学生時代の友人やアルバイト先にはJAZZ好きが多く、よく「無人島に流されるとき1枚だけ持ってけるとすれば、どのアルバム?」というような会話をした。わたしが好きだったバイト先の営業マンは、繰り返し「ライオネルの『スターダスト』だね」と答えていた。彼は自身でもギターを演るのだが、スラム・スチュアート(b)がアルコで“ポパイ”のラインを弾いたりする、スウィングJAZZに両足を突っこんだようなアルバムのどこがいいのか、わたしには皆目わからなかった。
 わたしは、クラシックで1枚持ってくなら、当時はブーレーズ=NYphのシェーンベルグ『浄夜』(1973~74年/EMI)に決まっていたのだけれど、JAZZは目移りがしてなかなか決まらなかった。ある日、「それでも1枚持ってくとしたら、どれなんだい?」と先輩からわけのわからない、そもそも前提となる設定からして無茶な詰問を受け、しかたなく「マイルスの『アガルタ』かな」と答えた。バイト先の先輩はシラケて「なーんだ」という顔をしたが、この想いはいまも変わっていない。理由は単純で、身の内から湧きあがる“元気”を取りもどせるからだ。
 『アガルタ』(1975年/CBS Sony)は、マイルスが健康上の理由から6年余の“沈黙”に入る直前、1975年2月1日の昼間に大阪城ホールで録音されたライブ演奏なのだが、わたしはこのコンサートを聴いていない。同日の夜に演奏されたのが、『アガルタ』とほぼ同時に発売された『パンゲア』(1975年/CBS Sony)なのだが、両作ともアルバムになってからしばらくたって聴いている。「このレコードは、住宅事情が許す限り、ヴォリュームを上げて、お聴きください」というライナーノーツの註釈どおり、大音量で聴いて親から叱られたこともしばしばだった。親元から独立したあと、木造アパートやマンションで大音量を出すわけにもいかず、ヘッドフォンで聴く機会が多くなった。いまは、また大音量で聴いて家族から顰蹙をかっている。
 思えば、『アガルタ』と『パンゲア』は、LPレコードの限界ギリギリの仕様をしていたことに気づく。当時、マイルスの演奏は60~90分間もぶっ通しでつづくのが当たり前になっていた。長時間録音をレコードの溝へ押しこみ気味に刻むには、カッティングする溝と溝の間隔を極限にまで詰めなければならなかった。すると、低音部がみるみるやせ細っていく。これは別にJAZZに限らず、長大で対位法のオバケのようなマーラーの交響曲チクルスのLP(バーンスタイン盤など)でも、同じような低音不足の課題が発生していた。だから、マイルスのようにケタちがいな超ワイドレンジのサウンドは、「住宅事情の許す限り」大音量で聴かないと、なかなか低音部のリアリティが出にくかったのだ。


 『アガルタ』は、前年の米国カーネギーホールで行われたコンサートを収録した『ダーク・メイガス』(1974年/Columbia)の発展形ではあるのだが、サウンドの重みや拡がり、空気感や空間感の肌ざわりがまるで異なっている。この時期に録音されたマイルスのライブ・アルバムは、日本のCBS Sonyが米国のCBS Columbiaに強く働きかけて実現していたのを、つい最近知った。当時の米国では、もはや既成JAZZの範疇から大きくはみ出し、JAZZファンへのセールスがかなり低迷していた、「コンテンポラリー・ミュージック」としか表現のしようがないマイルス・ミュージックは、商売にならないと考えられていたにちがいない。そして、“沈黙”直前のラストアルバム『アガルタ』と『パンゲア』は、日本で独自に企画・制作された作品となった。
 このLPレコードを、高田馬場にある改装前の「マイルストーン」Click!でリクエストしたときの、友人との会話を憶えている。本アルバムを聴くと、「やってやろうじゃねえか!」と高揚した気分になれるのは、わたしが妄想とともに勝手な聴き方をしているからなのだが、LP1枚目のA・B面(CDでは1枚目)の演奏を「プレリュード」→「マイシャ」の2曲(実際には演奏に切れ目がなく、このタイトルさえレコード会社が便宜的に付与したものだが)のうち、「プレリュード」を2つに分けて3つの組曲として勝手に認識していた。わたしは、その区分を「胎動」→「前進」(以上プレリュード)→「解放」(マイシャ)などと呼んでいたのだけれど、友人からすかさず「そんじゃ、みんな新左翼の機関紙のタイトルみてえじゃんか」と突っこまれ、「なるほど、そういやぁ・・・」と苦笑した憶えがある。
 『アガルタ』のジャケット・デザインは、もちろん横尾忠則なのだが、サンタナの『ロータスの伝説』(1973年/CBS Sony)以来の仕事だったようだ。2011年に出版された中山康樹『マイルス・デイヴィス「アガルタ」「パンゲア」の真実』(河出書房新社)から、横尾忠則の話を引用してみよう。
 
  ▼
 (制作の期間は)1日か2日でしょうね。そんなに時間はかけません。いつも思いついたらサッとやっちゃいます。/アガルタというのは、マイルスは知ってるかわからないけど、地底王国の地球空洞説のなかの、つまり地底内部の国の名前です。アガルタの首都がシャンバラと言いますね。そういうアガルタやシャンバラ関係のことについてはかつて相当いろいろ研究していましたから、この当時もそうだったと思うんですよ。だからそれをタイトルにしてみたらどうかなって言ったんだと思う。マイルスも知っていたのかな。彼にもそういう神秘主義的なものに憧れる資質がありますから、たぶん知っていたと思うんですよね。
  ▲
 こんなわけのわからないことを言われ、特色(ゴールド)入りジャケットの色校正を何十回もやらされたら、レコード会社の担当者は悲鳴を上げ、印刷会社から色校費何百万円の請求書を受け取った上司が怒鳴りちらすのも無理はないのだが、それでもなんとかマイルスからOKをもらえて同作は世の中に出た。当初は、『アガルタの凱歌』と『パンゲアの刻印』というタイトルだったが、わたしがおカネを貯めてようやく入手した(2枚組LPは高価だった)アルバムでは、すでに『アガルタ』と『パンゲア』というタイトルに変更されたあとだった。
 マイルスのライブ演奏は、世界各地で発売されたブートレグClick!(私家盤/海賊盤)も含め、わたしはLP・CD・DVDとそのほとんどを入手して聴いているが、1985年7月13日にオランダ・ハーグで録音され、FM東京でも同年9月に音源が流されたブートレグ『A DAY BEFORE』(MBGADISC)を例外として、正規盤ではやはり『アガルタ』がいちばん好きだ。
 Columbiaレーベル時代の全作品が、オリジナル紙ジャケットのデザインをベースにCD全集化されたので、この際すべてを買い替えることにした。厳密にいえば、『アガルタ』の米国盤ジャケットは廃棄され、横尾のデザインのほうが採用されて全集入りしている。従来のプラスチックケースで出ていたアルバムは、かなり手元にそろっていたのだが破損しやすいため、改めて紙ジャケットのCDを手元に置きたくなったのだ。『The Complete Columbia Album Collection』(2010年/Columbia)がとどいたとき、真っ先に取りだしたのはやはり『アガルタ』と『パンゲア』の2作品だった。マイルスの『オン・ザ・コーナー』(1972年/Columbia)が、いまの若い子たちから「バッハ」(聖典)と呼ばれているように、『アガルタ』はこれからどのような聴き方をされていくのか、楽しみだ。
 
 アルバイト先にいた営業マンの言葉を思いだしたので、久しぶりにライオネル・ハンプトン(vib)の『スターダスト』(1947年/Universal)を探しだして、ターンテーブルに載せてみる。年齢のせいだろうか、「まあ、こういう世界も、たまにはお茶でも飲みながら、いいのかな」・・・と、ネコの頭をなでながら聴いていたのだけれど、やはり、わたしの世代は1970~80年代にかけ、JAZZとカテゴライズされていた既存の音楽をぶち壊し、止揚していく、そして21世紀への音楽をいまから思えば準備しつづけていた、20世紀末の(東京藝大音楽部の学生たちの言葉を借りれば)「インプロヴィゼーション・ミュージック」(だから、それがJAZZなんじゃんw)に、惹きつけられてしまうのだ。

◆写真上:Columbia期の作品を網羅した『The Complete Columbia Album Collection』。
◆写真中上:横尾忠則のデザイン制作による、『アガルタ』ジャケットの表面(上)と裏面(下)。
◆写真中下:左は、中山康樹『マイルス・デイヴィス「アガルタ」「パンゲア」の真実』(河出書房新社/2011年)。右は、1975年ごろに撮影されたとみられるマイルス・デイビス(tp、key)。
◆写真下:左は、音楽好きな若い子たちならたいてい知っている『オン・ザ・コーナー』。右は、80年代のベスト演奏だと思う1985年オランダ・ハーグでのライブ演奏を収めた『A DAY BEFORE』。
 
追記
 当全集の『アガルタ』と『パンゲア』に収録された音源は、のちのCD制作に使われた日本のCBS Sonyに保存されているマザーテープではなく、1975年にマイルスとテオ・マセロが編集した初期のマスターテープ、すなわちLPレコードと同じ「演奏」でありサウンドであることが判明した。
 つまり、マイルスの理想とした1975年現在のサウンドが、この全集の『アガルタ』では聴けることになる。『アガルタ』のたった1枚のために、高価な同全集を購入するのはどうかと思うが、LPレコードの初期サウンドをご存じない方には願ってもないチャンスということになる。