1933年(昭和8)に大東京市制審査協会によって作成され、当時35銭で販売されていた、目白・下落合界隈を含む大判のカラーイラストマップを入手した。ある方が、某所に眠っていた同地図を探し出してくださったのだ。「大東京市各区便益明細地図」と題された同地図は、淀橋区(現・新宿区西部)と豊島区がA全判の用紙1枚に収められ、名所旧跡や学校、官庁舎、おもな個人住宅、工場など主要な建物が、親しみやすいカラーイラストで描かれている。ちょうど、「目白・下落合散策マップ」Click!の昭和初期(70年前)バージョンといった趣きだ。
 2006年版「散策マップ」と異なるのは、「便益明細地図」の名が示すとおり、生活に根ざした情報を優先的に掲載したイラストマップだというところ。貴重な建物が残る旧跡や、みどりの多い公園なども紹介されているけれど、おもに暮らしに役立ち生活するうえで必要性の高い施設や店舗などの情報を、ふんだんに描き入れているのが大きな特徴だ。それは、同地図の凡例を見れば明らかだ。通常の地図の凡例記号ももちろん存在しているが、たとえば病院のほかに「イ」は町医者、「ヤ」は薬業者、「サ」は産婆、「た」は煙草屋、「ケ」は化粧品店、「ザ」は書籍雑誌店・・・というように、通常の地図では記載されない開業情報が、細かく街角ごとに記入されている。
 
 目白・下落合界隈を眺めてみると、氷川明神社の斜向かいに治水学院がイラストとともに描かれているのがめずらしい。また、妙正寺川の河畔には白百合幼稚園が描かれている。近衛邸や徳川邸も収録されているのだけれど、おかしいのは相馬子爵邸の位置。同邸が、落合第四小学校の向かいではなく、ワンブロック離れた近衛町の西側に描かれてしまっている。よくよく見ると、どうやら落四小学校と相馬邸との間に、道が1本余分に描かれているようだ。また、落四小学校が「落合小学校」と記載されていて、かんじんの落合第一小学校(旧・落合小学校)が存在しない。(爆!) 落一小学校を描いたとみられるイラストは、実際の道路南西側ではなく北東側の位置にあって、キャプションには「目白幼稚園」という名称が付与されている。さらに、徳川邸の位置が西坂を上がりきった向かいの位置に描かれていたり、国際聖母病院が「青柳ヶ原」Click!の尾根筋ではなく、第三文化村の谷間に描かれていたりする。
 おかしな点は、まだまだ見つけることができる。目白文化村Click!は、建ち並ぶ西洋館が密に描かれているけれど、近衛町Click!には豊坂稲荷と藤稲荷のほかイラストが存在しない。落成していたはずの学習院昭和寮Click!も描かれておらず、その崖線下の大黒葡萄酒Click!(メルシャンワイン)は逆に目立つ大きなイラストが挿入されている。これらイラストの有無は、東京市内における知名度の高さや浸透度にもよるのかもしれない。また、第二文化村の南に、なにやら大きな施設のイラストが挿入されているけれど、こんなところに学校も工場もなかったはずだ。そこには、なんの説明も記入されておらず、挿画家(イラストレーター)が誤って落一小学校をこんなところに描いてしまったので、仕方なく編集者が最後に知らんぷりをしたのだろうか?
 
 氷川明神の境内北側に、銭湯「松の湯」が開業しているのも面白い。実は、1936年(昭和11)の空中写真を見ていて、氷川明神の敷地からうっすらと立ちのぼる煙のようなものが、以前から気になっていたのだ。いまもよく見かける護符を焼く焚き火の煙か、クシナダヒメ様の聖域オーラ(爆!)かとも思っていたのだけれど、ここに銭湯があったとすれば煙突からの排煙の可能性が高い。氷川明神の境内だから、仕事を終えた近所の人たちが1日の終わりにひと風呂あびて身を清めたあと、お参りをしてから家路につく・・・という、当時の下落合におけるライフスタイルを意識した、まことに自然なマーケティングにもとづく開業だったのかもしれない。「松の湯」は、現在の七曲坂を下りきったすぐ左手の境内、本殿および拝殿が建っているあたりに描かれている。もちろん、十三間通り(新目白通り)は存在せず、明神本殿は境内の南側に描かれている。そして、おかしなことに名所旧跡の判例記号が、この銭湯の上に記載されていたりする。
 中井駅近くの銭湯を見ると、1933年(昭和8)当時も「草津温泉」Click!という名称の健在だったことがわかる。西武電鉄の線路をはさんで上落合を見ると、最勝寺や堤康次郎が経営していた東京護謨、落合第二小学校(現・落五小学校)、岡本邸などがイラストで描かれている。また、上落合にはお店の記号がたくさん記入されていて、下落合の住宅街に比べ商店街が形成されていて、相対的に賑やかだったことがわかる。さらに、高田馬場駅前に百貨店(デパート)がオープンしているのも驚きだ。少し前まで、東映系の映画館が入っていた、駅東側にある線路際の位置だ。
 
 もし、この地図の凡例に「コ=珈琲店・喫茶店」とか「バ=バー・カフェ」とか、「ミ=ミルクホール」の記号があったとしたら、もっと楽しい地図になっただろう。凡例にはないけれど、映画館や寄席の記載もあちこちにみえる。でも、上落合のバー「あざみ」Click!は、時代からいってすでに描かれていなかったかもしれないけれど・・・。

■写真上:左は、1933年(昭和8)の「大東京市各区便益明細地図」に描かれた目白文化村界隈。右は、同地図の面白い凡例記号で、暮らしに密着したイラストマップをめざしたのがわかる。
■写真中上:左は、落四小学校(なぜか落合小学校と書かれている)からだいぶ離れた相馬邸。右は、氷川明神の斜向かいに描かれた治水学院と、境内の中に開業している銭湯「松の湯」。
■写真中下:左は、おかしな位置に徳川邸のある西坂界隈。妙なところに学校らしい建物が描かれ、「目白幼稚園」と記入されている。右は、落ニ小学校(現・落五小学校)と最勝寺。
■写真下:左は目白商業と下落合(中井)御霊神社で、右は四村橋近くのオリエンタル写真工業。