大正期から昭和初期にかけ、下落合には数多くのアトリエが建設された。アトリエが“主”で生活空間が“従”のような建築もあれば、大きな邸宅の一画に画室が設置され、あとの広い空間は家族が使用していたケースもある。前者の代表的な例が1916年(大正5)に下落合464番地に建設された中村彝アトリエClick!であり、後者の代表例が1919年(大正8)に下落合540番地に建てられた大久保作次郎アトリエClick!だろうか。
 アトリエが主体の家は、もちろんアトリエ自体を建てるのにせいいっぱいで母屋にまで資金がまわらない、経済的な理由がいちばんに挙げられるのだけれど、年がら年じゅう制作三昧をしたいという、画家の創作姿勢に起因するケースもあるのかもしれない。一方、家の一部に画室が付属している場合は、すでに画家として食べていけるまでの仕事をしているか、あるいは家族の誰かが画家をめざしていた・・・というケースが考えられる。
 落合地域には、別に画家の邸ではないけれど、アトリエを設置した住宅をところどころで見かける。いまでこそ数が少なくなっているが、昔はもっとたくさん建っていたのだろう。それは、その家の誰かが画家をめざしていた可能性も考えられるが、落合地域に住みたがる画家をターゲットに、当初から画室つきの借家として建設された事例もあったかもしれない。大正期から戦前にかけ、落合地域は画家のアトリエだらけの様相を呈していたが、きょうは家の一部に画室を配置した、大正末から昭和初期にかけての代表的な住宅建築をご紹介したい。参考にするのは、1929年(昭和4)に主婦之友社から発行された『中流和洋住宅集』だ。
 宅地は80坪と、当時としてはあまり広くはないのだが、30畳大の画室を備えた大きな西洋館仕様の邸宅が建っていた。昭和初期なので、すでにコンクリート工法Click!が広く普及し、住宅の基礎や玄関のたたきはコンクリ仕様となっている。門と玄関は、西側の道路に面して設けられており、玄関を入るとすぐ左手に2階への階段が設置されている。また、家族が多かったせいか、階段につづいてトイレがふたつ設置されているのがめずらしい。
 また、家の外観の問題として、玄関のすぐ左横にトイレがある配置もめずらしいが、それをトイレのようには見せないような外的デザインの工夫が施されている。写真を見ると、すりガラスのはまったトイレの大きめな窓には、花鉢を置けるほどの白い木製ベランダが設けられており、さらに垣根沿いに植えられた樹木によって、道路からの視界が遮断されるように工夫されている。

 玄関の正面は8畳ほどの客間で、右手が6畳大の子どもの勉強部屋になっている。玄関を上がり“「”字型の廊下を曲がると、右手に先の客間とテラスへ出られる6畳大の食堂がつづき、左手はコンクリート仕様の浴室に板敷の台所(2.5坪)、女中部屋とつづいている。台所の下には、1坪ほどの地下蔵が掘られていて、板敷を持ち上げると食料品などを貯蔵できるようになっていた。また、台所には浴室の炊き口や、裏門へと抜けられる扉が設置されていた。
 廊下の突きあたりには、4.5畳ほどの納戸があり、その左側が和室である8畳大の居間、納戸の右手が6畳大の子ども部屋になっている。妙な位置に納戸があるのだけれど、これは邸内の風通しを考えての設計らしい。東に面した納戸の窓と、廊下側のドアを開け放しにしておくことで、夏の暑い時期などは1階へ風を呼びこむ効果があったようだ。ここに納戸のような空間を置かないと、居間の扉を開け放しにしなければ風が入らず落ち着かなかったせいもあるのだろうが、もうひとつ、納戸は洋と和との生活切り替えスペースとして意識された気配を感じる。
 既述のように、この邸は2階も含めて多くが洋風生活なのだが、1階の居間と子ども部屋が昔ながらの和室となっている。そして、納戸と居間あるいは子ども部屋との出入口には、ドアではなく襖が設置されているのだ。すべてを洋風にせず、居間と子ども部屋に押入れつきの畳敷きを残したのは、やはり睡眠は布団を敷いてとりたいという施工主の想いがあったのだろう。外観は完全に西洋館でも、この邸にはあるべきはずの寝室スペースが想定されていない。
 
 玄関わきの階段を上がって廊下を進むと、まず6畳大の“広間”に出るドアがある。おそらく来客などがあった場合の、多目的な部屋として使用されたのだろう。広間の南側には、総リノリウム張りで10畳大の書斎がある。そして、2階の東側には広間からも書斎からも入ることができる、ベランダつき33畳大の広大なアトリエが設けられていた。
 この家を建てた施工主の名前は伏せられているが、おそらく家の意匠や生活様式などから洋画家だ思われる。でも、居間の8畳間には軸画をかざった床の間が設けられ、その横の壁には4振りの造りつけと思われる刀掛けが見られる。壁のこのような高い位置へ、打ち刀を掛けるのも奇妙でおかしな光景だが、ひょっとすると子どもたちがイタズラして怪我をしないよう、あらかじめ配慮した設計なのかもしれない。
 『主婦之友』に大正期から連載された、住宅紹介シリーズ記事Click!を集約した『中流和洋住宅集』には、下落合2096番地のアビラ村Click!に島津家Click!が建設した三ノ坂沿いの別荘風住宅Click!や、下落合2108番地の吉屋信子邸Click!などが紹介されているので、この画家の家も落合地域に建っていた可能性がある。ただし、家の大きさや11,900円もかかったという工費などから、1929年(昭和4)現在には画壇でかなり名の知られた画家だったろう。
 

 ようやく絵が売れはじめ、土地を購入したり長期借地契約を結んだりしたあとの画家たちは、ウキウキしながらアトリエつき自邸の設計にとりかかったことだろう。でも、主婦之友編集部によれば初めて家を建てた人の大半は、「この家は失敗しましたが、こんど建てるときは、きつといゝ家を建てますよ」と答えたのだそうだ。一生に何度も家を建てられなくなった現在、エアコンも電子レンジもICTも存在しなかった「不便」な時代にせよ、やはりうらやましいと感じてしまうのだ。

◆写真上:旧・下落合西部のアビラ村エリア(現・中井2丁目)に残る、1923年(大正12)ごろに建設された画室つき住宅の事例で、現在は1階部分が米穀店になっている。
◆写真中上:主婦之友社『中流和洋住宅集』(1929年)に掲載の、画室つき住宅の1階平面図。
◆写真中下:左は、西側の接道に面した門と玄関外観。右は、広い画室のある2階平面図。
◆写真下:上左は、両開きのドアがついた玄関。上右は、妙な刀掛けのある和室の居間。下は、洋皿や絵画が飾られた食堂でガスストーブと洋風火鉢が置かれているのがめずらしい。