街にはたくさんの人の想いがこもり、集まり、堆積されている。そこには、膨大な物語が眠っているのだが、それをたんねんに掘り起こすのは気が遠くなるけれど、楽しい作業だ。なぜなら、それらの物語はどこからか、わたし自身の物語へと結びついてくるからだ。
 街中には、ひときわ人の想いが強くやどっているポイントがある。下落合の林泉園Click!にある中村彝アトリエClick!も、そのひとつだ。彝アトリエの保存Click!が決まり、このアトリエに眠る多くの物語が改めて注目を集めようとしている。2012年には、「中村彝アトリエ記念館」(仮)としてオープン予定だが、アトリエの解体あるいは復元に際しては、いくつかのテーマや課題がすでに見え隠れしている。以下、わたしなりに気づいたテーマや課題を、主なものだけピックアップしてみよう。
★いつの時代でのアトリエ再現か?
 1916年(大正5)の建築当初の姿で再現(『エロシェンコ氏の像』が制作された1920年含む)するか、あるいは1923年(大正12)の関東大震災Click!で東側の壁が剥落したのち、窓をつぶして寝部屋を増築した彝晩年のアトリエの姿とするか?・・・の、大前提となる課題がある。ちなみに、茨城県近代美術館へ建設されたレプリカClick!は後者、つまり彝晩年のアトリエを再現している。
★当時のドアのペインティング精査
 中村彝の死Click!の直後に撮影された、1925年(大正14)1月のアトリエ写真Click!には、彝が描いたとみられるドアペインティングが確認できる。現状は、当時のドアClick!にライトグレーのペンキが上塗りされているとみられ、最新の熱型赤外線センサカメラ(手持ち)あるいはX線カメラなどによる非破壊検査でペインティングの有無を確認し、当該ドアのペンキ洗浄による調査をしていただきたいと思う。そのために、区の貴重な予算を消費するのはもったいないので、東京文化財研究所Click!などへ依頼すれば、国の文化財調査ということで最新設備による無償の精査が可能ではなかろうか。また、もし発見できた場合は油絵具を残し、上塗りのペンキのみを洗う技術をお持ちかもしれない。
★西側壁の壁龕(へきがん)の復活
 現状では石膏で埋められている、西側壁面の壁龕Click!を復活させたい。彝の作品には、この壁龕が何度も画因(モチーフ)として取り上げられているので、アトリエの重要な意匠のひとつ。
 
 
★アトリエおよび母屋の精査
 解体にともない、アトリエを建てた大工や設計者(工務店)の墨書き、あるいは大正期の部材、彝アトリエ時代からのものが残されていないかどうか、天井裏まで含めて精査する必要があると思う。特に、曾宮一念アトリエClick!の意匠と彝アトリエのそれとが、瓦の色や下見板張りの外壁(カラーも)、部屋の配置などが非常によく似ているため、天井裏などに残されているかもしれない大工、あるいは設計者(工務店)の墨書きは重要課題だと思われる。
★アトリエにあった調度のゆくえ
 彝アトリエのイーゼルや家具類で残されたものは、鈴木正治様の時代に茨城県近代美術館へ建設されたレプリカアトリエへと運ばれているが、彝の時代に撮影された写真に写るモナリザの複製画Click!(曾宮一念との写真背後)や、会津八一からの贈り物かもしれない十二神将or風神雷神と思われる石膏顔像Click!(ニンツァーの写真背後)などが、どこか(アトリエ天井裏の藤製ケースなど)に残されていないかどうかの精査も必要だと思われる。なお、彝の時代から使われてきたランプ状の照明器具も、鈴木様より過日拝見させていただいている。
★イーゼル位置の再現展示
 ソファに腰かけたワシリィ・エロシェンコClick!を描いた、中村彝『エロシェンコ氏の像』と鶴田吾郎『盲目のエロシェンコ』のイーゼル位置Click!へ目印を設置するか、実際にイーゼルを立てて佐伯アトリエ記念館で行なわれているようにカラー複製キャンバスを載せて展示すると、同作が生れた彝アトリエらしいリアリティや雰囲気が高まると思う。また、彝が描いた「下落合風景」や「庭」の作品群の画像展示も魅力的だ。特に、竣工したばかりの自身のアトリエを描いた『落合のアトリエ』Click!(1916年)、アトリエ北側の一吉元結工場を描いた『雪の朝』Click!(1919年)、同じくアトリエ北西側の建築家ヴォーリズが設計したメーヤー館Click!を描いた『風景』Click!(1918~1919年)や『目白の冬』Click!(1920年)などが、いずれも下落合の当時をしのばせてたいへん貴重だと思う。

★同時代の下落合に住んだ画家たちのクローズアップ
 「佐伯祐三-下落合の風景-」展Click!で制作した、同記念館にも展示してあるアトリエ周辺の画家たちの「ご近所マップ」Click!と同趣旨のマップを、彝アトリエを中心に作成する必要があると思う。特に、彝とは親しく交流した曾宮一念Click!、鶴田吾郎Click!、鈴木良三Click!、二瓶等(徳松)Click!、中村春二Click!、会津八一Click!、酒井億尋Click!などは重要な存在。中でも、佐伯祐三Click!と東京美術学校の入学時にクラスメイトだった二瓶等(徳松)は、彝アトリエへ出入りし『女の像(俊子像)』を彝から購入するなど親しく交流していたことから、佐伯は二瓶を通じて彝の作品や近況の情報を得ていたと思われ、これまで二瓶等と二瓶徳松とが同一人物と思われていなかったせいか、いまだスポットライトが当てられていない佐伯と彝とをつなぐ未知領域のテーマでもある。ちなみに、二瓶等も盛んに「下落合風景」を描いており、佐伯とは正反対のモダンな下落合風景を選んでいるようだ。
★アトリエ敷地の緑の保存
 アトリエ敷地内にある樹木のうち、建築時に彝みずからが植えた庭中央のアオギリをはじめ、コブシなど当初からの樹木がかなり残されているものと思われる。タヌキも通う下落合東公園Click!の緑との連続性も考慮し、敷地内の樹木は近隣の方々ともじっくり話し合われて、できるだけ残す方向で検討していただければと思うのだ。ただし、彝が林泉園に面して植えたオオシマツバキは、鈴木誠Click!時代に植え替えられ、現在はカワリツバキが育っている。
★中村彝に詳しい美術史研究家の参加
 アトリエの解体・復元には建築専門家の参加も重要だが、中村彝のアトリエをめぐる今日的な課題や研究テーマに熟知・精通した、彝を専門とする美術史研究家の眼が不可欠だと思う。個人的には、茨城県近代美術館の研究者の方が適任だと思うのだが、ついでに『目白の冬』のモチーフ問題Click!および制作年の齟齬を、下落合の地元側から訂正していただくきっかけにもなるだろう。また、茨城近美のレプリカアトリエに展示されている彝のイーゼルや家具類をお借りして展示するなど、今後の茨城近美と新宿とのコラボレーションのきっかけ作りにもなるにちがいない。
 
 以上、好き勝手なことを書いてきたけれど、彝アトリエに眠る物語を見つづけてきて、とりあえず気がついたことを列挙してみたしだい。好き勝手ついでに、中村彝が毎日愛飲していた当時のカルピスを、大正時代の包み紙とともに復活させるというのも面白い。目白・落合地域でしか買えない「大正カルピス」は、ちょっと名物になりそうな気がするのだが・・・。w カルピスClick!の創業者・三島海雲は、困窮して生活できない画家たちを救援するために、カルピス・ポスターの国際コンペティションまで開催した人物だから、美術分野との関わりも深いのだ。カルピスは1919年(大正8)に発売され、中村彝の『カルピスの包み紙のある静物』(1923年)に描かれたパッケージは、前年の1922年(大正11)から発売されている2代目のデザインだ。
 それに、同年から使われつづけている「初恋の味」というキャッチフレーズも、どこか彝と相馬俊子Click!とのはかないエピソードに、ピッタリくるような気がするのだが・・・。中村彝アトリエの保存記念に、地域限定の「大正カルピス」復刻販売はいかがでしょう?>カルピス株式会社さん

◆写真上:「佐伯祐三 下落合の風景」展のマップに、中村彝に関連する人物たちを加えた「ご近所マップ」。佐伯に関係の深い人物を除き、彝と同時代の画家たちやゆかりの人物たちを加えたマップがほしい。同マップのデータはPhotoShopなので、レイヤ管理がフレキシブルだ。
◆写真中上:上左は、1916年(大正5)に竣工直後のアトリエを描いた中村彝『落合のアトリエ』。上右は、完成した直後の彝アトリエの同じ一画。下左は、1988年(昭和63)撮影の茨城県近代美術館に建築中の彝アトリエレプリカ。下右は、現在のアトリエと大きく育った庭先のアオギリ。
◆写真中下:1925年(大正14)に、画廊九段で開かれた「中村彝遺作展」の目録。洲崎義郎Click!や今村繁三Click!に混じって、佐伯の同級生・二瓶徳松(等)が所蔵品『女の像』を出品している。
◆写真下:左は、1922年(大正11)に新パッケージと新キャッチフレーズ「初恋の味」で発売された2代目カルピス。右は、翌1923年(大正12)に制作された中村彝『カルピスの包み紙のある静物』。