わたしが好きな現代画家に、以前にもこちらでご紹介した貝原浩Click!がいる。彼が挿画や装丁を手がけた書籍や雑誌を、学生時代からずいぶん手にしていたので、よけいに親しみをおぼえるのだろう。少し前まで知らなかったけれど、貝原浩は落合地域に住んでいた。わたしが聖母坂にいた1980年代、貝原の仕事(確か現代書館のシリーズ本だった)についてとあるメディアに書き、しばらくして90年代に入ってから彼はわたしの家からほど遠からぬところで暮らしていた。2005年6月に、いまだ50歳代で亡くなったことを知ったときには、心底ガッカリしたものだ。
 貝原浩は、旧・下落合4丁目(現・中落合4丁目)で暮らしていたのだから、作品の主題や方向性がまるっきり異なっているとはいえ、下落合周辺の風景をチョロッと描いていないかどうか、ずっと探しつづけてきた。そして、ようやく下落合の風景作品を手に入れることができた。貝原浩の「下落合風景」を所蔵されていたのは、そして当サイトへ掲載の許可をいただいたのは、現在でも下落合(現・中落合)にお住まいの、ほかならない貝原浩の連れ合いさんである世良田律子様だ。わたしの友人を通じて、「下落合風景」作品の有無をうかがっていただいたところ、わざわざ探し出してくださった。冒頭の作品が、貝原浩の描いた「下落合風景」だ。
 余談だけれど、世良田様の姓がとても気になる。もちろん、「世良田」姓の室町期以降における別姓が、「徳川」姓あるいは「松平」姓だからだ。江戸幕府の7代将軍・家継の時代から、徳川家ではおそらく鎌倉期以前から用いられていた、「世良田」の苗字を復活させている。そして、目白・下落合界隈には大垣徳川家Click!をはじめ、尾張徳川家Click!、姻戚にあたる戸田家Click!、そして一時的にせよ早稲田の甘泉園Click!から転居し、中村彝Click!のアトリエClick!も訪問している水戸徳川家Click!など、徳川家のみなさんが意識的にか、または期せずして集合していた。当然、これらの“将軍家”と世良田様のご先祖とは、どこかで交流があったものだろう。
 
 さて、貝原浩の「下落合風景」は、目白文化村Click!界隈にお住まいの方なら、モチーフに取り上げている建物はすぐにもおわかりだろう。第一文化村の北側、戦前には第二と第三の落合府営住宅Click!の境界あたりに位置し、目白通り沿いに建てられている老舗の小野田製油所Click!だ。店舗と工場とが通り沿いに建てられているが、貝原浩が描いたのは元・店舗の建物。1992年(平成4)に発行された、『ケア・ネットワーク』秋号(第13号/日本臨床看護家政協会)の表紙になった作品だ。下落合における小野田製油所の歴史は古く、大正期の地図にはすでに現在の位置、下落合1528番地に「小野田製油所」の記載が見えている。
 当初は、なたね油の製造がメインだったのだが、のちにごま油の生産をはじめ、いまではなたね油よりも、ごま油の製造元としてのほうがはるかに有名になった。江戸期の製法をそのまま伝承し、混じりけのない純正無添加の下落合(中落合)産ごま油は、デパートや自然食品店、生活クラブ生協などのルートを通じて全国的に知れわたっている。わたしの家でも、目白駅を出てすぐ左手にある酒屋さんで、小野田製油所のごま油を購入していたのだが、お店がオシャレにリニューアルしたのと同時に、取り扱いをやめてしまったらしい。玉締ごま油でカラッと揚げた、昔ながらの江戸前天ぷらClick!が大好きなわたしとしては、とても残念に思っていたのだ。
 
 同誌で、貝原浩は表紙の絵について、「東京を東西に走る目白通り沿いも高層化の波にさらされている。そんな中、タイル貼りも見事な和洋折衷造りの商家の佇まいは、六十年の風雪を耐えた風格がある」と書いている。小野田製油所の小野田様(奥様)にお話をうかがったところ、和洋折衷の店舗と母屋は、1932年(昭和7)に建設されたとのこと。今年で、築78年を迎えたことになる。大正時代から、落合府営住宅や目白文化村など周囲の住宅街の需要も高かっただろう。美しいタイル張りの店舗はいまだ色褪せず、建築当初の趣きをそのまま残している。
 店舗と工場との間にある、あずき色の小さな木戸から工場の敷地内へ入ると、右手に大きくて立派な和式の玄関がある。玄関上の非常に高い欄間には、細格子に2羽のツバメの浮き彫りがほどこされているのがとてもめずらしい。ツバメは春や幸福を運ぶ縁起のよい鳥であり、また実際にツバメが軒下へ巣作りをつづけてきたのだろう。もっとも、最近はツバメではなくハトが棲みついて困るのです・・・と、奥様は話されていた。ふいに、なんの脈絡もなく「燕よ、お前はなぜ来ないのだ!」と詠んだ、韓国の詩人の一節が思い浮かんだ。きっと、貝原浩の取材がらみなので、学生時代に彼の書籍と同時期に読んだ本の一節が、記憶の隅からポッカリ浮かび上がってきたものだろう。下落合周辺に住んでいた洋画家たちの動向についても、小野田様はお詳しい。
 
 現在、お店は常時開いてはいないけれど、製品はいつでも買うことができる。上記の店舗と工場との間にある小さな戸を開いて中に入ると、どの製品でもすぐに販売してくれる。わたしも、取材ついでにさっそく玉締ごま油を分けてもらってきた。江戸期からの製法をガンコに踏襲し、混じりけのない小野田製油所の下落合(中落合)産ごま油については、また、別の物語。

◆写真上:『ケア・ネットワーク』の表紙になった、貝原浩『東京目白(小野田製油所)』。
◆写真中上:左は、描画ポイントから眺めた小野田製油所。貝原浩は、建物をさえぎる電柱を右へ移動して描いている。右は、1926年(大正15)作成の「下落合事情明細図」にみる同製油所。
◆写真中下:左は、歩道から眺めた店舗部。右は、玄関の欄間に彫られた2羽のツバメ。
◆写真下:左は、江戸期からの製法で造りつづける「玉締ごま油」。もちろん、なたね油も継続して生産している。右は、1932年(昭和7)に建設された店舗部(左)と母屋部(右)。
★貝原さんのサイト『絵描き・貝原浩』Click!の「私の好きな作品」Click!へ、主催者のkaiharatenさんがリンクを張ってくださいました。とても光栄です。