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下落合を描いた画家たち・今西中通。(1) [気になる下落合]

今西中通「落合風景」1932.jpg
 きょうは、以前にpinkichさんClick!よりご教示いただいた、上落合に住んだ洋画家・今西中通(ちゅうつう)の連作「落合風景」について少し書いてみたい。高知県生まれの今西中通が、里見勝蔵Click!に師事していた同郷の大野龍夫を頼って、家を飛びだすように東京へとやってきたのは1928年(昭和3)1月12日のことだ。当初は川端画学校へと通っているが、すぐに同期の仲間たちと代々木山谷160番地にできたばかりの、1930年協会洋画研究所へ移っている。
 当時は今西中通の画号ではなく、いまだ今西忠通(ただみち)と本名で絵を描いており、1930年協会Click!展への出品も本名が使われている。同展には、1930年(昭和5)1月17日より上野の東京府美術館で開催された第5回展から出品しており、『白い壺とネギ』(展示番号784)と『風景』(同875)の2点が入選し、展覧会の最終コーナーである第15室へ架けられている。
 ちなみに、今西は東京へやってきた当初から、代々木の1930年協会洋画研究所Click!で行われた講演会に参加しているが、1928年(昭和3)5月20日に代々木山谷小学校で開かれた、1930年協会第1回講演会の記念写真にも、20歳の今西らしい人物が里見勝蔵の右隣りにとらえられている。今西の右隣りは、同郷の大野龍夫だろうか。
 今西中通が、渋谷の道玄坂から川端画学校などで知り合った赤堀佐兵、赤星孝、坂本善三らが住む上落合へ引っ越してきたのは、おそらく1930年(昭和5)の早い時期のようだ。住所は上落合851番地で、蛇行を繰り返す妙正寺川の南側であり、美仲橋と新杢橋のちょうど中間にあたるエリアだ。当時の下宿の様子を、1997年(平成9)に高知県立美術館から刊行された「没後50年今西中通展」図録所収の、鍵岡正謹『今西中通 人と作品』から引用してみよう。
  
 上落合の下宿は二階建で広い土間と奥の六畳を借り、二階に早稲田の学生が二、三人居て中通と共同炊事をやっていた。画家の仲間もよく訪れて、彼らから「中さん」と呼ばれ「純情一途」と誰もが云う性格は、周囲の先輩や同輩に愛された。彼らとよく酒を飲み、取っくみあいの議論をしては、夜を徹してキャンバスにむかう生活がはじまっていた。
  
 これによれば、今西は広い土間をアトリエがわりに使用し、奥の六畳を居間兼寝室のように使っていたのだろう。当時の落合地域に住む画学生たちと比較すると、スペース的にはかなりめぐまれた環境ではなかったろうか。
上落合851番地.jpg
1930年協会第5回展1930.jpg 今西中通.jpg
 1930年(昭和5)5月になると、今西中通の下宿がある敷地の北隣りに、やはり画家をめざす手塚緑敏Click!が引っ越してくる。手塚の妻・林芙美子Click!の友人だった尾崎翠Click!が大家に夫妻を紹介し、当時は妙正寺川の岸辺に建っていた上落合850番地の2階家を借りたのだ。尾崎翠Click!は、夫妻の引っ越しを手伝い障子の張り替えまでやっているので、今西中通は尾崎翠にも出会っているかもしれない。上落合850番地の借家は、もともと1928年(昭和3)6月まで尾崎翠と松下文子が借りて住んでいた家だった。当時の様子を、前掲の『今西中通 人と作品』から引用してみよう。
  
 上落合に住んでいた中通のすぐ近くに、林芙美子が画学生であった手塚緑敏と結婚して移り住んできたのは、中通と相前後している。画家志望の手塚との関わりからか、中通は友人と一緒に林家を訪ねることになる。林芙美子の『放浪記』が刊行されベストセラーとなり、一躍女性新人小説家として躍り出たのは1930(昭和5)年7月のことであった。中通は林家にお祝いとして『春景色』を贈り、林家からは今西が結婚した時に鉄瓶を贈ったりするほどの仲であった。そのころの中通を緑敏は、「田嶋家から仕送りがあり、生活に困っているような感じのない、ボンボンのように見えた」と云っている。
  
 当時、手塚緑敏は落合地域のあちこちを写生してまわっていたので、同様に周囲の風景をスケッチしていた今西中通とは、早くから顔なじみだったのだろう。朝になると、画道具を抱えて出かける近隣の画学生同士が、親しくならないはずはない。ときに、今西と手塚緑敏は連れだって、同じポイントで「落合風景」を描いていたのかもしれない。この当時から、手塚緑敏が制作していた膨大な「落合風景」の大部分は、のちに庭の焚き火へくべられて燃やされ、現存しているのはわずかな点数にすぎない。
 上掲の一文にもあるとおり、手塚の妻である林芙美子がベストセラー作家になると、金銭的にも余裕ができたので、夫妻は1932年(昭和7)8月に五ノ坂下に建っていた大きな西洋館Click!、林芙美子がいうところの通称“お化け屋敷”Click!へと転居していった。また、今西中通はその後もしばらく上落合851番地の借家に住みつづけるが、故郷からの仕送りが途絶えたのを機に、1934年(昭和9)にはニワトリ小屋を改造した井上哲学堂Click!の北西にあたる、中野区江古田1丁目81番地へと引っ越していった。
1930年協会第1回講演会19280520.jpg
今西中通「秋の丘」1932.jpg
 さて、今西中通が連作とみられる「落合風景」を描いたのは、1930年協会が解散し独立美術協会Click!へと移っていた時代だ。その代表的な作品が、1932年(昭和7)に制作された『落合風景』なのだが、おそらく今西のイメージや構成が加えられたフォーヴ調の画面だと思われ、落合地域のどこを描いたものかを特定するのは困難だ。また、当時の落合地域に建っていた家々の屋根に、これほどの確率で赤い瓦が多用されていたとは思えないので、今西の理想的な色彩イメージが加味されているのだろう。
 『落合風景』に比べ、まだ同年に描かれた『秋の丘』のほうが、地形的にわかりやすい構図となっている。明らかに、下落合側に連続している目白崖線を、東側から西側に向けて眺めた「下落合風景」だと思われる。崖線の途中、北へと切れこんだ手前の谷戸は、制作年からすると下落合西部に展開していた風景の可能性が高い。改正道路(山手通り)工事により、全的に消滅してしまった矢田坂の谷間Click!か、あるいは蘭塔坂(二ノ坂)Click!五ノ坂Click!の“切れこみ”をイメージした画面だろうか。いずれにしても、これほど赤や緑の原色が連なる、西洋館らしい家々が建てこんだ谷間は、当時の下落合に存在していない。
 同じ1932年(昭和7)ごろに制作された、『風景(赤い屋根)』や『風景』にも同じことがいえる。今西中通は、付近の「落合風景」を描きながら主観的な理想の風景をイメージし、画面を自由に構成し彩色していた可能性が高いと思われる。そこには、同じフォーヴィズムとはいえ多少のデフォルマシオンは加味されても、色彩も含めてかなり忠実かつ正確に風景をとらえ、切りとっていった佐伯祐三Click!「下落合風景」シリーズClick!とは異なり、より自由でフレキシブルな新しい時代の画面表現を試みていると思われるのだ。
 佐伯祐三も、赤い屋根のバーミリオンにこだわってはいるが、それはモチーフとして選んだ赤い屋根の邸(たとえば八島さんちClick!納めさんちClick!)をバーミリオンで輝かせているのであり、灰色の屋根や青い屋根を無理やり赤く塗ってしまった事例は、いまのところ見あたらない。今西中通が描く家々は、おそらくさまざまな色合いをしていたのだろうが、それを赤で統一したり、あるいはときに緑で塗りつぶしているところに、あえて実景にはとらわれない今西ならではの“暴れる筆先”を感じるのだ。
今西中通「風景(赤い屋根)」1932頃.jpg
今西中通「風景」1932頃.jpg
 今西中通は、1934年(昭和9)ごろからキュビズム的な傾向が強くなるが、上落合へ転居したころから親しい今西宅から北北東へ500m、下落合1995番地にアトリエをかまえていた川口軌外Click!や、独立美術協会の画家たちからの影響が少なくないのだろう。今西は、ほかにも「落合風景」と思われる作品を1930年代前半に残しているが、より構成的な傾向が強い作品も見られる。また機会があれば、それらの作品について触れてみたい。

◆写真上:1932年(昭和7)に制作された今西中通『落合風景』で、掲載の作品画像はいずれも高知県立美術館から刊行された「没後50年今西中通展」図録(1997年)より。
◆写真中上は、1938年(昭和13)作成の「火保図」にみる上落合851番地。すでに妙正寺川の整流化工事はスタートしており、上落合850番地の家々が消滅している。下左は、1930年(昭和5)1月17日から東京府美術館で開催された1930年協会第5回展。背後には、病床の前田寛治の大きな写真が掲げられている。下右は、今西中通のポートレート。
◆写真中下は、1928年(昭和3)5月20日に代々木山谷小学校で開催された1930年協会の第1回講演会記念写真。は、1932年(昭和7)制作の今西中通『秋の丘』。
◆写真下:1932年(昭和7)ごろに描かれた、今西中通の『風景(赤い屋根)』()と『風景』()。いずれも、どこを描いたのかポイントの特定はむずかしい。


読んだ!(37)  コメント(52)  トラックバック(1) 
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読んだ! 37

コメント 52

ChinchikoPapa

わたしもブログ名を記した名刺はないのですが、以前は「Papaさん」と呼ばれることが多かったです。最近は「落合さん」と呼ばれることがあり、一瞬「誰?」と反応できないでいます。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>O14Ruggermさん
by ChinchikoPapa (2015-07-02 13:09) 

ChinchikoPapa

こういう、ある分野の“符牒”のような言葉は面白いですね。東北のマタギ間に伝わる「山言葉」も、非常に興味深いです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>simousayama-unamiさん
by ChinchikoPapa (2015-07-02 13:10) 

ChinchikoPapa

子どものころ、虫歯にならないように生シラスと釜揚げシラスは、ほぼ交互に毎朝食べさせられていましたけれど、相模湾の名物になるとは思いませんでした。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2015-07-02 13:16) 

ChinchikoPapa

クスリ20錠とは、それだけでお腹がいっぱいになりますね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>bee-15さん
by ChinchikoPapa (2015-07-02 13:17) 

ChinchikoPapa

確か「Lady in the water」は、怖そうにもかかわらずあまりヒットしなかった作品と記憶しています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>makimakiさん
by ChinchikoPapa (2015-07-02 13:28) 

ChinchikoPapa

どこの家庭でも、父親と娘は関係性に悩むようですね。わたしの周囲で、父親と娘が「大の仲良し」というケースを、まだ1事例しか知りません。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>やってみよう♪さん
by ChinchikoPapa (2015-07-02 13:31) 

ChinchikoPapa

このところ家の中にクロアリが侵入してくるのですが、どこから入ってくるのか、いまだ突き止められていません。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2015-07-02 13:33) 

ChinchikoPapa

水出しコーヒー用のドリッパーが、業務用にしてはコンパクトですね。家庭でも使えそうです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2015-07-02 13:37) 

ChinchikoPapa

「サムライ」の高架下をさらに南へしばらく行くと、オリジナルのハンバーガー屋さんができたと聞いているのですが、いまだ立ち寄れないでいます。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2015-07-02 13:42) 

ChinchikoPapa

なんだか、美味しいものがたくさん獲れそうなお庭ですね。w
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okin-02さん
by ChinchikoPapa (2015-07-02 13:45) 

ChinchikoPapa

初代・中村吉右衛門が構想した、大磯の俳優村を想像するとちょっと面白いですね。企画・計画書のようなものが、町役場に保存されていないでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>SILENTさん
by ChinchikoPapa (2015-07-02 19:41) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>くるみさん
by ChinchikoPapa (2015-07-02 19:42) 

ChinchikoPapa

このところ、気温が低いのにアイスコーヒーを飲んで、ちょっと身体が冷え気味です。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>さらまわしさん
by ChinchikoPapa (2015-07-02 19:44) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>wamhimuさん
by ChinchikoPapa (2015-07-02 20:28) 

ChinchikoPapa

彼女が手にしているのは、懐かしい35mmのアナログカメラでしょうか。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>シルフさん
by ChinchikoPapa (2015-07-02 22:05) 

pinkich

papaさんありがとうございました。落合地域には、今西中通の青春が詰まっているので、こちらのサイトに是非取り上げていただけたらなと考えていた次第です。ありがとうございました。中通は心惹かれる画家です。フォーブからキュビズムに、セザンヌにまなび具象画に立ち返るのですが、どの時代の画にも独特の詩情があります。林芙美子の落合山川記にも中通がチョットだけ顔を出しますね。中通がフサに焦がれて通いつめたカフェが気になります。多分落合近辺だと思うのですが。昔のカフェはいまのバーに近いのかもしれませんね。
by pinkich (2015-07-02 22:06) 

ChinchikoPapa

ネコの動画を見ていると、やはり日本ネコがいちばんかわいく感じます。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>宝生富貴さん
by ChinchikoPapa (2015-07-02 22:13) 

ChinchikoPapa

pinkichさん、コメントをありがとうございます。
今西中通にはまだ何点か、上落合時代と重なった気になる作品がありますので、とりあえず(1)としてみました。また近々、別の作品について書いてみたいと思っています。作品のご紹介を、ありがとうございました。
カフェの画面も見ましたが、やはり中井駅前の「ワゴン」ではないですね。調度品や空間の様子からしますと、もっと広い本格的なカフェのような雰囲気です。上落合の住まいの位置からすると、東中野へ出る途中か、高田馬場前あたりにあったカフェでしょうか。また、「画家仲間」と繰り出したモダニズム文化まっさかりの、新宿駅周辺の可能性もありそうですね。
by ChinchikoPapa (2015-07-02 22:22) 

ChinchikoPapa

酒造家や杜氏にとって、水や蔵が変わってしまうのはなによりも辛いですね。すべて、イチから技法の構築しなおしは大変だったと思います。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2015-07-03 00:15) 

ChinchikoPapa

いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>mentaikoさん
by ChinchikoPapa (2015-07-03 00:16) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>nandenkandenさん
by ChinchikoPapa (2015-07-03 00:47) 

ChinchikoPapa

このD.チェリー作品は、どこかで聴いてるかもしれませんが、サウンドの記憶がないですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2015-07-03 09:52) 

ChinchikoPapa

わたしも今年の健診では、内科医にいろいろ脅されましたが……。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>いっぷくさん
by ChinchikoPapa (2015-07-03 09:56) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>じみぃさん
by ChinchikoPapa (2015-07-03 09:56) 

ChinchikoPapa

30代以下の金銭的な貧困化は、確実に進んでいますね。これではますます、結婚して子供を産むどころではないんじゃないかと思います。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>未来さん
by ChinchikoPapa (2015-07-03 10:00) 

ChinchikoPapa

竹林と小流れの風情が、わたしたちにはどこか既視感がありますけれど、フランス人にはエキゾチックなときめき風景に見えたのでしょうね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>nikiさん
by ChinchikoPapa (2015-07-03 13:04) 

ChinchikoPapa

子どものころ、「三笠」の艦内では三船敏郎が出演している『日本海海戦』の戦闘シーンが上映されていましたけれど、いまではさすがにないですね。昔に比べ、記念グッズが格段に増えたのが驚きです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>tarouさん
by ChinchikoPapa (2015-07-03 13:10) 

ChinchikoPapa

いよいよ明日から、宮城遠征の全日本社会人選手権ですね。雨がちょっと心配ですが、がんばってください。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ねねさん(今造ROWINGTEAMさん)
by ChinchikoPapa (2015-07-03 13:12) 

ChinchikoPapa

畑の中のまっすぐな道は、自転車で爆走できそうですね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>opas10さん
by ChinchikoPapa (2015-07-04 00:18) 

ChinchikoPapa

沙耶さん、本記事とはまったく関係のないコメントですので、ほんとうに久しぶりですがスパムとみなし、削除させていただきました。
by ChinchikoPapa (2015-07-04 18:34) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>Ujiki.oOさん
by ChinchikoPapa (2015-07-04 18:39) 

ChinchikoPapa

高円寺の書かれているカフェは、たぶん一度も入ったことがなさそうです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
by ChinchikoPapa (2015-07-04 18:42) 

ChinchikoPapa

雨つづきの日々、街頭での宣伝活動はたいへんですね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2015-07-04 18:44) 

ChinchikoPapa

テルテル坊主も、軒下で濡れっぱなしの毎日がつづきますね。梅雨前線が居座って、当分動きそうもありません。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>さらまわしさん
by ChinchikoPapa (2015-07-04 19:54) 

pinkich

かさねてありがとうございます。昭和初期の日本の洋画界は、西欧のフォーブやキュビズムなどいろいろな流れを受け、めまぐるしく発展していったようですね。落合地域にも無名の画家たちが多数集まり切磋琢磨していたようですね。野見山暁治のエッセイを読むと晩年の今西中通はいかに画面を構築するのかにこだわっていたようです。キュビズムやセザンヌに学び、自分の絵を探求しますが、夭折してしまいます。今西氏を師と仰ぐ野見山氏はというと、パリ留学中に目にした東洋の山水画に衝撃を受け、画面の構築を意図しない絵を探求していきます。画家同士が影響しあい、必死に自分の絵を探求していく様は、今の時代の画家にはないような気がします。
by pinkich (2015-07-05 17:25) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2015-07-05 21:09) 

ChinchikoPapa

pinkichさん、コメントをありがとうございます。
後期印象派やフォーブ、キュビズムにシュルレアリズム、そしてアブストラクト……と、いろいろな表現法が日本の洋画界にもたらされますけれど、およそ劉生以来、まるで通奏低音のようにつづいていたのは、日本にとっての「油絵とはなにか?」という一貫した問題意識がありますね。
油絵具のような鮮やかな色彩を用いて、日本の風景や静物、人物を描くことにどのような意味があるのか?……という、美術表現としての本質的なテーマです。これは美術界ばかりでなく、音楽界でも西洋のコードやモードを用いて、「日本の音楽」をどのように表現できるのか?……という課題にも通じるものですね。
それは、別にアジア主義やナショナリズムといった偏狭な側面からではなく、表現としてのオリジナリティをどう担保するのかという、かなり深刻なテーマに隣接している課題であるように思います。
by ChinchikoPapa (2015-07-05 21:24) 

ChinchikoPapa

こちらにも、ごていねいに「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>うたぞーさん
by ChinchikoPapa (2015-07-05 21:25) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>lequicheさん
by ChinchikoPapa (2015-07-05 21:40) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2015-07-05 23:54) 

pinkich

いつも楽しみに拝読しています。7月8日の記事に林武の武蔵野風景は、落合地域のこととあります。武蔵野風景ときくと埼玉方面と勘違いしておりました。今西中通の素描にも風景「武蔵野」と紹介されているものがありますが、きっと落合地域の風景なのでしょうね。
by pinkich (2015-07-15 17:44) 

ChinchikoPapa

pinkichさん、コメントをありがとうございます。
1964年(昭和39)の東京オリンピック前後に、日本橋や神田など下町の住環境の悪化から、新宿や渋谷方面に転居していった人たちは、残念そうに「郊外へ引っ越す」という表現をしていました。彼らにしてみれば、戦後でさえ新宿や渋谷は「武蔵野」だったのかもしれません。「東京行進曲」の4番、「♪変る新宿あの武蔵野の~月もデパートの屋根に出る~」の印象が強かったものでしょうか。
うちの親父が「武蔵野」と思っていたのは、もう少し西の小金井や国分寺、つまり大岡昇平『武蔵野夫人』の舞台となった地域のようでした。わたしが子ども時代に訪れた小金井や国分寺は、まさに「武蔵野」のイメージにピッタリでしたので、かなり長い間わたしもそのようなイメージがありましたね。
by ChinchikoPapa (2015-07-15 18:11) 

sig

まるで日本とは思えないすてきな情景が描かれていますね。
by sig (2015-07-17 21:10) 

ChinchikoPapa

sigさん、こちらへもコメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
屋根と壁の色を変えると、とたんに日本の風景に見えなくなるから不思議ですね。松本竣介の作品にも、バタ臭くて日本の風景とは思えないものがあります。
by ChinchikoPapa (2015-07-17 22:26) 

ChinchikoPapa

以前の記事にまで、ごていねいに「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2015-07-19 01:08) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>suzuran6さん
by ChinchikoPapa (2015-09-05 11:19) 

pinkich

いつも楽しみに拝見しております。今西中通のなにに惹かれるかというと、戦争に突入していく彼の生きた時代にあって、絶対内視というか、自らの芸術の完成以外に全く興味がないといった超然とした姿勢に強く惹かれます。戦争画を描いた画家が二流であるとは言いませんが、何かそういった画家とは根本的に違う画家としての品格を感じます。片多徳郎も惹かれます、片多はあと10年生きたら立場上、戦争画を描いたかな?今西も片多も真面目すぎるほど真面目で、かなり堅物です。時代の流れにおもねらない彼らの残した作品は現在でも輝いて見えます。
by pinkich (2015-10-01 23:29) 

ChinchikoPapa

pinkichさん、コメントをありがとうございます。
よく、このサイトに登場している若死にした洋画家たちが、1930年代後半から40年代を迎えてたら、果たして戦争画を描いたか描かなかったかを想像してみることがありますね。中村彝はおそらく進んで描いたでしょうが、岸田劉生や佐伯祐三も配給の絵具やキャンバス欲しさに、描いたのではないかと思います。
この人は、案外描かなかったかもしれないなぁ……という人に、三岸好太郎がいますね。画会でも、どこか風見鶏のようなところがあり、奥さんに「ウソつき」とさえ呼ばれてしまういい加減さが垣間見える三岸ですが、そんな性格であるがゆえに、のらりくらりと描きたくないものには手を出さず、かえって福沢一郎と同様に「非国民」的な作品を描いて、検挙されていそうな雰囲気がします。
もっとも、奥さんの節っちゃんが「戦争画など描かないでよ!」といえば、それだけで手を出さなかったのかもしれないのですが。
by ChinchikoPapa (2015-10-02 11:08) 

pinkich

ありがとうございます。三岸氏は私生活もトホホなので、たしかにそうかもしれませんね。芸術家は自分を表現するわけですから、自分のなかにないもの、表現したくないものを作品に残すべきではありませんね。ただ、戦事中は絵も売れないし、食べるため、いやいや戦争画を描かざるをえなかった画家もたくさんいたことは理解しなければいけませんね。今西中通も正確には、毋教というタイトルの戦争画があります。母に抱かれた子の手にゼロ戦のような飛行機のおもちゃを持った作品です。勇ましい戦争画が求められた当時としては、かなりやる気のない戦争画であったことは間違いないようです。
by pinkich (2015-10-02 18:08) 

ChinchikoPapa

pinkichさん、コメントをありがとうございます。
食べるためのみならず、当局からの恫喝や画会(戦況の悪化とともに報国会化で消滅しますが)からの圧力を受け、配給品の画道具の停止を覚悟のうえで、それでもクビを横に振りつづけた画家がいたことは、もう少し語られてもいいように思います。むしろ、戦争画を描いた画家のほうが、いまでは目立っている印象を受けますね。
by ChinchikoPapa (2015-10-02 18:59) 

美馬勇作

中通の生まれた高知県四万十町(旧・窪川町)で代々旅館を営んでおります。昨年オープンした小さな新館の客室に中通の素描を飾っておりますが、昭和12年建築の本館には林芙美子さんにお泊りいただいており、二人の間にご縁のあった事を知り、嬉しく驚いております。当館ホームページに記事のご紹介をさせていただきたく、お願いする次第です。ご連絡をお待ち申し上げます。
by 美馬勇作 (2019-05-08 11:43) 

ChinchikoPapa

美馬勇作さん、ごていねいにコメントをありがとうございます。
上記の件、了解いたしました。拙サイトの文章や画像でよろしければ、ご自由にお使いください。記事中にも書きましたが、手塚緑敏と今西中通はほぼ隣人同士ですので、ひょっとすると庭で燃やされてしまった手塚作品の中には、今西中通の肖像画などがあったかもしれません。数多く描いた「下落合風景」の作品群も含め、手塚作品が焼却されたのは返すがえすも残念です。
by ChinchikoPapa (2019-05-08 12:37) 

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