この段階で、わたしは江戸東京地方の主に西部にある出雲神の社(やしろ)、奉神はクシナダヒメ・スサノオ・オオクニヌシ・タケミナカタなどの社をできるだけピックアップし、地図上へ記入しつづけることにした。その数は想像以上に多く、赤い点が地図上にどんどん増えていく。ひょっとすると、相馬家から依頼された望気術をあやつる巫(かんなぎ)、望気師、陰陽師、卜師、八卦師・・・と名前はどうでもいいのだが、明治期に入手できた参謀本部の陸地測量部Click!による1万分の1地形図を活用して、同じような作業を行なっていたのではないだろうか?
 ある程度のポイントが記入できたところで、改めて社(聖地)と社(聖地)とを結ぶレイラインを引いてみることにした。すると、驚くべきことがわかったのだ。下落合の御留山Click!を意識しつつ、江戸東京地方に散在した東西の、あるいは南北の社を直線で結ぶと、その交点の多くは期せずして旧・下落合の東部、つまり御留山界隈に位置することになる。また、同一線上に複数の出雲社(氷川明神/諏訪明神など)が、あたかも測量でもしたかのように幾何学的な直線状に並ぶケースも少なくないことがわかってきた。さらに、目白・落合地域の周辺では、ポイント同士を結ぶと正三角形や二等辺三角形、直角三角形など整った幾何学図形がいくつも形成され、その交点のもっとも多いのが長崎氷川明神(現・長崎神社)、池袋本町氷川明神、高田氷川明神、そして下落合氷川明神であることもわかってきた。これは、偶然にしてはあまりにもできすぎている。
 ためしに、広めの地図の上へ無作為なポイントを20点ほど描き入れ、それを直線で結んでみてほしい。それにより、同一直線上にポイントが重なっていくつも並ぶかどうか、また整った幾何学的な模様が浮き出るかどうか・・・? たいがいは、まとまりのない三角形あるいは四角形が形成されるだけで、同一線上にまっすぐ重なるポイントなど、意識しない限りできやしないだろう。つまり、これらの社の設置場所には、人為的かつ意図的な匂いがかなり強く感じられるのだ。もちろん、これらの社は相馬家とは直接関係がなく、創立がたどれないほど古くから同地に存在しているものが多い。だから、のちの時代に巫(巫見)、望気師、陰陽師・・・その他が、その既存ラインを活用して結界づくりに役立てたり、「気」脈を通じさせるのに利用したりしたのではないか?・・・と、呪術的な想像がふくらんでしまうのだ。そして、下落合の御留山(いや、面としてエリア的にいえば目白・落合地域)は、そのように張りめぐらされた「バリア」に囲まれて存在している・・・ということになる。

 おそらく、明治期の相馬家には、このようなレイラインを意識し、さまざまな地勢や土地の「気」味や「気」風、地主神の性質、地味の具合などを熟知した、望気術をあやつる巫(卜師)が存在していたと考えたほうが、むしろ自然だろう。もともと、同家に存在しているのではなく、転居のために仕事を依頼されたその道のプロなのかもしれない。その人物は、下落合という土地が転居先の候補として浮上してから「気」(卦)を見たのか、それともあらかじめ「気」を張りめぐらして下落合あたりの土地を強く意識し、相馬家へお奨めの“転居先物件”として提案したものか、それはわからない。でも、江戸東京の総鎮守・神田明神の将門と、出雲の神々にもっとも守護されやすい土地として、彼女(彼)は下落合とその周辺を相馬家に告げたのではなかったか?
 妙見信仰による結界づくりが行なえない江戸東京では、将門と出雲神をキーワードに、一族が繁栄できる“約束の地”として下落合を選んでいる・・・そんな気が強くするのだ。そのぶん、相馬邸の建設では天上の屋根に同家のトーテムである北斗七星Click!を形成し、地下の礎石には七星Click!を並べ、さらに敷地内には旧・江戸藩邸に鎮座していた妙見社Click!(太素神社)を移設している。もっとも、このような結構(家の設計や構え)づくり自体も、先の巫(卜師)による助言があったのかもしれない。では、下落合の御留山で交叉する社(やしろ)の結界線、あるいは「気」脈と「気」風を見ていこう。
 ●神田明神-高田氷川明神-【御留山】-江古田氷川明神-豊玉氷川明神
 ●赤坂氷川明神(旧・相馬屋敷)-諏訪明神(戸塚)-【御留山】-長崎氷川明神(現・長崎神社)
 ●麻布氷川明神-【御留山】-大谷口氷川明神(板橋)-東新町氷川明神(板橋)
 ―――――――(以上は前回の記事で紹介)
 ●本郷氷川明神(中野)-中野氷川明神-【御留山】-江北氷川明神(足立)
 ●上高田氷川明神(中野)-下落合氷川明神-【御留山】-千石氷川明神(小石川)
 ●渋谷東氷川明神-【御留山】-双葉町氷川明神(板橋)
 ●大橋氷川明神(目黒)-【御留山】-池袋本町氷川明神
 ●渋谷本町氷川明神-鎧神社(将門)-【御留山】
 ●神明氷川明神(渋谷)-【御留山】-堀之内氷川明神(足立)

 
 これらの社(聖域)は、別に下落合の御留山をどこか途中に挟まなくても、一直線に複数のポイントがきれいに並んでいるケースが多いことに気づく。そして、そのような配置により、都内のあちこちには奇怪な幾何学模様が、いくつも浮き出ていることにも、改めて気がつくのだ。調べていくうちに、出雲神を信仰した古代の人々の、怖しいまでの執念と根「気」に改めて鳥肌が立つのをおぼえるほどだ。かくいうわたしも、先祖代々は神田明神、わたしの代からは下落合氷川明神の氏子も兼ねているわけだけれど、出雲神をキーワードとするこれほど執拗な結界や「気」流・「気」風・「気」脈を目にすると、文字どおり「気」圧されてしまいそうだ。出雲神を中心とする聖域が一直線に並ぶ、下落合周辺のラインをほんの数例だが少しだけ挙げておきたい。
 ●豊玉氷川明神-沼袋氷川明神-中野氷川明神
 ●江古田氷川明神-下落合氷川明神-筑土明神社(将門)
 ●下落合氷川明神-沼袋氷川明神-東伏見氷川明神
 ●氷川台氷川明神(練馬)-沼袋氷川明神-神明氷川明神(渋谷)
 ●大谷口氷川明神(板橋)-長崎氷川明神(長崎神社)-下落合氷川明神-鬼王神社(将門)
 ●豊玉氷川明神-長崎氷川明神(長崎神社)-千石氷川明神(小石川)
 ●池袋本町氷川明神-下落合氷川明神-鎧神社(将門)
 ●池袋本町氷川明神-諏訪明神(戸塚)-鬼王神社(将門) ・・・他多数
 これらの強力なレイラインは、相馬家にとってはたいへん縁起のいいものだが(下落合に住むわたしにとっても、東日本橋から大川へとそそぐ神田川=神田上水=御留川Click!の「水」流と、神田明神の「気」流・「気」風とで「気」味がいいことこの上ない土地なのだが)、将門相馬家にとって忌避すべき対象、敵対するものに対しては徹底的に封じこめる・・・という意図も、同時に兼ね備えていることになる。すなわち、将門に敵対してきた勢力に対しては、呪術として作用しまったく容赦がない。御留山の東側には、俵藤太の伝承が残る藤稲荷Click!がある。江戸時代には大きな境内で、御留山の南東全体に社殿が拡がっていたようだが、相馬家が御留山に住んでいた期間を含め、明治期から1950年代末にいたるまで、境内は荒れるにまかせるような状態となっていた。いわば、廃社に近いような風情だったのだ。これだけ強力な、出雲神と将門による結界が敷かれてしまえば、いくら「日本史」(関西史)上の「勝者」にゆかりのある聖域でも、手も足も出なくなっただろう。ましてや、下落合は五郎伝説(将門伝説とも重なる)につながる御霊社Click!が、2社もある土地柄なのだ。
 余談だけれど、わたしが落合地域に興味をおぼえて強く惹かれ、学生時代から自宅を出てまで引き寄せられたのも、「巫術」的な言い方をしてしまえば、この土地がわたしの出自(元気:もとのき)と「気」が合った、つまり「気」味や「気」風がとてもよく合致したから・・・なのかもしれない。
 
 さて、これまで見てきたのは、古来から神田明神の主柱である出雲神と将門をベースに、それら神々の視点から相馬家が建っていた下落合の御留山を眺めてみると、どのような光景が見えてくるのか?・・・というのがメインテーマだった。ところが、おそらく江戸東京じゅうを見わたして「気」(卦)を読んだであろう人物、相馬家に依頼されたかもしれない巫(卜師)の彼女(彼)は、同家の妙見信仰を強く意識した結界づくりも、決して忘れてはいなかった。
 それは、邸内へ1913年(大正2)に結構された、「北辰七座」思想による建築に関するにわか作りの施術などではなく、もっと壮大かつダイナミックな驚くべき仕掛けをほどこしていたのだ。いや、彼女(彼)自身が仕掛けを構築したものではなく、その事実を「発見」して相馬家に下落合の御留山への転居は問題なく“吉”であり、むしろ運「気」を呼びこむと強く推奨したと思われるのだ。
                                                <つづく>

◆写真上:久しぶりに姿を現した御留山の南部にあるバッケ(崖地)で、右手の赤鳥居が藤稲荷。
◆写真中上:5万分の1地形図に赤丸で記入した、新宿周辺の出雲神を奉る社(やしろ)。青い丸は、将門ゆかりの社。複数の社を直線を引くと、その多くが御留山で交わることに気づく。
◆写真中下:上は、より緻密な2万5千分の1地形図にみるライン。いくつかの社を直線でつなぐ正確さにも驚くが、そこから浮かびあがる幾何学的なかたちにも惹かれる。下左は、財務省官舎跡地に並べられた「七星」礎石のひとつ。下右は、御留山東側へ顔を出したバッケ。
◆写真下:神田明神や東日本橋とつながる、わたしにとっては「気」味のよい下落合の「水」流・神田川(左)と、氷川明神の拠点を通じて下落合まで吹いてくる神々の「気」風・神田明神社(右)。