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ラテン系サウンドが似合う神奈川の海辺。 [気になる音]

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 わたしはもの心つくころ、台風の目で遊んだことがある。調べてみると、1965年(昭和40)8月22日(日)の昼間、伊豆半島からやってきて平塚の馬入川(相模川)河口の須賀海岸あたりから茅ヶ崎の柳島にかけて上陸した台風17号ではないかと思われる。台風の目は正円だというのを、実際に初めて目にした瞬間だった。360度の視界が厚い雲で覆われているが、真上の空は快晴だ。湘南海岸の上陸時は965hp(当時はmb単位だった)なので、かなり勢力が衰えていたのだろう。翌8月23日には、早くも熱帯低気圧に変わっている。
 当時は親父の仕事の関係から、平塚の海岸っぺりClick!に住んでいたころだった。台風の目に入ると、いきなり強い陽射しで青空が拡がり、あたりはピタリと無風状態になった。いままで荒れ狂っていた嵐が、まるでウソのような情景だった。これは遊べると思って外へ飛びだすと、近所の子たちも空を見あげながら出てきていた。もちろん、母親は台風の目の中に入ったのを知っているので、「急に雨と風が強くなるから、すぐに帰ってきなさいよ!」と、わたしの背中に声をかけたのを憶えている。なにをして遊んだのか、いまではまったく記憶にないが、強風で折れて飛んできたマサキかサンゴジュの木の枝で、近所の友だちと水滴のかけっこかなにかしたような気がする。台風でシーンと静まり返っていたセミたちの鳴き声も、あちこちから聞こえはじめていた。
 30分ほど遊んだだろうか、道路の大きな水たまりに映っていた青空が灰色に曇り、いきなり先ほどの豪雨と強風が襲ってきた。みんな叫び声(脳内アドレナリン噴出の歓声)をあげながら、各自の家々へ引っこんだのだと思う。わたしもズブ濡れになって帰宅し、さっそく着替えさせられた。2階の自室から外を眺めると、まるでさっきの晴れ間と無風状態がウソのように、クロマツの林が強風で大揺れし荒れ狂っている。ベランダの窓ごしに相模湾を見やると、沖のほうから波が割れて白い波頭が押し寄せてきていた。
 台風がくる直前、突然あたりがシーンと静まり返るというのはほんとうだ。「嵐の前の静けさ」とはよくいうが、目の前に台風がいるのに物音ひとつ聞こえなくなる時間がある。セミたちも、鳴りをひそめて鳴き声ひとつ立てない。あまりの穏やかな風情に、「ほんとに、台風なんかくるのかな?」と思ってると、いきなり強い風が吹きはじめ横なぐりの雨がやってくる。子どものころ、夏から秋にかけときどき経験した情景だが、台風の目を体験したのは後にも先にもこのとき一度だけだった。
 なぜ、当時の記憶が鮮明なのかといえば、翌日、遅い夏休みをとっていた親父に連れられて一家で鎌倉Click!へ遊びに出かけているからだ。翌日は台風一過の快晴で、空気も澄んで秋の気配がそろそろ漂いはじめていたかと思う。ユーホー道路Click!(湘南道路=国道134号線)で鎌倉行きのバスに乗り、ガラ空きの道路をまっすぐ東に向かって走っていると、海岸ではいまだ少し高めな波を相手に波乗りClick!(サーフィン)をする地元のお兄ちゃんたち(お姉ちゃんサーファーはまだ少ない)がたくさんいた。
 上原謙が経営していた「パシフィックホテル茅ヶ崎」(現・パシフィックガーデン茅ヶ崎)をすぎ、辻堂海浜公園(当時は砂丘のままで存在しなかったかもしれない)の界隈、もともとは米軍が射爆場にしていた茅ヶ崎砂丘が拡がっていたあたりから、高波なので遊泳禁止(同様に出漁禁止)の赤い旗が、あちこちの海水浴場に立っていたのを憶えている。茅ヶ崎の汐見台から辻堂海岸にかけて、当時は一度も泳いだことがないのでよく知らなかったが(わたしがよく泳いだのは鎌倉と大磯海岸から西にかけてだった)、3年後、ここで映画の撮影をすることになったので馴染みができた。映画の撮影を見物したのではなく、映画に出演したのだ。
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 そのころ、わたしはボーイスカウトに入っており(親に“入れられた感”が強く、軍隊のような組織で最後まで馴染めなかった……というか、土日の休みがつぶされるのでキライだったが)、地元の団隊に映画会社からの出演依頼がきたらしい。わたしたちの隊は、茅ヶ崎の汐見台あたりに野営(テントを張ってキャンプすること)して、確か「海洋研究所」にされてしまったパシフィックホテルを背景に、出演者たちとやり取りするようなシチュエーションだった。ロケに参加していた出演者は、本郷功次郎に篠田三郎、八重垣路子、渥美マリたちだったが、本郷功次郎は気さくな人なのかなにか話した記憶があるのと、ちょっと色っぽい渥美マリお姉さんが気になったのが、特に印象に残っている。w
 映画のタイトルは、大映の『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』(1968年)という作品だが、わたしは圧倒的に東宝のゴジラファンClick!だったので、あまり感動も感激もしなかったのだろう。どこかからガメラが出てくるわけでもなく、地味で退屈な撮影カットの連続で陽が傾くころには飽きあきしはじめていた。「隊長」の本郷功次郎がなにか話をしたとき、隊員たちが喜ぶシーンがあったのだが、わたしの喜び方がおざなりだったらしく、湯浅憲明監督からNGを出されて撮り直しになったのをよく憶えている。(いまさらながら天国の本郷功次郎さん、NGを出してスミマセン) むしろ、映画というのはこうやって地味に作っていくのかという、制作の裏側を観察できたのが貴重で面白かった。
 さて、話が横道にそれたので1965年(昭和40)にガラ空きだったユーホー道路(湘南道路)を走るバスにもどろう。この日は、鎌倉駅Click!に着くとすぐに金沢街道を走る浄明寺ヶ谷(やつ)行きのバスに乗り換え、杉本観音Click!のバス停で降りて南側の山に入っていったのだと思う。断定できないのは、わたしがまだ小さく記憶が曖昧で不確かなせいだが、台風の翌日なので山道がひどく滑りやすかったのは憶えている。ただし、急峻なコースは木々が鬱蒼と繫っているので、それほどぬかるんではおらず、むしろ台風で折れた小枝が散乱して歩くのを邪魔していた。当時は住宅が谷(やつ)の奥まで入りこまず、金沢街道から滑川Click!の橋をわたると、ほどなくハイキングコースのような山道だったと思う。
 この道をそのまま登っていくと、やがて釈迦堂ヶ谷(しゃかどうがやつ)切通しに差しかかる。切通しといっても、鎌倉にある他の切通しとはまったく異なり、山を二分して掘り下げるClick!のではなく、岩をくりぬいて隧道(トンネル)状にした唯一の切通しだ。当時は、現在のように通行禁止ではなく自由に往来でき、山道を少しずつ下るとやがて1.5kmほどで安養院Click!や八雲社のある材木座海岸の方面へと抜けることができた。釈迦堂ヶ谷切通しの中は乾いていたが、前日が台風だったせいで上部の木々の間からときどき夏の光が反射する水滴が頻繁に落ちていた。それが、切通しの明るい鎌倉ならではの岩肌や、セミ時雨がかまびすしい山中の情景とあいまって美しく、ことさら子ども心に強く焼きついたものだろう。
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 もうひとつ映画の話をしてしまうと、台風に釈迦堂ヶ谷切通しとくれば『稲村ジェーン』(桑田佳祐監督/1990年)がすぐに思い浮かぶ。従来はVHSしかなかったが、ようやくDVDが発売されたのでつい衝動買いしてしまった。ずいぶん前に、いい映画と好きな映画はちがうという記事Click!を書いたけれど、この作品はストーリーはどうでもいいが、わたしが子どものころの神奈川県の海っぺりの匂いや雰囲気が、とてもよく描かれていて好きだ。海で遊んでいたのは、まさに同映画に登場するお兄ちゃんやお姉ちゃんのような子たちだった。もっとも、ひとつ違和感があるとすれば、登場人物たちの肌が白すぎること。わたし自身を含め、みんなもっと日焼けしていて真っ黒だった。
 あの時代、相模湾の雰囲気を出すのに、加山雄三のハワイアンはまったく似合わず場ちがい筋ちがいなサウンドに響いていた。地元に溶けこんで育っていない彼には、地場の雰囲気や感覚がわからなかったのだろう。それに比べ、『稲村ジェーン』に流れるラテン系の旋律はとてもよく似合う。上原家は、「湘南」を商品化して「洗練」されたイメージにしようとしたようだが、地元の人々にしてみればもっと泥臭い、この地域ならではのこだわりがあって、脳天気なカラッとした陽気さがある半面どこかさびし気な哀愁感が漂う、潮臭い(生臭い)湿り気のある空気感があったように思う。
 それは、TVや映画で流れる神奈川県の夏の海岸がいつもピーカンで、海水浴客やサーファーたちが楽し気に遊んでいるシーンが多かったせいもあるのだろうが、真夏の海辺の天気はクルクルと変わりやすくめまぐるしい。毎日のように、午後か夕方になると入道雲が近づいてきて、たいがい激しい雷と夕立が降っていた。家の2階から、海に落ちるブルーやピンクの雷を飽きずに眺めていると、1時間ほどで雨があがり洗われたようなオレンジの夕陽が射してくる。8月下旬ともなれば、陽射しには秋色が感じられて、どこか祭りのあと、夢のあとのような哀愁感が漂ったものだ。サーファーや海水浴客の数も、風が西に変わりクラゲが多くなってくると目に見えて減っていった。
 そんな情景にフィットする音楽として、わたしは昔からギターで演奏する、どこか悲しくさびし気な『いそしぎ(The Shadow of Your Smile)』Click!(Johnny Mandel/1965年)を常にイメージしてきた。JAZZでもよく演奏されるお馴染みのスタンダード曲だ。この曲が、湘南を直撃した台風の年と同時期に作曲されているのも面白い偶然だ。おそらくラテン系のスパニッシュモード(ときにボサノヴァ)のサウンドが神奈川の海辺の匂いにはピッタリだと、どこかで桑田佳祐の感覚と同期するものがあったのだろう。そういえば茅ヶ崎育ちの、当時は同じく小学生だった彼は、『ガメラ』映画のロケを見物していたかもしれない。
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1965年(昭和40)という年は、西湘バイパスの工事がスタートしたころで、あちこちにあった海辺の空き地には、炭住(たんじゅう=炭鉱夫とその家族が暮らした住宅)によく似た作業員用の宿舎(飯場:はんば)ができはじめていた。住んでいたのは、ほとんどが家族連れの人々だったが、実際に炭鉱が閉山して土木作業員になった人たちもいたのかもしれない。ちょうど東京の河川や運河にあまたいた船上生活者の家庭のように、多くの子どもたちが小学校へ通っている様子がなく、地域で問題化していたのを憶えている。西湘バイパスが完成に近づくと、彼ら家族はどこへともなく姿を消していった。
 ギラギラした太陽と、男女のはかなくて短い夢の季節がすぎると、神奈川の海辺はすぐに静けさを取りもどす。そんなさびしさや季節の移ろいは、小学生のわたしにも意識できたが、浜で遊んでいたお兄ちゃんやお姉ちゃんたちは、もっと切なくさびしかったろう。「暑かったけど、短かったよね、夏……」は、彼らの実感だったのではないだろうか。ハワイは年じゅう泳げるかもしれないが、湘南にはハッキリとした四季がある。そんな中で響くサウンドは、まかりまちがっても楽天的なハワイアンなどではなく、お兄ちゃんやお姉ちゃんたちの哀惜と追憶が似合うマイナーコードが効果的な、ほの暗いラテン系のサウンドなのだ。

◆写真上:「落石注意」で通れるときに撮影した、2007年(平成19)の釈迦堂ヶ谷切通し。
◆写真中上は、1965年(昭和40)8月に神奈川の海辺に上陸した台風17号の軌跡。は、1965年(昭和40)に撮影した杉本寺の山門へ向かう階段(きざはし)。スキャニングで気づいたが、階段を上る黒い半透明な人影(親子連れ?)が写っている。は、釈迦堂ヶ谷切通しの入口と内部のやぐら。切通しの周囲は、鎌倉時代の遺跡だらけだ。
◆写真中下:釈迦堂ヶ谷切通しの内部と、反対側の出口。
◆写真下上左は、1968年(昭和43)に公開された『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』(大映)のポスター。上右は、1990年(平成2)に公開された『稲村ジェーン』(東宝)DVDのフォトブック。は、茅ヶ崎の撮影ロケでは宇宙怪獣バイラスの姿がわからず期待したけれど、招待券をもらって映画館で観たらスルメイカみたいなやつだった。戦うカメとイカ、いやガメラとバイラス(上)と海洋研究所にされてしまった懐かしいパシフィックホテル茅ヶ崎。(下) は、『稲村ジェーン』で印象的なカットとして挿入された釈迦堂ヶ谷切通しのシーン。
おまけ1
台風8号が去った翌7月28日に、静寂をとりもどす岸田劉生アトリエClick!があった鵠沼海岸の夕暮れ。いい波が立ち、少し前まで大勢のサーファーたちで賑わっていた。手前には、営業時間を短縮した海の家がズラリと並ぶ。ちなみに、海水浴のあと身体の洗浄と休息をとる海の家を考案したのも、日本初の海水浴場を大磯に設置した松本順(松本良順)Click!だ。
台風8号.jpg
おまけ2
昭和10年代に国道134号線が整備されると、海岸沿いの地元の町々では大磯の照ヶ崎から藤沢の鵠沼海岸までの道筋を「湘南遊歩道路」と名づけた。わたしが子どものころには、それが「ユーホー道路」と縮められて(転訛して)呼ばれたが、1960年代後半になりクルマの往来が激しくなるにつれ、地元では「湘南道路」と呼ばれることが多くなっていく。ちょうど、東海道線を走る蜜柑のオレンジと葉のグリーンをデザインした新しい電車の愛称を、1950年(昭和25)に地元で一般公募し、一度は「湘南伊豆電車」と名づけられたが、いつの間にか短く「湘南電車」と呼ばれるようになった経緯とよく似ている。下の写真は、整備された直後の1935年(昭和10)ごろに、大磯の海岸線を通る「ユーホー道路」を撮影したもの。
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読んだ!(25)  コメント(30) 
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読んだ! 25

コメント 30

ChinchikoPapa

M.ブラウンの同アルバムのようなEnvironment Musicは、JAZZとはいえ退屈に感じてしまいます。メリハリを好む歳になったということでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2021-09-12 12:08) 

ChinchikoPapa

関東平野の北北東にポツンとある筑波山は、この歳になるまで登る機会がありません。なんとなく、行きそびれている山ですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>(。・_・。)2kさん
by ChinchikoPapa (2021-09-12 12:12) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2021-09-12 12:12) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>じーバトさん
by ChinchikoPapa (2021-09-12 12:13) 

ChinchikoPapa

白鷺池は、昔は水草などが繁茂していた印象で、水面には蓮の花もあったでしょうか。現在は整備されてしまいましたが、“緑色の池”の風情は変わらないですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>tarouさん
by ChinchikoPapa (2021-09-12 12:17) 

ChinchikoPapa

どちらかというと、「柿ピー」よりは「海苔巻せんべいピー」のほうが好きだったりします。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyokiyoさん
by ChinchikoPapa (2021-09-12 12:18) 

ChinchikoPapa

仁王が子どもを食らって、そのために埋められたという怪談が東京にあるのを思い出しました。近々、書いてみたいと思います。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>yamさん
by ChinchikoPapa (2021-09-12 12:21) 

ChinchikoPapa

そういえば最近、水羊羹のたぐいを食べてないですね。昔のように夏の贈答品としても、あまり流行らなくなったせいでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2021-09-12 17:32) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2021-09-12 17:32) 

ChinchikoPapa

最新の水上バスは速いですね、昔に比べ隔世の感がします。川では危険なのでそれほど飛ばしませんが、東京湾へ出ると加速するのは船体の揺れを小さくするためかもしれません。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2021-09-12 17:38) 

ChinchikoPapa

黒麹というと泡盛を思い浮かべるのですが、九州では焼酎づくりにも用いられているのですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2021-09-12 20:21) 

アヨアン・イゴカー

台風の目という貴重な体験されているのですね。嵐の前の静けさとはよく言いますが、そのような体験は残念ながらありません。
映画に出演なさっていたとは、この体験も、貴重ですね^^
by アヨアン・イゴカー (2021-09-12 23:53) 

kiyokiyo

ChinchikoPapaさん
おはようございます。
実は、僕もそうなんです^^
by kiyokiyo (2021-09-13 07:04) 

ChinchikoPapa

会議や講演会の席で、他者の話をノートPCにメモするのさえ面倒なのに、同時字幕は瞬間の判断が求められてたいへんだと思います。同一地域の人の発言なら迷いませんが、イントネーションが異なる地域の話を入力する際は誤変換が起きそうですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>サボテンさん
by ChinchikoPapa (2021-09-13 11:40) 

ChinchikoPapa

子どもが生れてすぐ、足にタグの付いた子を抱いたら、「あら、抱き方が上手」と聖母病院のナースに褒められましたが、そのあと男の子はやんちゃで育て方上手になったかはさだかでありません。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2021-09-13 11:43) 

ChinchikoPapa

アヨアン・イゴカーさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
映画はあとにも先にも「ガメラ」しかありませんが、このときおそらく助監督やカメラ助手たちの働きぶりを見ていて、ほんとうに地味でコツコツと着実に作っていくのだな……と実感したんだと思います。10秒のシーンに、おそらく1時間ほどもかけていたケースがあり、陽の傾きを気にしながら、スタッフが必死で準備をしていたのを憶えています。
今回の『毒もみのすきな署長さん』、面白いですね。二面性のある署長のイカレぶりが最高です。
by ChinchikoPapa (2021-09-13 11:50) 

ChinchikoPapa

昼と夜の気温差が大きなこの季節、鼻かぜ・喉かぜを引く人が多いですね。軽い風邪なのに、新型コロナ罹患を疑わなければならないのは煩わしい限りです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ふるたによしひささん
by ChinchikoPapa (2021-09-13 12:06) 

ChinchikoPapa

kiyokiyoさん、コメントをありがとうございます。
入ってるピーナッツの香りが、「海苔巻せんべいピー」のほうが醤油と海苔の匂いから香ばしいような気がして、こちらを選んでしまいますね。
by ChinchikoPapa (2021-09-13 12:09) 

ChinchikoPapa

キンモクセイの香りがあたり一帯に漂って、夏の終わりの9月を実感しますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>hirometaiさん
by ChinchikoPapa (2021-09-13 12:11) 

ぼんぼちぼちぼち

こんな見事な切り通し、リアルには見たことがありやせん。
すごい迫力でやすね!
by ぼんぼちぼちぼち (2021-09-13 12:32) 

ChinchikoPapa

ぼんぼちぼちぼちさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
鎌倉の中では名越切通しとともに、わたしのいちばん好きな切り通しです。最近は通行禁止で、バリケードが築かれていることが多いのですが、ときどき補修されるらしく「落石注意」で通行可に変わることがあります。
子どものころ、CMで気になった「ひよ子」も「ナボナ」も「森の詩」も、親にねだっても一度も買ってくれたためしがなく、この歳になるまで食べたことがありません。子どものころは、お菓子の「ホームラン王」ならぬ「三冠王」だと思っていました。w
by ChinchikoPapa (2021-09-13 15:44) 

ChinchikoPapa

とてつもないサイズの水車で、一瞬、木製の観覧車かと思いました。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>響さん
by ChinchikoPapa (2021-09-13 15:48) 

ChinchikoPapa

いまの子は、バイクやクルマにほとんど興味を示さなくなってしのいのしたね。リプライが前後してしまい、失礼しました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>tomi_tomiさん
by ChinchikoPapa (2021-09-13 16:04) 

ChinchikoPapa

夏はケンカの季節というのは、確かにそうでしたね。小学校3年か4年のとき、原っぱで砂の掛け合いからヒートアップした中学1年生とケンカして、腕力や体格ではかなわないものだから、落ちていたコンクリートのブロックで馬乗りになった相手の頭をかち割ってしまったことがありました。いまだに、卑怯で済まないことをしたな……って思います。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>にのまえさん
by ChinchikoPapa (2021-09-13 19:48) 

ChinchikoPapa

いちばん下の写真は、イソシギに似ていますね。この記事のころに住んでいた家の付近に、西行も立ち寄った「鴫立沢(しぎたっさわ)」という小川があるのですが、昔はシギがたくさん群れていたんでしょうね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2021-09-13 22:33) 

にのまえ

自分は学生時代に鎌倉地誌研究会」なるものを一人でつくり、毎週末鎌倉を徘徊しておりました。釈迦堂口切り通しは圧巻でした。鎌倉七切り通しには入ってないもののそれよりインパクトのあるものでした。
落合さんのページを開いてびっくりしました。10数年前に通り抜け禁止になり残念でした。











by にのまえ (2021-09-14 01:42) 

ChinchikoPapa

にのまえさん、コメントをありがとうございます。
鎌倉は、歩いても歩いても飽きないですね。市街地よりも、周囲の山中のほうに意外な遺跡が眠っていて面白いです。昔はマムシの巣などと呼ばれていた山々ですが、宅地が谷に入りこむのと同時にずいぶん数が減っているようですね。釈迦堂ヶ谷切通しの東側に位置する衣張山も、よく登った山のひとつですが、昔は釈迦堂ヶ谷切通しの上に出られたような憶えがあります。
同切り通しに、子どものころはなんの注意書きもありませんでしたが、わたしの学生時代ぐらいから「落石注意」の看板が建ちはじめました。そのつど、落石防止の補修をしていると思っていたのですが、全面通行止めはとても残念です。
by ChinchikoPapa (2021-09-14 10:11) 

ChinchikoPapa

きょうは少しすごしやすいですが、いまにも雨が降りそうで外出がちょっと心配ですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2021-09-14 14:42) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>芝浦鉄親父さん
by ChinchikoPapa (2021-09-16 10:38) 

ChinchikoPapa

以前の記事にまで、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>U3さん
by ChinchikoPapa (2021-09-19 17:11) 

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