ここに、1枚の興味深い写真が残っている。1929年(昭和4)に開催された、第4回「1930年協会展」の大阪展、ないしは同年に“美津濃運動用品”協賛で開かれた、佐伯祐三の兄である祐正が主催した「佐伯祐三/追悼展」の、いずれかの会場写真だ。ポケットに手を突っこんで中央に立っているのが、祐三の兄の佐伯祐正だ。
 左壁面には、1928年(昭和3)に第2次滞仏時のパリで描かれた、大きめの『モンパルナス附近』が架けられている。でも、問題はこの作品ではない。右手のコーナーに、ずらりと並んで架けられた作品群のほうだ。おそらく、下落合のアトリエで描かれた作品だと、当時では判断されていたと思われる絵を集めたコーナーではないか。静物画と日本の風景画が見られることからも、この一画の展示意図がうかがえる。実は、この中で静物画の『アネモネ』3点(?)は、下落合のアトリエではなく、1925(大正14)のパリで描かれたことがのちに判明している。雨で外出ができない日に、佐伯はパリのアトリエで盛んに静物画を描いていた。


 また、兄・祐正の背後には、「下落合風景」のひとつである諏訪谷の『雪景色』Click!(1926年)、同じく祐正の左肩背後には、「下落合風景」のうち第二文化村の北側にあった火見櫓あたりの、右へカーブした坂道を描いた『道』Click!(1926~27年)が見えている。
 問題は、右手の人物のすぐ右側に写っている作品2点だ。仮に奥の絵を作品①、手前の絵を作品②としよう。①の絵は、構図が「城北学園近くの夕暮れ」Click!に非常によく似ているけれど、同作ではない。道の角度や明るさ、遠景の様子が明らかに異なっている。縁石で整備された直線の道がつづき、遠景には樹木と建物が描かれているようだ。雰囲気からすると目白文化村Click!近く、あるいは文化村に入りこんだ道路Click!でも描いたのだろうか?
 
 また、②の絵は、『曾宮さんの前』の屋根が連なる諏訪谷に近似している。いずれかの崖線上から眺めた風景のように見えるが、視点の高度、向かいの家々の様子、画面右の大樹の存在などから、イーゼルの位置を少し変えて諏訪谷を描いた、『曾宮さん前』の別バージョンの可能性が高い。サイズも20号と思われるので、同作のサイズに照応しているが、「制作メモ」Click!によれば1926年(大正15)9月20日の同日に描かれたのは、15号の『散歩道』なのでこの作品ではないだろう。
 『曾宮さんの前』Click!で正面中央に描かれた家屋の角度が、作品②ではかなり深く、またキャンバスの底辺とほぼ平行に描かれていた崖線の淵が、作品②では左下を斜めに横切っているので、より久七坂筋の道路に近い位置にイーゼルを据えて描いたのだろう。また、日没が近い黄昏どきの『曾宮さんの前』とは異なり、画面の明るさから、こちらのほうが早い時間帯のように見える。
 
 この「下落合風景」Click!と思われる2作品は、朝日新聞社および講談社の『佐伯祐三全画集』にも収録されてはおらず、山本發次郎コレクションや兄・祐正の所蔵品のように戦災で失われてしまったか、あるいは個人のお宅でひっそりと眠ったままなのかもしれない。

■写真上:1929年(昭和4)に開かれた、第4回「1930年協会展」または「追悼展」の会場写真。
■写真中上:下落合のアトリエ制作コーナーとして、展示されたと思われる作品群。
■写真中下:左は、作品①の拡大。右は、同じような構図の作品「城北学園近くの夕暮れ」。
■写真下:左は、作品②の拡大。右は、1926年(大正15)の「下落合事情明細図」にみる、描画ポイントの推定。作品①②ともに、現在では行方不明の「下落合風景」シリーズと思われる。