多くの「下落合風景」を残している洋画家のひとりに、下落合の第一文化村の北側、やがては葛ヶ谷(西落合)に住んだ松下春雄がいる。以前にもここで、『下落合文化村入口』Click!(1925年・大正14)という作品を紹介したけれど、このとき松下は下落合1385番地、すなわち第一文化村の北側に接していた第ニ府営住宅あたりに住んでいた。だから、必然的に目白文化村とその周辺の風景を多く描くことになった。のちに住んだ西落合の住所は、葛ヶ谷306番地だった。
 松下は、自宅周辺の「下落合風景」を大正期後半からコンスタントに描きはじめており、佐伯の同シリーズよりも数年スタートが早い。だから、自宅周辺を描いてまわった中村彝Click!曾宮一念Click!とともに、元祖「下落合風景」画家といえるかもしれない。その後、佐伯がわずか1年足らずの間に、圧倒的な『下落合風景』シリーズClick!を制作するにおよび、松下春雄の仕事はかすんでしまったけれど、目白・下落合地区に在住する画家たちの間で下落合の風景をモチーフにするのが、ひとつのブームになっていく。

 この1928年(昭和3)に描かれ『初冬』と名づけられた作品は、旧・下落合西部のどこかなのだろう。光線は画面の左手から射し、遠方に大きな森が残っているようなので、左側が南となる目白崖線上の情景らしい。とすれば、松下が当時住んでいた第ニ府営住宅あたりの南西側、アビラ村と呼ばれたエリアの西部、現在の中井2丁目あたりの風景だろうか? 描かれている家々は、和風か洋風かはっきりとしない。周辺の情景や地形から、目白文化村界隈でないことは確かなようだ。
 
 手前から畑の畝がつづき、その一部が宅地化されたものか農家には見えない家々が建ち並んでいる。カラー画像ではないので、はっきりとはわからないが、画面左にも家の屋根のようなかたちが描かれている。ひょっとすると、左側が崖線で大きく落ちこんでいる地形なのかもしれない。大正末から昭和初期の下落合西部(現・中井2丁目界隈)は、このような風景がいたるところに拡がっていたに違いない。松下は、佐伯のように友人知人の自宅・アトリエ近く、あるいはちょうど工事中や造成中の区画など、特徴のある描画位置を選んでいるようには見えず、どこへでも自在に出かけては風景を描いているようだ。その描き方に傾向やクセ、規則性を見つけることはできない。
 
 いまでは住宅がギッシリと建ち並び、バッケ(崖)上から崖下にかけて、このような斜めの眺望がきくポイントは、崖っぷちに建つ個人宅の庭や2階からでも眺めないかぎり、なかなか見つけることができない。いまだ下落合で、米国まで輸出されていた沢庵漬けの下落合大根Click!が、たくさん作付けされていたころの情景だ。

■写真上:左は、松下春雄の『初冬』。1929年(昭和4)の1月に行われた「本郷展」に出品されているので、制作は1928年(昭和3)の初冬だと思われる。右は、いまではめったに見られなくなった下落合の畑地に咲く菖蒲。『初冬』が描かれた西部ではなく、目白駅寄りの下落合に残る。
■写真中:左は、1936年(昭和11)の空中写真。おそらく、描画ポイントはこのあたりと思われる。右は、1926年(大正15)の「下落合事情明細図」にみる同地域。
■写真下:左は、バッケ上から崖下方面の眺め。右は、島津家が寄進した四ノ坂の急階段。