中村彝Click!の作品の中に、1918~1919年(大正7~8)に制作された庭の情景で、木々に鳥かごを吊るして描いている画面が3点ほど現存している。鳥かごの中には、わりと大きめな鳥が描かれており、グリーン系の絵具で塗られているのでインコかオウムのような様子をしている。では、中村彝は画面に描いたような、インコないしはオウムを飼っていたのだろうか?
 中村彝がメジロを飼育していたのは、1926年(大正15)に岩波書店から出版された『芸術の無限感』の書簡集の中でも触れられており、洲崎義郎Click!や小熊虎之助Click!に宛てた手紙の近況報告に登場している。だから、わたしはメジロのほかにセキセイインコ、あるいはオウムも飼っていたのではないかと想定してきた。オウムについては、曾宮一念Click!によれば、中村彝が描いた『鸚鵡の籠』という作品の存在を、どこかの文章の中で読んだ記憶があったからだ。
 まず、前掲の『芸術の無限感』より、彝がメジロを飼いはじめたころの様子を、仙台市北三番町の小熊虎之助に宛てた、1917年(大正6)11月7日の手紙から引用してみよう。
  ▼
 僕はこの頃は小鳥を飼つて居ます。毎日色々変つた小鳥が鳥籠の周囲へ遊びに来るのを見て居ると、実に愉快です。殊に同類の呼びかはす声が堪まらなくいゝ。昨今の霜で草花、ダーリア、コスモス、百日草等皆んなやられて了ひました。然しこれからの武蔵野はツルゲーネフの叙景の様に美しくなる。
  ▲
 「同類の呼びかはす声」というのは、現在でも落合地域では非常に多いメジロのことで、木々の枝葉をせわしなくわたりながら、ジィジィジィチョチョチョチョというような地味な声で鳴き交わしている。庭木に鳥かごを吊るしていたので、きっと野生のメジロが籠の同鳥の鳴き声につられて寄ってきたのだろう。「ツルゲーネフの叙景」と書かれているのは、国木田独歩がロシア文学の描写をマネて1898年(明治31)に著わした『武蔵野』Click!のことだ。
 このあと1ヶ月半後の書簡でも、彝はメジロについて触れている。1917年(大正6)12月25日に新潟県の柏崎四ツ谷にいる、洲崎義郎宛てに書いた手紙から引用しよう。
  ▼
 どうもよく御天気が続きますね。この頃は毎日、日なたぼつこです。近所に友人(一人)が引越して来たので、時々その絵を見たり目白の世話をしたりして暮らして居ます。東京の方は暮で大分忙し相ですが、こゝは相変らずです。只今お葉書を拝見致しました。ほんとに何時も筆不精で飛んだ御心配をかけて済みません。
  ▲
 この年、近所に転居してきた「友人」とは誰だか不明だが、そろそろ目白通りの北側、下落合540番地に大久保作次郎Click!が、自宅とアトリエを建てて引っ越してくるころだ。だが、中村彝と大久保作次郎は、知り合いではあったかもしれないが、アトリエを行き来して作品を見せ合うほど親しかったかどうかは疑問だ。また、洋画も描く日本画家・夏目利政Click!が、近衛町Click!と呼ばれる以前に舟橋了助邸Click!の東並び(下落合436番地)に転居してくるのもこのころかもしれないが、彝と親しかったという証言は見かけない。
 ひょっとすると、翌年に東京美術学校への入学を控えた二瓶等Click!が、「目白バルビゾン」Click!と呼ばれていた当時の下落合で借家住まいでもして彝を訪ね、顔見知りの関係になっていたものだろうか。二瓶は間もなく、下落合584番地に豪華な自邸+アトリエを建てて暮らしはじめている。


 さて、中村彝が庭の木に吊るして描いた、鳥籠作品を見ていこう。いずれの鳥かごにも、メジロらしい鳥の姿は描かれておらず、どの鳥ももう少し大型の別種のように見える。わたしの手もとで参照できるカラー版の作品には、1919年(大正8)に制作された『庭の雪』がある。中央に吊るされた鳥かごにいるのは、メジロとは似ても似つかない大きな鳥だ。そのかたちやサイズ、色などから明らかにインコかオウムを連想させる。
 また、1918年(大正7)に描かれた『鳥籠のある庭の一隅』、および同年ごろに制作された『画室の庭』にも、メジロよりはかなり大型の鳥が描きとめられている。これらの描写を踏まえ、わたしは中村彝がメジロのほかに、インコかオウムのような鳥を飼っていたのだろうと想像していたのだけれど、それが大まちがいであることが判明した。
 中村彝は、鳥かごにメジロを飼ってはいたが、庭の樹木に鳥かごを吊るしモチーフとして描くには、メジロはあまりにも小さすぎるとでも思ったのだろう。メジロの代わりに、オウム(大型のインコ?)を鳥かごの中に入れて描いている。もっとも、生きているオウムではなく、彝が綿(おそらく紙か布も用いたかもしれない)で形状をつくって彩色した、オウムのフィギュアだ。そのフィギュアづくりの様子を、1985年(昭和60)に文京書房から出版された、曾宮一念『武蔵野挽歌』から引用してみよう。
  ▼
 大正九年の秋、落合に移った。近くに居た中村彝は目白を飼っていた。私は小鳥が嫌いではないけれども、小さな籠の中の止木を絶えず飛ぶのは見て煩わしく、鳥も飽きるだろうと思われた。中村の小品の庭の絵に「鸚鵡の籠」があるが、これは綿に淡紅色を塗った中村作の代用品であった。
  ▲
 曾宮一念Click!は、1920年(大正9)に目白通りの北側、下落合544番地へ引っ越してきており、ドロボーClick!の被害に遭ったあと翌1921年(大正10)年、下落合623番地に竣工したアトリエ兼自邸Click!へ転居している。
 彝が制作したオウムのフィギュアは、当初は淡紅色に塗られていたとあるので、作品を描くごとにフィギュアの彩色も、そのつど変えていたのかもしれない。少なくとも、『庭の雪』(1919年)と『鳥籠のある庭の一隅』(1918年)に描かれている鳥は、淡紅色ではなく黄緑色をしているので、どこかセキセイインコのような印象を受ける。
 このころ、家で鳥を飼うことが流行っていたものか、下落合1296番地の秋艸堂Click!にいた会津八一Click!は、たくさんのハトを飼っていた。曾宮一念は、会津からハトを1番(ひとつがい)もらうのだが、庭に建てた板小屋でハトとともに寝起きしている。曾宮の同書から、つづけて引用してみよう。


  ▼
 中村とは反対の方角に会津八一がいて、鳩を飼っていた。首に白輪のある数珠懸鳩で私に一番くれた。雄は雌の前で首を上下してポッポッポーを繰り返した。その頃私は庭の板小屋に独り寝起きし、鳩と板一枚を境にしたが鳩は中間色、声も柔らかで気にならなかった。この小屋は桐の木の下にあって、四、五月に寝ながら桐の花が仰がれた。ある日枝に鳩より大きい鳥が留まっていた。下からは腹が白くその他は灰色で明るく、花の黄色に対して美しかった。物知りの友が尾長と教えたように、尾が特に長かった。姿に似ず声は悪声で頂けなかった。昭和八年、「桐の花」の題の画を描いて私は二科展へ出品した。今この文章を書きながら、あの画に尾長を留まらせたらもっと賑やかになったろうと思う。
  ▲
 オナガClick!は、いまでも下落合では秋冬にグェグェと群れをなしてあちこち飛びまわり、棕櫚の木へいっせいに群がったりしているが、ハトはキジバト(ヤマバト)が多く、飼われていたと思われるハトClick!はあまり見かけない。
 曾宮一念は、鳥を知り合いから譲られることが多かったのか、会津八一からはハトの雄雌2羽をもらっているけれど、1927年(昭和2)には近所の佐伯祐三Click!から黒いニワトリ7羽Click!を、ほとんど押しつけられるように譲られている。佐伯がニワトリを抱いて曾宮を訪ねたのは、第2次渡仏直前でアトリエを当分留守にするからなのだが、曾宮はその後、またしてもドロボーClick!に入られて佐伯のニワトリを7羽ぜんぶ盗まれている。
 会津八一は、ハトのあとはキュウカンチョウを飼っていたようで、朝でも昼でも夜でも「おはよう!」という鳥の様子を、曾宮一念の前掲書から引用してみよう。
  ▼
 或る日の夕、秋草堂を訪ねると、頭の上で「おはよう」と言うものがいた。ついで、「あさのみだ、あさのみだ」との二声に驚いて見上げると、九官鳥の籠が楓の枝にぶら下げてあった。夕方なのに「おはよう」はよいとしても「あさのみだ」はわからない。会津に聞くと「俺にくれた前の飼主が、鳥が好む麻の実をねだる時に、麻の実だと口ばしに入れたそうだ」で、これで難問は解けた。会津は家を出がけと帰り時とに、鳥の挨拶を受けていた。その声は人間の声によく似ているが、もっと綺麗であった。
  ▲
 
 
 曾宮一念も会津八一も、人が飼わなくなった不要な鳥類を押しつけられやすい、どことなく鳥好きのするような風情に見えたのだろうか。会津が知人からもらったキュウカンチョウの、昼でも夜でも「おはよう!」の挨拶は、それでなくても気むずかしい会津をイライラさせたのではなかろうか。そのうち、焼き鳥にされていないことを祈るばかりだ。

◆写真上:彝アトリエの前庭にある、鳥かごを吊るすのにピッタリなアオギリの二股。
◆写真中上:1919年(大正8)に庭の樹木に吊るした鳥かごを描いた中村彝『庭の雪』で、全体画面(上)と鳥かご部分の拡大(下)。鳥かごの中に描かれている黄緑色の鳥はメジロではなく、明らかにインコかオウムのように見える。
◆写真中下:上は、1918年(大正7)ごろに制作された中村彝『画室の庭』。下は、1918年(大正7)に描かれた中村彝『鳥籠のある庭の一隅』。いずれも、大きめな鳥の姿が描かれており、中村彝が制作したオウムのフィギュアだと思われる。
◆写真下:上は、鳥かごを拡大した『画室の庭』(左)と『鳥籠のある庭の一隅』(右)。下は、メジロ(左)とキコボウシシンコ(右)。