新宿歴史博物館で3月27日(土)からスタートする、「佐伯祐三展-下落合の風景-」展覧会のポスターとリーフレットが刷了・完成した。歴博の学芸員の方が、わざわざ下落合の「カフェ杏奴」Click!まで運んでくださった。さっそく、ママさんが「杏奴」の壁面などに貼ってくださる。
 同展の入場料は300円と、美術展としては破格の設定だ。これで、佐伯祐三Click!の『下落合風景』Click!を中心に、下落合のアトリエで制作されたポートレートや静物の作品群、第1次から第2次滞仏時の作品群、これまで公開されたことのない曾宮一念Click!のアトリエClick!に保存されていた佐伯イーゼルClick!、下落合の風景を描いたと思われる未公開の作品を含むスケッチ類、パリの病床で使用していたベッド横に置かれていた呼び鈴(ステキな音色だ)・・・などなど、従来の佐伯祐三展とはひと味もふた味も異なる、新宿ならではの地元密着型の展示内容となっている。
 もちろん、学芸員の方はポスターやリーフのみの用件で下落合の“現場”へみえたのではなく、展覧会図録の制作に関する中間フェーズの打ち合わせを兼ねて、休暇であるにもかかわらず「杏奴」へおみえになった。佐伯が学んだ美校の、ずーっとはるか後輩である美術家の方Click!も加わり、画像や資料、図版などのそろい具合を確認し、足りない資料や図版をどうするかも含めてのツメの打ち合わせだ。展覧会図録の制作では、学芸員の方へ佐伯自身に関連した、あるいは佐伯周辺の画家たちに関連した作品画像や図版・資料などの捜索や確認、手配などで、たいへんお手数やご面倒をおかけしてしまった。『下落合風景』描画ポイントの撮影など、これからまだまだ現場ワークの仕事も残っているけれど、図録の構成や内容については、また改めてご紹介したい。
 
 リーフレットの裏面には、佐伯作品とともに「かつて新宿は芸術の都だった・・・」というフレーズが挿入されている。事実、落合地域のみを取り上げても、大正期から現在にいたるまで膨大な数の美術や文学の関係者が住みつづけてきた。美術家だけに限ってみても、目白通りをはさんで北側の長崎アトリエ村エリアには、一時居住を含めるとゆうに600人を超える美術家たちが暮らしていたそうだ。おそらく、現在のわたしの感触だと、一時居住者や日本画家、彫刻家なども含めれば、落合地域にも同数ぐらいは住んでいたのではないかな?・・・と思っている。
 このサイトではほとんど触れてこなかったけれど、戦後に落合地域へ移り住んだ美術家の方々も数多い。たとえば、1950~60年代を取り上げても、落合地域には相変わらずたくさんの画家たちが去来しており、なにかの資料や情報などのきっかけから、ふと戦後の「落合美術地図」が浮かび上がることがある。また、ここでご紹介している戦前の画家たちは、みなさん超有名な方々ばかりであり、そのほかにも落合地域にはいまだ記事にするチャンスを逸している、たくさんの画家たちが居住していた。また、洋画家ばかりをご紹介して、あまり日本画家や彫刻家には触れてきていないけれど、彼ら(彼女ら)の存在も相当な密度にのぼっている。
 できあがったポスターやリーフは、十三間通り(新目白通り)沿いの「カフェ杏奴」へ貼っていただいたほか、わたしが学生時代から寄らせていただいていた目白通り沿いは佐伯アトリエのほど近く、中村彝Click!が下落合へアトリエを建てたのと同じ1916年(大正5)創業の和菓子の老舗「ますだや」さんClick!へも、さっそくおとどけした。さらに、ポスターやチラシについては以前からお声がけいただいていた、竪川と十間川とが交じわる復活したミツワ石鹸Click!もほど近い、創業1919年(大正8)の「鳥の小川」さんClick!へも、下落合にゆかりの深いClick!下町の代表店としておとどけした。地元の下落合ばかりでなく、佐伯ファンは全国区レベルだから、佐伯アトリエのリニューアルも重なって、新宿歴博と落合地域への見学者は急増するものと思われる。
 
 さらに、新宿区と豊島区との区分を超えて、長崎側では長崎アトリエ村資料室Click!、熊谷守一美術館、そして豊島区郷土資料館でもポスターとリーフレットを貼ってくださる予定だ。画家たちが下落合を散策していた時代、落合村(町)と長崎村(町)との境界など彼らにはほとんど意識されなかったように、東京最大の「芸術の都」は行政による線引きを超えて、落合地域と長崎地域に広く横たわっている。この両地域を往来した画家は、いったいどれほどの数にのぼることだろう?
 これからも新宿区では、いままで手薄だった美術分野をめぐる多彩な展覧会やイベントが開かれていくだろう。それらのコンテンツには、ぜひ目白通りをはさんだ豊島区側の長崎アトリエ村との連携、あるいは実施レベルでのアライアンスを考慮していただければと思う。それは、豊島区側で暮らし下落合側へアトリエをかまえた安井曾太郎Click!や牧野虎雄Click!、松本竣介Click!、刑部人Click!、あるいは逆に下落合で暮らし豊島区側にアトリエを建てた鶴田吾郎Click!といった近代洋画界のビッグネームももちろんだが、戦後の南長崎に建っていたトキワ荘と、下落合の赤塚不二夫(不二夫プロ)や高田馬場の手塚治虫(手塚プロ)にいたるまで、両地域をめぐるコラボレーション構想のリーチは、限りなく長大だと思うからだ。これにより、目白・落合地域は東京を代表する豊かな緑と芸術の「都」として、もうひとつ別のまったく新しい顔(街のイメージ)が形成されることになるだろう。

■写真上:下落合へおとどけいただいた、「佐伯祐三展-下落合の風景-」のB2版ポスター。
■写真中:同じく刷了した、同展A4版リーフレットの表紙(左)と裏面(右)。
■写真下:ほぼ外観リニューアルClick!が完成した、佐伯アトリエ(左)と米子夫人の茶の間(右)。