相馬家ご一族の相馬彰様より、再び貴重な写真の数々をお送りいただいた。今度は相馬邸Click!の庭、つまり御留山とその谷戸(現・おとめ山公園)を中心とした風景写真の数々だ。これらの写真を見ていて改めて気づくのは、御留山が将門相馬家の庭園であったということだ。そこには、戦後になって竹田助雄Click!が再発見し、写真にも撮影された“秘境”のイメージはない。
 1915年(大正4)、相馬家の新邸アルバムである『相馬家邸宅写真帖』(相馬小高神社宮司・相馬胤道氏蔵)のために冬枯れの中で撮られた写真には、隅々にまで造園の手がゆきとどいた、明るい芝庭の目立つ御留山の姿がとらえられている。この風景が、もとの武蔵野原生林の姿へともどって“秘境”化するのは、戦中戦後を通じてのいわば御留山が放置されていた時間の流れにおいてだったことがわかる。大正の初め、近衛家から広大な敷地を購入し、外桜田にあった旧・津和野藩の上屋敷だった本邸から転居してきた相馬家では、武蔵野原生林を切り拓いて邸の南側に拡がる御留山と湧水の谷戸へ、かなり手を加えて造作している。
 1939年(昭和14)に相馬家が土地を売却すると、敷地の北側は屋敷の解体と同時に住宅地としての道路整備が進んだけれど、南の傾斜がつづく庭園側、すなわち御留山と谷戸のエリアは開発の手が加えられず、そのままの状態が20数年にわたってつづき、戦後の急激な再開発の手からも取り残されて、再び武蔵野原生林の“秘境”へと回帰していったことがわかる。では、庭園の写真を1枚ずつ観察しながら、撮影ポイントを想定してみよう。

 
 まず、冒頭の写真①は相馬邸の中庭だ。母屋のうち、事務所や応接室の建物にほど近い「表座敷」と呼ばれた建物から、南側の「居間」と呼ばれた建物側へ向けてシャッターを切った風景だ。前方に見えている建築が「居間」のつづきで、中庭は「表座敷」と「居間」とにはさまれた位置にあった。灯籠なども見え、甘泉園とまったく同様に純和式の庭園として設計されていたのがわかる。ひょっとすると、当時庭師の間では一般的な造園技術のひとつだったとみられる水琴窟Click!の仕組みも、手水鉢の下に造られていたのかもしれない。
 現在の財務省官舎の敷地には、この中庭のものと思われる庭石をいくつか見ることができる。中には、江戸時代に流行した根府川石(伊豆石)と思われる質感のものも混じり、江戸期に相馬藩邸の庭園に置かれていたものを、そのまま移してきたのではないかとも想定できる。官舎敷地に現存するのは、おそらく池の周囲にめぐらされていた石のいくつかなのだろう。

 
 写真②は、母屋の南側にあたる「居間」から、建物に沿い西側を向いて撮影したものだ。この「居間」の建物位置が、ちょうど旧・相馬邸の敷地内を東西へ横切る現在の道路のあるあたりだ。画面の左手には、御留山の谷戸へ向けて落ちこんでいく広い芝庭の斜面が写っている。現状は、この斜面をかなりの盛り土によって水平に造成しなおし、財務省官舎が建ち並んでいる。正面の左手奥には、現在では落合中学校が建っているあたりのこんもりとした雑木林が見えている。また、さらに左手の画角外には、1932年(昭和7)になると落合第四小学校が建設されることになる。

 
 写真③は、芝庭の距離感や傾斜の少ない地形から「居間」東側の建物沿いに、今度は西から東を向いて撮影したものと思われる。光線の具合いや地面の傾斜の様子を見ても、画面の右手が南だ。広大な芝庭の中を、縦横に走っていた小径の様子がよくわかる。庭木には松が好まれ、苗木も含めて随所に植えられているのが見える。「居間」の大きな2階建ての建築は、画面の左手枠外にあり、正面(東側)にも林泉園Click!からつづく谷間の渓流が弁天池へとつづいているので、地形が落ちこんでいる様子が樹木の見え方などからかろうじてとらえられている。
 正面(東側)の谷間をはさんで向かいの尾根上には、東京土地住宅(株)によって1922年(大正11)「近衛町」Click!が開発される以前の、近衛邸(旧邸)が建っているはずなのだけれど、この位置からでは遠すぎて、あるいは濃い樹林にさえぎられて邸の建物は見ることができない。
                                                <つづく>

■写真上:相馬邸の母屋内、「表座敷」と「居間」とにはさまれた中庭。
■写真中上:上は、1936年(昭和11)の空中写真にみる各写真の撮影ポイント。下は、財務省官舎敷地に残る、相馬邸の中庭のものと思われる庭石の数々。
■写真中下:上は、母屋の「居間」沿いに西を向いて撮影。下左は、同撮影位置よりもやや南の財務省官舎敷地内から西を向いて撮影したもの。現状の芝庭に並んでいる礎石と思われる石群が、「居間」の建物形状と一致しない。やはり、東西道を造成するとき礎石をここへ移したものか? 下右は、おとめ山公園に隣接する官舎敷地一帯を、同様に西へ向いて撮影したもの。
■写真下:上は、芝庭を西から東の近衛町方面へ向いて撮影したと思われる風景。下左は、官舎敷地を東へ向いて撮影したもの。下右は、母屋の「居間」跡を東西に横切る道路の現状。