1923年(大正12)に第1次渡仏へと向かう直前、佐伯祐三Click!は世話になった曾宮一念Click!へ身のまわりのものを贈っている。曾宮へプレゼントされたものとは、庭木のアケビClick!が2本、黒いニワトリClick!が7羽、そして佐伯が愛用していた簡易イーゼルが1脚だった。
 簡易イーゼルといっても、おカネのない画学生が用いる折りたたみ式の脚がついたものではなく、アトリエに据えるメインイーゼルに比べて簡素な作りのもので、決して肩に担いで手軽に持ち運べるものではない。曾宮が佐伯アトリエClick!を訪れると、すでにイーゼルには「ソミヤ」という名前までが脚の上部に書かれていたので、佐伯は早くから曾宮へ贈ろうと考えていたのだろう。曾宮は当然、すでに自身のイーゼルを持っていたので何度か断っているが、それでも「あげるあげる」といってきかなかったらしい。結局、ひとりでは重たくて持ち帰れないので、佐伯と曾宮はふたりでイーゼルを担いで「ウンショウンショ」と諏訪谷の曾宮アトリエClick!まで運んでいる。そのときの様子を、『新宿歴史博物館紀要』Click!創刊号(1992年)所収の「曽宮一念氏インタビュー」から引用してみよう。
  ●
 それで行く前に、彼は玉子でもとる気だったんでしょう、黒いニワトリをね、私の所に持ってきて、お前にやると、貰ってくれと。放しといちゃ困るだろうと言ったら、小屋作ってやるって、板っきれを方々から集めてきて、小さな小屋を庭の隅っこに作ってくれた。それからアケビの木ですね、実がなって食べられる、それを2本持ってきましてね、僕の部屋の入口のとこに、2本植えていきましたよ。それから下が三角になってる、室内用では一番安物の、佐伯が使ってた画架を、僕が遊びに行ったら、これ君にやるって言って、どうしても聞かないんですよ。そして足の一番先に、普通の筆記用のインキでもってカタカナで「ソミヤ」と書いて、これやるから一緒に持ってけって言うんで、佐伯と二人で私のアトリエまで、担いで来ましたよ。その画架はいまだにあります。もう使ってはおりませんけれども、この部屋のとなりの画室にあります。(奥原哲志「曾宮一念氏インタビュー」より)
  ●
 曾宮一念は、のちにペン用ブルーブラックのインキを絵筆にひたして書きこまれた「ソミヤ」の文字を見ながら、パリへ骨を埋める覚悟の佐伯が、遺品の形見分けをした・・・というニュアンスでとらえているが、佐伯は1926年(大正15)の春先、100点を超える滞仏作とともに無事帰国している。
  
 富士宮の曾宮アトリエに現存する、その「ソミヤ」イーゼルの詳細なカラー写真を、江崎晴城様Click!よりお送りいただいた。おそらく、佐伯イーゼルの詳細なカラー画像は初めての公開であり、新宿歴史博物館が企画している「下落合をめぐる佐伯祐三」展(←再び勝手に言ってます/爆!)への展示は、戦前戦後を通じて開催された「佐伯祐三」展史上でも初めてのことだ。
 この簡易イーゼルについて、下落合の曾宮アトリエが1945年(昭和20)5月25日の山手空襲Click!で焼けるとともに、「焼失してしまった」とする記述をどこかで読んだことがある。わたしの記憶では、朝日晃が美術誌かなにかへ書いた文章ではなかったかと思うのだけれど、曾宮は1944年(昭和19)に下落合から静岡県吉原町へ疎開し、翌1945年(昭和20)に富士宮へと転居するどこかの時点で、佐伯の簡易イーゼルを下落合から運び出している。太田清蔵による、相馬邸の「黒門」移築Click!のところでも触れたけれど、戦時下における物流はすべて軍事物資が最優先であり、引越しをするのも、また荷を運ぶのも容易なことではなかったはずだ。佐伯の山發コレクションClick!の大半が空襲で灰になったのは、輸送手段が満足に確保できないからだった。
 
 曾宮がアトリエの荷物を、下落合から静岡へと運んだのは空襲がリアルに予想される戦争末期であり、たいへんな作業だったろう。曾宮夕見様Click!の証言によれば、下落合のアトリエには出来のいい作品が多数残されたままだったようで、のちに曾宮一念はたいへん残念がっていたらしい。そのような状況の中で、曾宮は佐伯の簡易イーゼルを苦労して静岡まで運んでいる。
 曾宮は、佐伯のイーゼルを下落合のアトリエで愛用していたらしい。1934年(昭和9)9月15日に撮影された『種子静物』(1935年)を制作中のアトリエ写真Click!が残っている。そこで制作中の同作品が載ったイーゼルは、脚もとに斜めの補強材を打ちつける前の佐伯イーゼルのようだ。曾宮は、下落合で仲がよかった佐伯祐三を、戦後のエッセイや講演でも頻繁に取り上げており、年下でもあるせいか中村彝Click!以上に親近感を抱いていた様子がうかがわれる。

 貴重な佐伯イーゼルの画像を、曾宮アトリエでわざわざ撮影してお送りくださった江崎晴城様、そして新宿歴史博物館の「佐伯祐三」展への出展を快諾してくださった曾宮夕見様へ、改めて深くお礼申し上げたい。ありがとうございました。

■写真上:静岡の曾宮アトリエに現存する、佐伯祐三が下落合のアトリエで愛用したイーゼル。
■写真中上:佐伯がブルーブラックのインキを絵筆につけて書いた、左から右へ「ソミヤ」の文字。
■写真中下:左は、イーゼル中央脚の上部に書かれた「ソミヤ」。右は、1934年(昭和9)に下落合の曾宮アトリエで撮影された同イーゼルと思われる写真。1937年(昭和12)の『美術』9月号より。
■写真下:佐伯と曾宮が「ウンショウンショ」と、ふたりがかりで運んだイーゼル引っ越しルート。