特にアトリエなどはどのような意匠だったのだろうか?
 三井不動産販売の定期刊行物である『こんにちは』に連載されている、「家の記憶」というシリーズの第34回で、刑部邸を訪問した藤森照信は次のように書いている。
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 島津家は、明治になってから、近代的な諸物の製造業に乗り出し、成功し、やがて大正十一年に今のところの一帯一万坪を手に入れて祖父の源蔵が屋敷を構え、その時の設計は大熊喜邦と吉武東里が手がけた。そして父の源吉が昭和六年、今度は吉武東里だけの設計で娘夫婦のための家を建てた。
 今はもうないが、祖父の建てた洋館の設計者が大熊喜邦と吉武東里の二人であることに僕は興味をもった。なぜなら、この二人こそ、中心になって今の国会議事堂のデザインを手がけた名コンビにほかならないからである。  (藤森照信「旧刑部人邸」より)
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 島津邸はとうに存在しないが、昨年(2006年)の春まで建っていた刑部人邸、特に画伯のアトリエなどを中心に、その一部をご紹介したい。
 
 邸内は、下落合地域に建てられた当時の洋風住宅の中でも、ケタ違いに豪華で凝った造りをしている。吉武東里を感じさせるデザインとしては、「明らかに議事堂的と思われたのは玄関の正面に置かれていた飾り台で、全体をずんぐりムックリとし、隅を少し丸めにして、装飾を抑えめにほどこすところは国会議事堂の階段室とよく似ている」(藤森氏)のほか、横浜税関庁舎とウリふたつの“ねじりんぼう”柱が見られる。
 邸内の壁面に、刑部人Click!の作品が随所に架けられているのは、同じ下落合に住んだご近所の洋画家・松本竣介邸と同様だ。北のバッケに面した巨大な採光窓が特徴的なアトリエが、特に美しい。1931年(昭和6)の建築なので、横浜税関や国会議事堂の建築の兄(姉)建築ということになる。では、刑部人邸の内部Click!を拝見してみよう。
 
 この貴重でかけがえのない近代建築の作品が、2006年の4月、わずか数日で壊されてしまった。返すがえすも、残念でならない。

■写真上:刑部人邸の北側、バッケ上から眺めたアトリエの採光窓全体の様子。
■写真中:左は、刑部邸の正面エントランスから破風デザインの屋根を見上げたところ。右は、横浜税関庁舎と同じデザインの、手の込んだ造りの“ねじりんぼう”円柱。
■写真下:左は、国会議事堂の完成予想図。右は、横浜税関庁舎の柱に特徴のある窓辺。