以前、大正期に普及した、井戸の揚水ポンプClick!について書いたことがある。清廉な地下水が豊富な落合地域では、荒玉水道Click!が近くに引かれていても、家庭での生活水は井戸水が主流だった。生活への地下水利用は、下落合では1960年代までつづいている。
 大正期に普及した井戸水の活用方法は、まずポンプで地下水をくみ上げて、高い位置に設置した水道タンクへ一時的に蓄え、その落差による圧力を利用して家庭の蛇口まで給水するという方法だった。この方式は、各家庭の井戸に限らず、山手の新興住宅地でうたわれた「水道完備」という設備でも同様で、大型ポンプを使い地下水をくみ上げて大規模なタンクへ貯水し、そこから各住宅に給水していた。目白文化村Click!で採用された「水道」設備もこの方式で、第一文化村の水道タンクClick!と第二文化村の水道タンクClick!がこれまで確認できている。
 でも、この方式ではポンプのメンテナンスに加え、貯水タンクの清掃や保守の仕事が発生してしまうため、特に家庭では維持作業の手間やランニングコストがかさんでしまい、昭和に入るとより簡便な給水設備のニーズが高まっていった。
 そこで登場したのが、モーターの小型化と馬力の増加によって実現した、全自動式電気ポンプだった。大正期の給水設備と大きく異なるのは、貯水タンクがまったくいらない点で、井戸の揚水パイプと、家庭内の各室へ給水する水道管とを、電気ポンプを介して直接結ぶという仕様だった。つまり、水道の栓をひねれば、自動的にモーターが作動し、蛇口からくみ上げたばかりの井戸水が流れるという仕組みだ。したがって、水を一度貯水タンクへ蓄えることによる水質の悪化や、タンクの錆などが混じることによる水質劣化の課題を解決できるというわけだ。
 また、ポンプの小型化は、稼働音が小さくなると同時に、それまで屋外の井戸端に設置されていたポンプを、家庭内の都合のいい場所へ持ちこめるようになった。屋外にさらされていたポンプは、モーターやベルトの傷みが早かっただろうが、風雨が当たらない屋内に設置すればライフサイクルの伸長にもつながる。特に、モーターの小型化と静音化は台所の隅へ持ちこめるため、使い勝手が格段に向上したようだ。
 1928年(昭和3)発行の「主婦之友」2月号に掲載された、工学博士・北澤俊夫による「新時代の台所に配する電気喞筒(ポンプ)と換気用扇風機の話」から引用してみよう。
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 井戸の深さによつて二種類ありまして、井戸水面迄の深さ十五六尺位迄に適するものは浅井戸ポンプで四分一馬力。又五六十尺から百尺位迄の深さにも利用出来るものは所謂深井戸ポンプで半馬力です。此二つの中間の深さに適する様に設計されたものもあります。/揚水量は一時間四石から六石位が普通でありまして、家族一人当り一日使用水量は平均一石以下ですから、四五人の家庭では電気ポンプ一日中に一時間以内の運転で事足りる勘定であります。世間ではポンプと謂ふと高い所に水槽を置かねばならぬものゝ様に考へてをりますが、此頃では圧力水槽をポンプに付属して高架水槽不要のものが新式とされてをります。其作用は全然自働的で、水栓を開いて水を使用し始めると、電気がかゝつてポンプの運転が始まり、水の使用をやめ水栓を閉ぢると、ポンプは自動(ママ)的に停止するやうになります。
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 この新式電気ポンプの導入で、真冬に屋外の貯水タンクや水道管の水が凍って、水道を使用できなくなるという事故が少なくなるメリットも挙げている。また、郊外の住宅地ばかりでなく、東京市街地の住宅でも水道代を節約するために、新式電気ポンプがかなり流行していたようだ。そこには、モーターの小型・静音化により、住宅が密集した地域でもポンプ音がさほど気にならない……という利便性もあったのだろう。
 また、イニシャルコストはやや高めでも、新式ポンプを複数導入することで、水を大量に使用する病院や学校、旅館、下宿、料理店、自動車屋(タクシー業)などでは、減価償却ののち水道料金と電気料金とを比較した場合、かなりのコスト削減ができると予測している。これは、新式ポンプが電圧の高い電力線Click!ではなく、照明と同じ電燈線で稼働する仕様になっていたため、省電力設計のスペックを意識したものだろう。
 ちなみに、全自動新式ポンプの価格は、当時の日立一号浅井戸ポンプ(四分ノ一馬力単相モートル、圧力水槽、自働スヰツチ付)が240円、日立三号深井戸ポンプ(半馬力単相モートル、圧力水槽、自働スヰツチ付)が300円だから、かなり高価だったことがわかる。このほか、家庭への導入には配管設備費と工事費がかかり、だいたい100~150円ほどだったらしい。日立一号浅井戸ポンプを家庭に導入すると、今日の価格では80万~100万円ぐらいの感覚だろうか。
 
 
 さて、昭和初期に家庭への導入がはじまったものに、換気用の電気扇風機=換気扇がある。当時の家庭でも、魚や肉を焼いた臭いが台所ばかりでなく、居間や応接室にまで入りこんで臭気が抜けない悩みを抱えていた。また、台所ばかりでなくトイレの消臭などにも、昔ながらの煙突型をした空気抜きが用いられていたが、この装置の欠点は屋外に風が吹いていないと上部の風車がまわらず、なかなか臭いが抜けない点にあった。しかも、魚を焼いた強烈な臭いなどの場合は、ほとんど効果がない「換気」装置だった。
 また、せっかくオシャレでハイカラな意匠の西洋館を建設しても、台所やトイレなどから煙突状の空気抜き(臭突)が、ニョキニヨキと空へ突き出しているのが、みっともなくて美観を損ねるということで、かなり以前から課題になっていたらしい。新式の換気用扇風機は、これらの課題を一気に解決する便利な家電として、昭和初期に登場してくる。同誌の記事から、つづいて引用してみよう。
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 そこで換気用扇風機を台所に取付けると、建築美を害せず理想的の換気が出来ます。費用の一例として日立換気用電気扇風機は金弐拾八円で、其取付けは壁に孔を明けて据付ける丈けですから訳なしです。そして卓上扇風機同様電燈のソケツトから運転が出来ます。
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 金28円ということは、今日の価格だと5万円をちょっと超えるぐらいの感覚だろうか。昭和期に入ると、米国やドイツなど海外メーカーの高級輸入家電製品Click!ばかりでなく、国内メーカー製の家電品が続々と開発・発売され、一部のおカネ持ちばかりでなく、一般の庶民でも手がとどくほど、製品の低価格化が徐々に進んでいく。

 
 当時の主婦之友社では、誌面で紹介したさまざまな家電を自社のモデルルームへ陳列し、来店した読者へそれらの実演のデモを行っていた。また、あらかじめ同社へ予約しておくと、設置したい家電の種類に応じて専門の相談員が応接する、コンサルテーション業務も開始している。もちろん、日立をはじめ当時の国内家電メーカーとタイアップした、新しいコラボ事業のひとつだったのだろう。

◆写真上:落合地域や周辺域の井戸に多く残る、昔ながらの手動式ポンプ。
◆写真中上:双方とも1960年代に撮影された下落合の情景で、水道タンク仕様の揚水設備のある第一文化村の西洋館(左)と谷間のユリさんClick!のお隣り邸(右)。
◆写真中下:上は、全自動の浅井戸ポンプ(左)と深井戸ポンプ(右)。浅井戸ポンプは流しの左下に写る機械だが、深井戸ポンプは家庭内へ持ちこむにはまだサイズが大きい。下は、防災用として常設された現代井戸で停電を前提に手動式ポンプが付属している。
◆写真下:上は、佐伯祐三Click!『下落合風景』Click!の1作「風のある日」(部分)に描かれた、トイレの換気用と思われる空気抜きの突起。下左は、大正から昭和期には一般的だった空気抜き。下右は、台所に設置された換気用扇風機で現在の換気扇と変わらない。